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「パラレルワールド」って本当にあるの?→「あたりまえじゃん」

ただの宇宙人、梅太郎です。

朝起きて、

「あ、今日は嫌な世界に来ちゃったな〜」。
「あ、今日は軽くていい感じだな〜」。

そういう空気の違い。これって何なんだろう。

ということで、今日は「世界のお引っ越し」についてお話しさせてください。

「私たちは、常にお引っ越しをしている」。
と、聞いたことのある人も多いと思います。

私たちはずっと同じ場所に留まっているのではなく、今存在しているところとは別の世界にたまにお引っ越しをすることがあるのです。

いわゆる「パラレルワールド」というものですね。
世界は1つなのではなく、たくさんある。たくさんというのも、数えられるような規模ではなく、無数。人の可能性の数だけ、世界はあるという考え方です。

パラレルワールドは、「平行世界」、「並行現実」などと言って、物理学の分野などでも、使われている言葉・概念です。
SF(サイエンス・フィクション)では古典的で、おなじみの世界観ですね。

今日は、パラレルって本当に存在するのか?
なぜ存在するのか?
引っ越しする意味は?

といったところを見ていきたいと思います。

パラレルってマジ?

そもそも、パラレルワールドは本当に存在するのでしょうか?

答えは、「はい、あたりまえに存在します」です。

前提として、宇宙とは無限の世界です。
空間、物質、時間という制限がなく、「思った瞬間にすべてがある」のが、宇宙での常識です。

しかし、地球という場所は逆です。
空間、物質、時間に縛られ、何事も思いどおりにいきづらい世界。
何なら、「願ったことがぜんぜん叶わないじゃないか!」と思ってしまうような不便な場所です。

ですので、地球的な肉体感覚、意識(思考)のようなレベルからいくと、「パラレル」という感覚は実感しづらいものです。

「私たちはいつも別の世界に引っ越しているんだよ」と言われても、いや、でも「何も変わってないし」というのがふつうの感覚です。

「過去の記憶はしっかりあるし、別に登場人物も変わらない」。
昨日も今日も、1年前も2年前も、過去から続く同じような日常があるだけ。
そんなふうに感じます。

だから、

パラレルとか絶対ウソでしょ。
ってか、何そのウソ? 何の意味があるわけ?
フィクションと現実とは区別しようよ。

と、そんなふうに思ってしまいます。

実際、パラレルというのは、移動したからといって、基本的に何か劇的な変化が起こるわけではありません。

本当はみんな日々移動しているのですが、そのことには気づきません。

ここがまず、パラレルを理解するための第1ステップです。

目に見える世界では、あまり変化がない(そのように見える)のです。
そのように、認知をしてしまうのです。

だから、「目に見えるものがすべて」という教えを受けている私たちには、ツッコミどころ満載の概念となってしまいます。

では、パラレルとは、どういうものなのでしょうか。
お引っ越しとは、具体的に何が起きているのでしょうか?

まず、パラレルワールドへの移動で起きているのは、「エネルギーの移動」です
肉体が引っ越ししているわけではなく、「自分のエネルギー」が、別の世界へお引っ越ししているんですね。

