【小舟は揺蕩う】大原美術館 OHARAコレクション・ハイライト ―収集の軌跡:絵画・彫刻編
いつからか近代美術も一通り見るようになり、チラホラと名前を聞く「大原美術館」。
規模の大きな企画展となると、たまに見かけていた「所蔵先:大原美術館」の文字。
最近だと松濤美術館で行われた「空の発見」という展覧会に大原美術館所蔵の萬鉄五郎の自画像がきていた。
調べてみるとその歴史の古さと、場所の遠さから勢いがないと訪れられないということで、メッカ的なイメージで行ってみた。
最初の旅の目的はここ大原美術館と鳥取県立美術館だった。
なお、館内はすべて撮影禁止。外観のみOK。

それでもうっかりシャッターを切る来館者が多いので、その都度いちいち止めに入らねばならない大原の看視員さんは労力がいるだろうな、とちょっと気の毒になった。人に注意をするというのは仕事といえど大変なことだ。
大原美術館の概要
大原美術館は、倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家大原孫三郎が、前年死去した画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立した、日本で最初の西洋美術中心の私立美術館です。
日本美術のコレクターでもあった孫三郎は、友人でもあった虎次郎の才能と、美術に対する真摯な姿勢を高く評価し、三度にわたる渡欧を促します。虎次郎は、そこで制作に励むかたわら、孫三郎の同意のもと、日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中しました。
明治の気骨を持つ虎次郎の選択は、東洋の感覚と西洋美術の精華との真剣勝負でした。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。同時に進めた中国、エジプト美術の収集にも、東西の狭間で悩みつつ文化の源流に迫ろうとした虎次郎の心情が伺い知れます。
大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術、日本の近代から現代の美術、民芸運動にかかわった作家たちの仕事等にコレクションを広げ、日本人の心情に裏打ちされた独特の個性を発揮するユニークな民間総合美術館として世界に知られるようになりました。
今日、大原美術館は、現場で子供達や社会人を対象とした種々の教育普及活動に加え、毎夏の美術講座や、世界を代表する音楽家を迎えてのギャラリーコンサート等を通じ、諸芸術のフロンティアと広く関わりながら、21世紀に生きて躍動する美術館として、多彩な活動を展開しています。
歴史的建造物の課題
日本で最初の「西洋美術中心の」私設美術館、と書いてあるのは、広島の観古館のことがあるからだろう。
※観古館 1913年(大正2年)にできた広島市中心部の泉邸の一角に浅野家所蔵の古美術品を一般公開する国内初の私立美術館。1945年の8月6日に爆風で建物は木っ端微塵。門柱のみ現存する。跡地付近には広島県立美術館がある

とにかく、建物が古く、本当にそのまま、今に至るまで100年近く同じようなところで展示をしているんだろうな、と感じた。
なので本館、1階、第一室の鑑賞環境は決してよくない。
薄暗いし、(外がかなり明るかった時間帯でもあったので、最初目がなれないのもある)照明は蛍光灯である。
これが昭和初期の人も同じような環境で見ていたのかな、と思えれば味わい深い。
が、「古臭い展示室」の一言で一蹴されてしまうと何も言えない。
例えば動員数のすごかったあの印象派の展覧会に貸し出されていたある作品もここ大原美術館の本拠地でみるとどうだろうか。
鑑賞環境が作品に与える印象とは?と頭によぎる。
(この蛍光灯についてはレクサスのオウンドメディアでも触れられていた)
https://lexus.jp/magazine/post/?id=g9xs_1_ey
思わぬところで「例の絵」と出会う。
エル・グレコもじっくり見て、ふむふむこれが、という満足感。
絵の主題、宗教上のつながりや信仰心や基礎知識も薄いこの国でよく100年近く守られたなぁという気持ちもある。
特に、大原美術館で「この絵が見たい!」と行ったわけではなかったが思わぬ一枚の絵が目の前に飛び込んできて「うわぁぁああ!」となった。
安井曾太郎の名作「外房風景」だ。
そうか、大原美術館にあったのか…!
この「外房風景」にまつわる話を赤瀬川原平さんのエッセイ集「奥の横道」という本で読んでいた。(日本美術応援団の活動が盛んだった頃)

