【番外編②】SNS撮影で踊り、看護師なのか何なのか分からなくなった話
朝礼の後、急に言われたのが始まりだった。
「じゃあこのあと、廊下で動画撮るね」
え。
動画。
廊下で。
私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
美容クリニックに入職したばかりの私は、
まだ自分のことで精一杯だった。
そこへ突然、動画である。
しかも、会議室でもスタジオでもない。
廊下。
美容クリニックの廊下で、
スタッフが並んで、
スマホを向けられて、
何かを撮るらしい。
私は看護師として入職したはずだった。
採血をして、施術の介助をして、
お客様の対応をする。
それなのに、気づけば私は、
カメラの前に立っていた。
1. SNS担当の先輩の手には、いつもスマホがあった
美容クリニックのSNSは、
もっと専門的なチームが作っているものだと思っていた。
広報担当がいて、
外部の業者がいて、
台本があって、
撮影担当の人がいて、
きれいな人がきれいに映る。
そんなものを、勝手に想像していた。
少なくとも、地方の病棟にいた頃の私はそう思っていた。
でも実際は違った。
私がいたクリニックでは、
普通の看護師がSNSの動画撮影も、投稿も、リールの文章も考えていた
しかも、ほぼ一人で。
その先輩の手には、いつもスマホがあった。
施術の合間にスマホ。
記録の合間にスマホ。
お客様対応の合間にスマホ。
「今日これ撮れる?」
「この文章どう思う?」
「このリール、もう少し伸ばしたいんだよね」
そんな会話が、普通に飛んでくる。
え、これを看護師がやるの?
私は内心、かなり驚いていた。
注射もする。
施術も覚える。
接客もする。
売上も気にする。
そして、踊る。
いや、最後だけ急にジャンルがおかしい。
けれどあの場所では、
それも仕事の一部だった。
最初の撮影では、
カメラの前でいくつか質問に答えた。
どの施術が好き?
自分の顔のチャームポイントは?
好きなタイプは?
そんな質問に答えながら、
その場でポーズを決める。
なかなか難易度が高い。
私は笑っているつもりだった。
でもたぶん、顔は引きつっていたと思う。
そりゃそうである。
昨日まで病棟でナースコールに追われていた女が、
今日は美容クリニックの廊下で、
自分のチャームポイントを聞かれている。
人生、急にジャンルが変わりすぎている。
戸惑いはあった。
それでも、
「みんなやってるし」
と自分を納得させていた。
美容クリニックとは、こういう場所なのだろう。
そう思うしかなかった。
2. そして、撮影は増えていった
しかし、撮影はどんどん増えていった。
記録をしていると、急に個室に呼び出される。
SNS担当の看護師の先輩の手には、スマホ。
嫌な予感しかしない。
「今から音楽流すから、一緒に踊ってね」
は?
「◯◯ってアイドルの曲だよ。分かるよね?」
分かるわけあるか。
私は心の中で叫んだ。
しかし、もう一人呼び出された先輩は、
なぜかノリノリで踊っている。
えっ、マジかよ。
そう思ったが、やるしかない。
曲も分からない。
振り付けも分からない。
そもそも、なぜ私は今ここで踊っているのかも分からない。
それでも、ぎこちないなりに何とか踊った。
すると先輩に言われた。
「◯◯ちゃん、下手すぎ〜」
そりゃそうである。
知らない曲を突然流されて、
その場で踊れるほど、私の運動神経はよくない。
ましてや私は、
オーディションを受けに来たわけではない。
看護師として入職したのである。
そう言われて、内心少しホッとした。
下手だったのだから、
もう呼ばれないだろう。
そう思った。
でも同時に、少しだけ残念でもあった。
出たくない。
でも、もう呼ばれないと思うと少し寂しい。
自分でも面倒くさい女である。
そんな私の面倒くささなどお構いなしに、
撮影はそれで終わらなかった。
3. たぶん私は、ちょうどよかった
その後も、私は何度か撮影に呼ばれた。
自慢ではない。
むしろ逆である。
おそらく、私がSNS撮影に呼ばれたのは、
目立っていたからではない。
美人だったからでもない。
美意識の高いスタッフたちの中で、
地方の病棟から来た、どこか芋っぽい看護師。
踊りも下手。
表情もぎこちない。
カメラの前で、明らかに慣れていない。
今思えば、
ちょうどいじりやすかったのだと思う。
なかなか悲しいポジションである。
楽しくはない。
全然うまく踊れない。
それなのに、呼び出されたら断れない。
呼ばれたら行く。
言われたら笑う。
撮り直しと言われたら、もう一回やる。
周りからは、
私もノリノリでやっているように見えていたのかもしれない。
だとしたら、損な役回りだった。
4. 最初は正直、うれしかった
撮影に呼ばれた後、
教育係の先輩の態度がさらに厳しくなったように感じた。
もちろん、本当のところは分からない。
ただ、少なくとも私はそう感じていた。
目立ちたい。
キラキラしたい。
そんな気持ちが、まったくなかったと言えば嘘になる。
最初は正直、うれしかった。
憧れていた美容クリニックの、
動画の向こう側に自分がいる。
そんな気分になった。
我ながら、単純な女だった。
でも、その気持ちは長く続かなかった。
カメラの前では笑う。
終わったら怒られる。
また呼ばれたら、また笑う。
その繰り返しに、少しずつ疲弊していった。
もう出たくない。
そっとしておいてほしい。
そう思うようになってから、
私は職場で息を殺すようになった。
目立たないように。
呼ばれないように。
存在していないかのように振る舞うようになった。
動画の向こう側に行けた気がして、
最初は少し浮かれていた。
それなのに、いつの間にか私は、
誰の視界にも入らない場所を探すようになっていた。
5. 嫌だったのは、踊ったことだけではなかった
今思い出しても、少し恥ずかしい。
カメラの前で踊ったことが、ではない。
嫌だと思いながら、
何も言えずに笑っていた自分が、である。
「嫌です」と言えばよかったのかもしれない。
でも、言えなかった。
新人だった。
空気を壊したくなかった。
感じの悪い人だと思われたくなかった。
また何か言われるのも怖かった。
だから笑った。
笑うしかできなかった、
という方が正しいかもしれない。
今なら、少しは分かる。
美容クリニックにとって、SNSは大事だ。
だが当時の私は、まったくついていけなかった。
気づけばカメラの前で笑っている。
しかも、うまく笑えていない。
私、今、何の仕事をしているんだろう。
何度もそう思った。
美容クリニックは、
人に見られることまで仕事になる場所だった。
そして私は、
見られながらうまく笑える人間ではなかった。
美容クリニックには、
本編では書ききれなかった裏側がまだありました。
きれいな世界だと思っていた場所で見た、
美容への本気度。
スタッフたちが顔や歯や肌にかけるお金。
そして、私が美容クリニックで病んだ本当の理由。
番外編として、こちらにも書いています。
↓ 【番外編①】美容クリニックで働いて知った、きれいな世界の裏側
↓ 【番外編③】体感9割。美容クリニックのスタッフは歯に課金していた
↓ 【番外編④・完結】美容クリニックで病んだのは、仕事ができなかったからではない
美容クリニック編の全体の流れを読みたい方へ。
全12話はこちらにまとめています。
↓ 全話まとめはこちら
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