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“適応障害で休職中”という言葉が、自分を少しずつ苦しくしてきた

「適応障害で休職中」

noteを始めたとき、自分で背負った肩書きだった。

でも10日目くらいで、すでに違和感があった。

この言葉が、自分に「休んでいる理由」を貼り付けているようで、少し苦しかった。

それでも気づけば、4ヶ月半。

今もこのラベルに頼っている自分がいる。

その感じが少し重い。


この言葉に頼ってきた時間

この言葉は最初、自分を守るためのものだった。

休職した直後は、なぜ働けなくなったのかも分からなかったし、どう説明すればいいのかも分からなかった。

振り返ると、きっかけのひとつは上司の言葉だった。

事実ではないことを、事実のように決めつけて言われて、それが怖かった。

その出来事をきっかけに、自分の中で職場そのものが安心できる場所ではなくなっていった。

その後、元同僚から聞いた話や、

職場を離れてから見えてきた会社の本音のようなものも重なっていく中で、
少しずつ「安心できる場所ではない」という感覚が固まっていった。

ただそのときは、それをうまく言葉にできなかった。

ただ混乱していた。

そんな中で「適応障害」という言葉は、自分の状態を一度受け止めるための説明になった。

少し安心したのも事実。


いつの間にか“説明の中心”になっていた

気づいたら、この言葉が自分の説明のほとんどを占めていた。

すべてが「適応障害で休職中」で済んでしまう。

便利ではあるけれど、そのぶん違和感も出てきた。


それ以外の自分が薄くなる感覚

今の自分は何なんだろうと思う。

「適応障害で休職中の人」

それは事実としては合っている。

でも、それだけで全部説明していいのかと言われると、少し引っかかる。

それ以外の自分が薄くなっていく感覚がある。


少しずつ見え方が変わってきた

休職してから生活は静かになった。

テレビの音も、人の流れも、情報のスピードも、以前よりしんどく感じることがある。

その代わり、考える時間は増えた。

ただその分、自分を説明する言葉に頼る回数も増えた気がする。


最近は少しだけこう思う。

「そういう状態の途中にいるだけなんだ」と。

固定された説明ではなく、流れている途中の状態。

その方がしっくりくる。


こういう違和感はすぐ流れていく

こういう小さな違和感は、そのままにしていると日常に飲まれていく。

だから今朝気づけたことは、それだけで少し意味がある気がしている。


ここまで読んでくれてありがとう。

もし、この「ラベルで自分が狭くなる感覚」や
「説明してるのに自分が薄くなる感じ」がもう少し深いところで引っかかっているなら、

もう一段だけ深く整理した記事がある。

この違和感を、

  • なぜラベルで思考が止まるのか

  • なぜ説明しても苦しさが残るのか

  • “適応障害の人”になっていく感覚の正体

  • 自分を固定しないために必要な視点

という形で分解している。

👉【“適応障害で休職中”を使いすぎてる気がした】

この先は「気づき」じゃなくて、「構造の話」になってる。


もし同じ感覚があるなら

自分の状態をひとつの言葉で説明しすぎている感じや、説明しているのに自分が薄くなる感覚があるなら、

それは悪いことではなく、まだ整理の途中にいるだけだと思う。


あとがき

ちゃんと説明できることと、ちゃんと自分を理解していることは違うと思う。

今はまだ途中。

焦らず、少しずつ言葉にしていけばいいと思っている。


もし「分かる」と思ったらスキを押してもらえると嬉しいです。

コメントで感じたことを教えてもらえるのも、今後の参考になるので、ぜひお願いします。
(全部ちゃんと読んで、なるべくコメント返します!)

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