「異世界転生」の物語がよくありますが、あの手のものがイメージとしては結構近くて、肉体ごと移動するのではなく、あくまでもエネルギー(魂)が別世界に移動するのです。

私たちのエネルギーが低くなれば、低めの世界へ。
高くなれば、高めの世界へ行く、というような考え方です。

ただ、低くなる、高くなると言っても、基本的にものすごく上げ下げが激しいものではありません。

昨日「100」だったものが、「99」になったり、「101」になったり、という感じ。
対して、宇宙のエネルギーは0が∞に続く、途方もなく大きな世界です。

だから、基本的には「似たような地球」に移るだけ。
物理的にはあまり変化がないように感じるのですね。

そう言うと、ますます「引っ越し」の意味がわかりません。
「なぜそんなことをするのか?」という理由がわかりませんね。

パラレルの仕組みがある理由

そもそもパラレルワールドというのは、宇宙ではごく一般的な感覚です。

というのも、世界を「物理的(三次元的に)」捉えるのではなく、「エネルギー」で捉えたときに自然に起きる現象だからです。

エネルギー的(宇宙的)な観点から見ると、「世界」というのはある「特定のエネルギーのかたまり」です。

特定のエネルギーのかたまりとは、言い方を変えると、「一定の周波数帯」とも言えます。

数学的に言えば、「座標」ですね。
Xがいくつで、Yがいくつ、Zが……と、一定のエネルギーの数値で構成された空間、これが、私たちが「世界」と呼んでいるものです。

感覚的な例としては、ラジオやテレビをイメージしてみましょう。
ラジオもテレビも、周波数(チャンネル)を変えると、やっている番組が変わりますよね。

私たちは、聴きたい、観たい番組に合わせて、チャンネルを変えます。

パラレルワールドへのお引っ越しも、実は同じことなのです。
つまり、自分の周波数が変われば、受信できる世界が変わります。

自分の周波数を変えて、観たい世界に行く。
住みたい世界を変える。

これが、仕組みとしてのパラレルワールドです。
「思ったことが、すべてそのまま起きる」のが宇宙の本質だからです。

周波数を変えれば、受け取れるもの、見えるものが変わるのは当然。
だから、「何なん? パラレルって? 何の意味があるの?」という地球人の質問に対しては、

「特に意味なんてないよ。もともとそういうものなんだって。宇宙って。(なんでわかんないかな……)」

と答えたくなるのが、宇宙的な感覚でしょう。

つまりパラレルワールドって、特別な概念でも何でもないのです。
そもそも、宇宙がそういうものなんです。

宇宙には、物理的な制限、空間的な制限、時間的な制限なんてありません。

行きたい場所へ、行きたい時空へ、得たいものが、描いた瞬間に行けるし、出てくる。これが宇宙という世界の本質なので、そのことをわざわざ「パラレル」と呼んだりはしません。

その点、地球では、「パラレルワールド」という概念(言葉)自体が、私たちの理解を妨げてしまっています

「パラレル(平行・並行)」という言葉自体が、「別の世界」=「特別なもの」という三次元的な発想からスタートしているからです。

もともと私たちは、無限で自由な世界にいるんです。

真実は、「行きたい場所に、行くことができる」

なのです。その意味では、パラレルなんていう概念を捨ててしまったほうが、今回の話はわかりやすくなります

この、「行きたい場所に行ける」を、地球上という制限だらけの世界で行ってみようというのが、私たちが地球にいる理由の1つなのです。


「記憶」も本当ではないかもしれない

では、また地球視点に戻って解説をしてみます。
「別の世界へのお引っ越し」は、本当は誰もがしています。

「昨日と今日では違う世界」というレベルの話ではなく、本当は、今この瞬間にも、お引っ越しは可能です。もうしているかもしれません。

分単位、秒単位でお引っ越しは起きるのです。

そこで、地球人的な感覚で見たときに理解できないのが、「って言っても、何も変わってないよ?」という疑問。

疑問というか、怒りに近い不満でしょうか。
そんなの詭弁じゃん。結局、知ったところでどうにもならないよね。というフラストレーション。

これに、宇宙はどう答えてくれるのでしょうか?

先ほど、「自分のエネルギーの高い・低い」によって世界が変わる。
ただし、この高い・低いには基本的に劇的な変化がない。だから、「世界が変わらないように見えてしまう」と説明をしました。

でも、これには例外があります。
例外ケースを考えてみましょう。

そもそも、日々、エネルギーの高い・低いが大きく変わらないのは、私たちが意識的に強い制限をかけてしまっているからです。

「こういうものだよね」という三次元的な観念が、本来無限であるはずのエネルギーの移動をブロックしています。

「パラレルワールド」という概念自体が、その原因の1つとなっているように、さまざまな言葉と概念に私たちは縛られています。

逆に言うと、この概念の支配から脱していくと、エネルギーの移動もどんどん自由になってきます。
理論的に言えば、「ぜんっぜん、違う世界」「まったく違う星」にもお引っ越しはできるのです。

そもそもなのですが、人間の認知は、結構いい加減です。

ある出来事に対して、人によって記憶が違います。
そのときの感情(エネルギー状態)によって、内容のディテールや印象が変わったりします。

同じことを体験しても、覚えている人、覚えていない人がいますよね。

私たちは自分が受け取りたいものしか受け取りませんし、そのときの気分によって簡単に事実をゆがめてしまうのです。

そういうものなんですね。
めちゃくちゃ、あいまいなんです。

それがダメという話をしたいんじゃありません。

むしろ逆で、言いたいのは、これ。↓

「認知なんて、かなりいい加減なもの」。
実はこれ、意識のブロックを外すのに大切な考え方なんです。

人の記憶。
「過去にこういうことがあった」という認知。

果たして、これは常に一定なのでしょうか?
絶対的なものなのでしょうか?

いやー、そうでもないんじゃない? 

