はたして妻を介護する私は──大変なんだろうか
これまで妻の介護を、
10年してきて思うことがある。
はたして妻を介護する私は、
大変なんだろうか。
脳出血で倒れた妻は、
身体の麻痺や失語などなど。
──重い後遺症を負っていた。
あらゆる障害を抱えた妻との暮らしを知れば、
ほとんどの人は私に、
『大変だね』
『無理しないでね』と言う。
その言葉に他意はなく、
それ以外の言葉の選択肢が限られているのも事実。
──けれど、
やや違和感を覚える時もある。
その『大変だね』という言葉や、
何気ない人の優しさに。
そして、
妻との介護生活を振り返りながら、
──こう思う。
はたして私は、
本当に大変なんだろうかと。
私は介護される側ではないが、
妻の介護が始まった時からずっと、
多くの人たちに支えられている。
自分の仕事のみならず、
デイサービスや介護士、ヘルパーにより、大半の妻の介助は人がしている。
障害者手帳や要介護のサービスを
毎月制限いっぱいまで使い切り、
それでも足りなければ、
自費でも妻の介助をお願いする。
それは全て妻のためでもあるが、
明らかに私自身の負担を減らすことにつながっている。
確かに私の仕事は忙しいものの──
自分でやろうと思えば出来ることまで、
人に任せるようになってしまっている気がしている。
私がやることと言えば、
食材の買い出しや、
掃除や洗濯などの簡単な家事。
また通院の付き添いと、
年に数回の救急対応ぐらい。
はたして、この程度のことを、
"介護"と言っていいのか。
と疑問に思うこともある。
けれど、周りの人は私を労い、
励ましてもくれる。
私は"介護をしている"というより、
──むしろ、
"介護をさせてもらってる"とすら、
感じることがある。
とうぜん妻が元気だった頃とは、
環境が違うものの──
仮に妻が以前のように元気だったとしても、私の負担が今の状況と大きく変わらない気はしている。
いや、むしろ、
介護している今よりも、
大変だったかも知れない。
なぜなら妻が倒れる以前まで、
私が普通にしていたことも、
今では人がしているのだから。
──逆に言えば、
ふたりが揃って元気に何の支えもなく、
夫婦をしている人たちの方が、
私から見れば"大変"に見える時も多い。
夫婦でともに働いて忙しい日々の中で、
家のことや子育てなど、
あらゆることをこなしていく。
──以前の私たちも、
そうであったように、
夫婦はすれ違う時間が増えて、
互いに気にかける時間や、
余裕すらもなくなっていく。
また何より、
それが当たり前かのように、
周りの人は、
ことさら優しくしてくれないし、
心配の声もほとんど掛けてはくれない。
ましてや公的な支援やサポートなども受けられない。
健常者である以上、
いざ倒れるまでは、
支えても、支えられることはないのが、いまの社会の現実なのかも知れない。
──話を戻せば、
望んで介護生活をする人はいない。
けれど10年にわたり、
それをしてきた私から言えば、
妻が倒れる前の夫婦生活よりも、
それは決して悪いものではないと言える。
なぜなら介護を通して、
夫婦の信頼やコミュニケーションは、
それ以前よりも格段に増える。
また常に配偶者を気にかけている生活は、
ある意味で理想的な夫婦関係を作りやすいとすら感じている。
──妻を介護するということ。
それは、
夫婦がすれ違うことはなく、
その関係が冷え切るようなこともあり得ない距離にいること。
そしてそれは、
決して"大変"なものではなく、
むしろ私たち夫婦にとっては、
好ましい形である気もしている。
介護をするまで、
見えなかった景色や生活の中に、
今はいる。
ただ、それは、
想像していたよりも、
悪いものでも大変なものでもなかった。
今日も妻と向き合いながら、
いまの私には、
少なからず、
──そう思えている。

はたして妻を介護する私は
──大変なんだろうか【完】
※この記事の内容は、筆者の個人的な見解であり、全ての介護に共通するものではありません。
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