私が実践するナラティブ・アプローチ(「ワールドカフェスタイルで学ぶMI2025」より)
今回も札幌の北田雅子先生とのコラボ企画です。「ワールドカフェスタイルで学ぶMI2025」に登壇させていただきました。北田先生には産業精神保健学会誌にご寄稿いただいて以来、以下のようなイベントにご一緒させていただきました。
北田先生との主な仕事
・ネガティブケーパビリティとオープンダイアローグ
・臨床家にとっての「メタ認知」
・産業保健職のための動機づけ面接
・動機づけ面接の北田先生にインタビューを受けました
今回、12月16日がプレカフェ、23日が本カフェでした。本カフェではオープンダイアローグ(OD)の実習2on1を行うことが決まっていたのですが、プレカフェではOD理解のため、「ナラティブ、ストーリー、そしてヒューリスティック」というタイトルで話をさせていただきました。
▼私のカウンセリングは交流分析+ナラティブ・アプローチ
私はこれまでさまざまなカウンセリング技法を学んできました。医者になって15,6年くらい経った頃に、一応自分のスタイルが出来上がり、今でも基本的には変わっていません。そのスタイルとは、交流分析の人間観、治療者観などの哲学を基盤とし、人との関わり方はナラティブセラピーを主体とする、人間性心理学的アプローチです。オープンダイアローグももちろんここに含まれます。今回は「ナラティブとストーリー」について書きます。交流分析はまた別の機会に。
▼ナラティブって何だ
ナラティブセラピーとかナラティブアプローチなどと呼ばれますが、「ナラティブ」(ナラティヴ:narrative)って何でしょうか。
ナラティブは通常、「語り」または「物語」と訳され、「語るという行為」と「語られたもの」という行為の産物の両方を同時に含意する用語とされています。ナラティブセラピーが日本に紹介された当初、「物語療法」と訳されたこともありましたが、「物語」と訳すと「語り」という意味が抜け落ちてしまいますし、「語り」と訳すと「物語」という意味が抜け落ちてしまうので、そのまま「ナラティブ」が使われているようです。
▼ナラティブとストーリー
ではストーリーとどう違うのでしょうか。
ナラティブセラピーでは、
・「ナラティブ」は複数の出来事を時間軸上に並べたもの
・「ストーリー」はナラティブに筋立て(複数の出来事の関係)が加わったもの
と考えます。
例を挙げます。
a.彼は駅に着いた 職場に向かった 会議に参加した
b.彼は駅に着いた。そして職場に向かった。しかし会議に参加した
c.彼は駅に着いた。しかし職場に向かった。そして会議に参加した
aは出来事が時間軸上に並んだナラティブです。それに対しb、cは「そして」「しかし」という接続詞が入っています。bとcは受け取るニュアンスが異なりますよね。同じ出来事が並んでも、筋立てでストーリーが変わってしまうわけです。筋立てができたのがストーリーです。言葉が「現実」(ストーリー)を作るとはこのことを指しています。
▼実際の会話で考えてみましょう
ではこれを実際の会話に落とし込んでみます。
d.「急いで駅を降りてね、職場に向かったんですよ。会議があったんでね」
「そうでしたか」
「自分が司会だったからね。テーマはね、〜〜」
というふうに話が進むかもしれません。
一方、こちらはどうでしょうか。
e.「急いで駅を降りてね、職場に向かったんですよ。会議があったんでね」
「急いで向かわれたんですね」
「そうそう、階段で転んじゃってね。膝をすりむいちゃった」
「うわ、痛そう!」
「痛い痛い。血も出てね。だからコンビニに寄ってカットバン買ったわけ」
「買えてよかったですね」
「うん、血がにじんでたら会議に集中できなくなっちゃうもんね〜〜」
聞き手が「急いで」という言葉に関心を向け、「単純な聞き返し(Reflection)」(動機づけ面接の用語)をしてみると、何と階段で転んで怪我した話が出てきました。当初、転んだことは話し手の意識になかったようです。忘れていたのか、大したことはないと思っていたのか、恥ずかしいと思っていたのかはわかりませんが、話し手の最初にストーリーには入っていなかったようです。
ナラティブとして並べてみるとこのようになります。
f.彼は駅に着いた 職場に向かった 研究会に参加した
(階段で転んだ) (コンビニに寄った)
何が言いたいかというと、こちらがどのように応答するかによって、まだ語られていないナラティブに光が当たり、ストーリーが変わってくる可能性があるということです。私がカウンセリングでやっているのはこういう作業です。
▼「not knowing(無知の姿勢)」とは