というのが、(私の内にある)答えです。

「過去は絶対にこうだ」とか「記憶は正しい」とか、そうした思いこそが、執着なのです。三次元的なエネルギーの源なのです。

「どうでもいいよ、そんなの」
「ぜんぶ自由なんだから」
というのが、宇宙的な発想です。

「昔はこうだった」とか「こうに決まっている」とか、そういう考え方こそが、私たちに制限をかける呪いなんですね。

本当は、「自分」だと思っているこの肉体や、「過去はこうだった」という記憶すら、今突然生まれたものかもしれない。

一瞬前まで、まったく違う人生を生きていたかもしれない。

本当は、別の星と地球を行ったり来たりしている存在なのかもしれない。

それくらいのレベルで、「何でもあり」なのが宇宙なんですね。

自分に合ったエネルギーの世界に引っ越すというのは、そういうことです。

だから大事なのは、魂とのつながりだけ。
いつの瞬間も、きちんと内側とつながっていること。

「必要なことが起きる」というのが宇宙の本質ですから、「今浮かんでいること」や「今置かれている状況」、「覚えていること」は、何らかの意味があるということ。

それだけわかればいいのです。

意味を内省し、必要だと思えばキープ&対処。いらないと思うなら、手放す。それだけでいいのです。

ふと思い出したことによって、ぐじゃぐじゃ考えたり、不快なエネルギーになるのだったら、そこにフォーカスせず、「自分にとってベストな在り方」に戻ります。

どんなエネルギー状態にいたいか?
思い出します。

息が詰まっていたら、息を吐きましょう。

ふーーーーーーーーーーーーっと。

緊張をゆるめて、理想の在り方を思い出します。

ああ〜〜〜、心地いいなぁ。

最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

その瞬間、お引っ越しができます。
そして、理想の世界にまた一歩近づきます。



世界は、みんなの意識の映し鏡

なぜ、自分の在り方だけを意識していればいいのか。

そもそも地球とは、私たちのエネルギーを物理的に反映する世界です。

みんなの意識や潜在意識を、三次元にする。そういう鏡のような世界です。
人間だけに限らず、地球に存在する生命という生命、すべてのエネルギーが反映されています。

たとえるなら、映画館で観る映画です。
観客の意識が反映されて、それが映像になる世界。

みんなでつくる現在進行形の物語。
魂の映し鏡。

これが地球の姿なんですね。
だから、地球という環境は珍しいし、宇宙人にとっても興味深い存在なのです。

みんなでつくるのが世界(地球)の姿。

でも、だから他人がどうこうという話ではありません。
むしろ、他人を変えようなんて思わないことです。

他人を変えようとか、そういうのは「三次元的」で「支配的」な、呪術の力の世界になりやすいからです。

三次元的になるということは、エネルギーレベルが下がるということです。
エネルギーレベルが下がるというのは、望ましいことではありません。
だって、どんどん環境がハードになっていくのですから。

だから、他人は関係ありません。考えないほうがいいのです。
よりよい物語を観たければ、自分のこと(=自分の在り方)だけに集中していればいいのです。

なぜか?

その答えが、今回のテーマ。
「世界はパラレルだから」です。

私たちは自分のエネルギーに応じて、より自分に合った世界にお引っ越しができるからです。

エネルギーは、近しいものに反応します。同時に、より強いエネルギーが中心となり、そのまわりに影響を与えていきます。

そういう性質を持っています。

だから、自分が強く光れば、まわりも光っていくということです。

ですから、何を知っても、知らなくても。

どこまでいっても、大事なのは、あなたの在り方。
ただそれだけだよ、ということなのです。



ということで、結局、パラレルかどうか、移動したかどうかなんてことも、本当は気にしなくていい。

だって、元から宇宙はあいまいで、ファジーなものだから。

そのとき、そう感じたことは真実なのだ。
しかし、その真実にすら、こだわってはいけない。

どこまでいっても、私たちは自分の在り方だけ考えてればいいんだ、という話なのです。



ちなみに、最後にちょっと余談で。

同じ観点でいくと、「歴史」も、実はあいまいなものです。

宇宙の仕組みから考えれば、「1つの歴史が連綿と続いている」というのは結構疑わしく、歴史とは「さまざまな世界で起きたことがツギハギになっているのでは」なんて私はたまに考えます。

たとえば、今文明がリセットされたとして、「これまでの歴史はウソでした。これが本当の歴史です」と再教育されたとします。

私たちは、以前の歴史も知っている。
そして、新しい歴史も知っている。

では、その子どもは?
さらにその子ども(孫世代)は?

私たちが、もう大正や明治以前の実情をほぼ知らないように、歴史に関する認知も、変えるのはそう難しくないと思います。

「ネットがなかった時代」がすでに遠い過去になりつつあるように、常識(共通の認知)はけっこう簡単に書き換わります。

たとえば、「滅びた文明」「地下文明がある」「巨人がいた」なんて話もよくありますよね。

「フィクション」として描かれているものは、「0から」は決して生まれていません。実際に起きたことが、エネルギーを通じて、創作者に流れてきて、生まれるものです。

それらは、別世界の話かもしれないし、今いる世界と続いている世界の話かもしれません。

私たちが習ってきた歴史というのは、今の私たちのエネルギーに合わせた歴史、とも言えるのかもしれない。

なんて考えます。
そのあたりのお話しも、またいつかするかもしれません。

それでは、お読みくださり、ありがとうございました!
ではまた!

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