内容は
「1998年に横浜・そごう美術館にて安井曾太郎展:生誕110年記念展を見たあと、開通間もない東京湾アクアラインを通り、山下裕二氏と一緒に安井曾太郎が逗留し絵を描いたと言われる旅館・江澤館で対談しにいく」
という話だった。太海にある仁右衛門島の観光もしている。
過去、結構書いてきたが、私、千葉県の風景がとても好きで。
思い入れのある千葉県に原平さんが行く話が嬉しくてよく読み返す。
「奥の横道」を読み、すっかり自分も同じ場所へ行きたくなって、一人電車に飛び乗り外房線に揺られて同じ場所、房総・太海へ行ったことがあったのだ。
20年ぐらい前の話だ。
ゆかりの宿、江澤旅館にも行った。
女将さんは当時若造だった私にも優しく、赤瀬川さんが旅館のロビーに残したサイン色紙を見せてくれた。仁右衛門島にも渡った。(乗船券はトリス・ウイスキーで有名な柳原良平さんのイラストが描いてあって可愛い。)
2025年5月某日、「外房風景」の絵の前で、
あの時の海の匂いも思い出せる。仁右衛門島の風の感じも、小船から見た水面のゆらぎも思い出せる。
あぁ、この絵、原平さんも見てたやつだ。
あの本の、あの話の、あの絵だ。
絵を通して、画家の視点ではなく、その絵を過去見た人に重ね感激するというのもおかしな話と思われるかもしれないが、
同じ絵の前に立てたこと
が、私には何物にも代え難い感動と喜びだった。
「外房風景」がじわじわとゆがみ始めた。
鼻の奥がツンとしたけど確かに磯の匂いがした。
安井曾太郎が逗留した部屋も残るゆかりの宿、江澤館も健在である。
太海の町はつげ義春の「ねじ式」ゆかりの地でもある。
「外房風景」は勝手に次の重要文化財だと思っている。

(あと「奥の横道」では高松次郎さんの訃報を中西夏之さんからの電話で知る話が載っている。それは何度読んでも泣く。)
白樺美術館とは?
紙の出品リストがないので、帰宅後pdf出品リストを見ていたら、「白樺美術館から永久寄託」と記載がある作品があった。
白樺美術館とはあの幻となった白樺派が建てたかった美術館?
それとも1983年にできた山梨の清春白樺美術館のことか?
しかもその作品がロダンのブロンズ像というのだからますます。
調べると、この彫刻3体は明治44年にロダンに浮世絵を送った返礼で送られてきたブロンズ像3体そのもだそうだ。これも良く残ったなぁ。
(白樺派の美術館構想で入手したゴッホのひまわりは1945年兵庫県芦屋市にて焼失している)
大原總一郎(1968年逝去)のコレクション品ということなので1983年にできた清春白樺美術館よりも前に寄託を受けていたということになる。
実在しなかった美術館からの「永久寄託」という記載に、白樺派の無念を慰めるような、そんな心遣いを感じた。
攻める、大原美術館
本館を一通りみて、民藝、工芸展示室もえんやこら全部見て回り。
ものすごい展示量。
で、橋を渡った向かい側、有隣荘や4月にオープンしたばかりの児島虎次郎記念館へまだコレクション品の展示は続く。
有隣荘
大原家の迎賓館として使用されていた建物。
2024年に改修工事を済ませ、春の特別公開の期間にタイミングをあわせることができた。
こちらはなんと現代美術を展示。二代目の大原總一郎は「美術館は生きて成長してゆくもの」という信念があったそうだ。そのスピリットを感じる同時代の作家の作品展示。これがとても良かった。
最近、京都のお寺がギャラリー代わりの様なことをしているけれど、建物と美術品は昔から切っても切れない。


