ことばのない会話──脳出血がくれた贈り物
脳出血により、
言葉を失った妻。
それでも私たちは、
最も話した日々を過ごしていました。
妻が倒れてからの一ヵ月間──
私たちは、
リハビリの毎日を繰り返していました。
笑うようになってから妻は、
積極的に話そうとするようになりました。
正確には、
“話したくて仕方がない”
そんな気持ちが、
あふれているようでした。
それでも失語症の影響は強く、
相変わらず、
『アーアー』と繰り返すだけで、
何を言ってるのかを、
理解することはできませんでした。
次第に──
こちらからの話しにも。
少しずつながら妻は、
単語や短めの文章程度なら、
理解できるようになっていきました。
表現もそれまでの、
『アー、アー』に加えて。
首を横に振りながら否定を示す
『ううん』や、
うなずきながら同意を示す
『しょしょ(そうそう)』
といった言葉も増えていきました。
その時の私は、
毎日のように朝から晩まで、
妻が考えていそうなことを、
先読みしながら
『これでいい?』
『これはちがう?』と。
その都度、
妻に確認するやり取りを続けていました。
妻とそんな"会話"を
し続けた甲斐もあり──
いつしか私は、
妻が何を言いたいのか、
言っているのか。
そのほとんどを
分かるようになっていました。
ただ、私以外の人には、
妻の言葉が理解出来ないこともあり。
そのたびに、
私がそばで通訳をしては、
妻の"言いたいこと"を
翻訳していました。
周りの人からは、
『タラちゃんがイクラちゃんの、
通訳をするみたいだね──』
そんなふうに、
笑って言われるほど。
私たち夫婦の会話は、
とても深いところで、
たくさんの"言葉"に満ちていました。
──振り返れば、
結婚して20年以上の間で。
その時が、
最も妻と過ごし、
もっとも妻と"話した"時間でした。
妻が失語症になり、
それ以前より話すようになり。
それまでに、
いくらでも一緒にいれたはずなのに──
その頃は、
毎日が厳しい時でしたが、
妻と私は、
それまでにないほど充実した時間を過ごしていました。
──あの時間こそが。
病気が私たちにくれた
一番の"贈り物"だったと、
今も、そう思っています。

ことばのない会話
──脳出血がくれた贈り物 【完】
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