ナラティブセラピーの用語で「not knowing(無知の姿勢)」というものがあります。「あなたの困りごとの解決のお手伝いのためには、あなたのことをまだまだよく知りません、どんな人生でしたか、ぜひ話してください、教えてください」と好奇心を持って尋ねていくことを指します。専門家であるこちらは圧倒的な知識を持っています。しかしそれが目の前の人に当てはまるかどうかわかりません。その人のことはその人が一番よく知っているのだから、その人に尋ねていくのです(知っているけれど気づいていないということはよくあります)。私たちが精神医学や心理学の専門家であるならば、目の前にいる人は、その人の人生の専門家なのです(経験専門家と呼びます)。その専門家同士が協力して困りごとの解決に当たるのが対人支援ではないでしょうか。対人支援は「指導」ではありません。
▼クライアントが初めに語るストーリーの中に答えはない(米沢)
クライアントが初めに語るストーリーの中に答えはありません。答えがわかってるなら相談に来ないわけですから。なので、語ったストーリーだけからあれこれ考えても、なかなか答えは出て来ないのです。
私の場合、最初はできるだけ口を挟まず、うなずきで受けつつ、話を進めてもらいます。その中で、感情に触れるような言葉が出た時に、聞き返すことがよくあります。先ほどの「急いで」「痛そう!」がそうです。もう一つ、動機づけ面接で「是認(Affirmation)」という用語があります。話し手の言動を肯定して言葉にすることです。「(カットバンを)買えてよかったですね」が相当します。
そして話が一区切りついたところで、話の流れがつながらないと感じたり、あれっと思ったりした部分や、どうしてこうしたんだろうなどと疑問に感じたり、すごいなと驚いた部分などを質問していくわけです。
カウンセリング批判の一つに、「ふんふんと聞いているだけで、何もアドバイスしてくれなかった」というものがあります。カウンセラー側からの反論としては、「カウンセリングは答えを与えるものではなく、カウンセリングのプロセスを通し、本人が自ら気づく・答えを見つけることを支援するのだ」というのがあるのですが、これは反論になっていないと思います。クライアントは「何も得られなかった」と言っているのですから。カウンセラー側がクライアントに敬意を持って接し、しっかりと応答していれば、こういった批判は減るのではないかと思うのですが、そういった認識を持ったカウンセラーがまだ少ないということなのかもしれません。このことは一つ前のnoteに書きました。
▼「いまだ語られていない物語」を浮かび上がらせる
このようにアプローチすることで、話し手の最初のストーリーにはまだ登場していない、「いまだ語られていない物語」を一緒に探していくのです。
「いまだ語られていない物語」には以下のようなものが考えられます。
a.自分の中で秘密にしてきた誰にも語ったことがない物語
b.語りたいと思っているが語る機会がない、または誰も聞いてくれないと思う物語
c.自分でも意識しておらず、自分の中でまだ物語として成立していないもの
こういったものが、対話を通して記憶から蘇り、新しいストーリーが生まれていくのをお手伝いするのがカウンセリングだと思っています。ナラティブセラピーの用語では、今までの人生の物語を「ドミナント・ストーリー(優位な物語)」と呼び、新しく生まれたナラティブ、そして書き直された物語を「オルタナティブ・ストーリー(代わりの物語)」と呼んでいます。
▼社会構成主義とは
このように、われわれが「現実」と呼ぶものは現実そのものではなく、言葉(言語を使って考えること)を通して作り上げたものである、と考えるのが社会構成主義(social constructionism)であり、ポスト・モダンな考え方です。それに対し、現実を客観的方法で観察し、普遍的な観点から理解し、制御できると考えるのが科学主義であり、近代主義(モダン)的な考え方とされます。伝統的な精神医学や心理学はこの考え方に立脚してきたと言えるでしょう。後者が間違っているというのではなく、後者もまた前者の一部であるというのが私の考え方ですので、後者が役に立つと思ったらもちろん使います。
▼「宝物探し」を続けたい
テーブルの上にばらまかれたたくさんのビーズ玉を想像してください。

もしも黒のビーズだけ拾っていくと、真っ黒なビーズのチェーンができます。しかし、現実が過酷過ぎて他の色があるのに気づいていないのかもしれません。あるいは他の色を拾うのを忘れていないでしょうか。他の色に輝く瞬間ってなかったでしょうか。
私たち対人支援職は、その人が持ち込んだ真っ黒なビーズのチェーンはその人そのものであると肯定しつつ(是認、認証)、来談者は、黒のチェーンではない違う人生を歩みたいと登場したはずなので、違う色のビーズを一緒に探していくことが仕事ではないでしょうか。「宝物」が見つかるかもしれません。これは薬物療法を含め、あらゆる治療で、好ましい変化が生まれた時に起こっていることではないかと思うのです。そんなことを新春に再確認し、今年も来談者の声に耳を傾けていきたいと思います。
