危機に名前がつく前の、サブプライムローン②――終わりに見えた頃
昨日は、2007年8月に書いたmixi日記を紹介した。
こちらでは、リーマンショックの予兆のようなものを見ていた。サブプライムローンの問題が、証券化、ファンド、レバレッジ、円キャリートレードの巻き戻しへと広がっていく様子を追っていた。
一方で、正確にリーマンショックそのものを予想していたわけではなかった。
実は、その数か月後には、このようなmixi日記を書いていた。
2007年11月1日
総悲観は買い、総楽観は売り、と申します。
サブプライム問題の本質は不安心理です。誰がどれだけ損しているのかわからないから、必要以上に怖がって手を出せなくなるわけでした。
逆に言えば、損がはっきりしてくれば、安心感が生まれてきます。だんだん損失がはっきりしてくることは、収束へ向かう要素です。ある意味、売り煽り的なこのニュース(サブプライム 日本の金融機関まだまだ戦々恐々。)のような主張がなされてくるのは、それだけ悲観している人が多いことを示します。
相場は悲観論が支配するようになると、それ以上売る人がいなくなるため、上がるんですよね。つまり、このニュースはわざわざ悲観論を煽るような内容ですので、これ以上悲観する人が少なくなってきていることを意味しているかもしれません。
すなわち、収束が近い、ということを示しているとも言えます。
2007年11月の時点では、損失が少しずつ表に出てきていた。サブプライムローン問題の怖さは、損失そのものだけではなく、誰がどれだけ損を抱えているのか分からないところにあった。分からないから、市場参加者は必要以上に怖がる。反対に、損失の所在が見えてくれば、不安は薄れていく。
相場には「知ったら終い」という言葉もある。悪材料であっても、市場がそれを知らないうちは不安が残る。しかし、悪材料の中身が見え、損失の所在が明らかになってくると、その時点で相場は次の材料を見に行くことがある。
また、「総悲観は買い」という言葉もある。市場全体が悲観に傾き、多くの人が売りに回ったあとには、追加で売る人が少なくなる。悲観的なニュースが広がることは、それ自体は悪材料である一方で、相場の下げが終わりに近づいているようにも見える。
その意味では、金融機関の損失が報じられ、悲観的な見方が広がることは、悪材料であると同時に、収束へ向かう材料にも見えた。

しかし、今から振り返ると、この見方は早すぎた。
バブル崩壊の予兆のようなものを感じていたとしても、バブル崩壊そのものは、実際に崩壊してみなければ分からないところがある。
当時は、インターバンク市場が滞ることによる信用収縮の恐ろしさを過小評価していた。また、政治の判断ミスによって、市場の信認を喪失するリスクも見誤っていた。
このmixi日記には、危機の途中で見えていたものと、まだ見えていなかったものの両方が残っている。そのことも含めて、当時の臨場感を感じてもらえたら、と思う。
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