『恵まれた介護と仕事』──妻が障害者になる前に
私の仕事は、
医療関係の営業です。
専業主婦だった妻に、
看護師を勧めたのは、
私が医療関係の仕事にいたからでした。
妻は34歳から、
3年間専門学校に通い、
脳出血で倒れるまでの6年間を看護師として勤めあげました。
子どもの学費や将来的な不安から、
看護師になったものの、
一番経済的に厳しい時に倒れ──
今、振り返っても、
人生うまく行かないもんだと思ったりもしています。
私の仕事に話を戻せば、
主に担当していたのは、
大学病院や基幹病院の医師や医療スタッフで、
妻が倒れる以前から、
毎日のように病院には出入りをしていました。
勤務先は外資系の企業で、
優秀だったかどうかはさておき、
年収は決して悪くなかったと思います。
ただ、その会社は、
日本に進出して間もない、
まだ小さな企業でした。
そのため、
介護や病気に関する福利厚生制度は、
ほとんど整っていませんでした。
言うまでもなく、
働きながら介護をする上で、
欠くことが出来ないものは、
会社の理解です。
妻が倒れた直後──
有給休暇は2週間もすれば、
尽きてしまうと分かっていました。
私がまず行ったのは、
直属の上司だけでなく、人事部、
そして日本の社長に、
妻の状態や、
息子の自殺未遂騒ぎを含めた『家庭の状況』を、ありのまま正直にすべて伝えることでした。
何より"職場復帰の目処が立たない"
ことを訴え続けました。
自分では、どうにもならない状況から、
体裁など構わずに、
泣きすがるような思いで。
その結果──
小さな企業ではありましたが、
“命を扱う仕事をする会社”として、
普通ではあり得ない特別な対応を取ってくれました。
* 職場復帰は「私自身が“できる”と判断した時」で構わないこと
* 給与は満額支給
(手当類は休職中は停止。復帰後に再開)
* 単身赴任中だった私を、
自宅から通えるエリアへ配置転換
さらに会社は翌年、
我が家のケースをモデルとして、
社員の誰が介護を担うことになっても、
働き続けられるような
福利厚生制度の根本的な見直しまで行いました。
それによって、当時の私は、
ほぼ毎日のように妻の病院へ通うことができたのです。
つくづく私は、
恵まれた環境にいたのだと、
今でも強く感じています。
──そして、こうも思います。
今もなお、こうして働きながら、
【若若介護】をできているのは、
決して自分だけの力ではないと。
これまで支えてくれた上司や同僚、
そして会社へ感謝を込めて。

『恵まれた介護と仕事』
──障害者になる前に決めたこと【完】
※妻が倒れてから、
仕事に復帰するまでの決断
▼『恵まれた介護と仕事』──
妻が障害者になる前に【続】
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