今回の展示は福田美蘭さんに伊庭靖子さんなど!
もう大歓喜である。
美蘭さんは民藝の名品・富本憲吉く色絵文角皿>にニセむらすずめ(むらすずめ、は倉敷銘菓)おいちゃうし、寝室のような畳の部屋には伊庭さんのお布団絵画が飾ってあるし。もう笑っちゃいましたね。

本館で感動疲れしてたところ、いい具合のユーモアで軽い気持ちになって大変良かった。
美蘭さん(尖)と伊庭さん(軟)の組み合わせがとてもよかった。
写真に残したかった。
ほかにも、山口晃の屏風、会田誠の美少女盆栽、渡辺おさむのデコ白鳥などなど。


児島虎次郎記念館
ここも25年4月グランドオープンのタイミングだった。
もう、本当ヘロヘロになっていたけどちゃんと見た。

児島虎次郎の絵画は今まであまり目にしたことがない。
児島だと児島善三郎の方が馴染みがあるかも。
ものすごい、明るい色彩。アメリカ印象派みたいな感じ。
ウスター美術館展を思い出した。
面白かったのは3作で1つの作品「朝顔」
3枚ともでかい。キラッキラ。
ここまでよく明るく描けたな、と。なんというか、不安のない絵と言ったらいいのか。
3枚の絵が同じテーマで描かれていたが1枚だけちょっとした表現が違うというか。画面から離れていくと、ああ、日陰から描いたのか?という。
ここも写真が取れないので、過去のWEB記事に画像が載っていた。
そちらを見ていただければ。写真になるとあまり3枚の差がないけれど、肉眼で見たときはトーンの違いというかそういうものがはっきり感じたのだ。
そして館内には児島虎次郎が1920年代に蒐集してきた古代エジプト・西アジアの品々が。100年も前からこの地では見ることができたのか。
岡山市のオリエント美術館も設立の流れは直接ではないけれど、こういう土壌の影響は少なからずあったのではないだろうか。
このあと、倉敷市美術館へ。
丹下健三建築だー!と行ったときは思ったが、翌々日に奈義現代美術館にて実は磯崎新が図面を引いていた建築である、と知るとまた違った面白さがある。






展示室の壁、ボードの塗り直しはしたほうが良いのでは?と思うが、
「大原美術館があるからいいよね」ではなくちゃんと市立美術館を持ち、地元の作家をちゃんと紹介する姿勢はとても好感が持てる。
地元作家をわかりやすく紹介するイラストのパンフレットなんかもちゃんと用意されている。
盛りだくさん、倉敷
岡山駅から倉敷までは20分ほどで移動できるが、午後をまるまる使って網羅。
訪問日はGW開けの平日なのもあって街全体の人並みも落ち着いていたので、この時間配分でスムーズに見ることができた。
休日や休暇時期は人波も考え、多めに時間を確保したほうがよいだろう。
因みに、有名な美観地区の橋で5組の方のカメラのシャッターを押した。
皆さんの旅の1ページをお手伝いできて嬉しい。
Have a nice trip!とか言っちゃったりしてね。みんな良い笑顔だった。



倉敷の平日、閉店時間は早い。
和菓子屋さんや観光地向けカフェなど軒並み16時半過ぎから片付けている雰囲気。
倉敷美観地区のパン屋さんに滑り込みで次の日の朝ごはん用パンを購入。鳥取行きの特急、スーパーいなばの中で食べる用。
17時。さぁ、倉敷駅前で一杯飲んで宿泊地岡山へ戻る

美味。鯛のカルパッチョも美味しかった。
そして、この旅のシリーズ第一投稿の鳥取県立美術館のレポへと続くのである。
2025年5月の岡山、鳥取美術の旅・時系列順
1日目
と、この記事、大原美術館。
2日目
鳥取へ
3日目
津山と奈義現代美術館へ
岡山遠征、完。
