「まあいいや」と思った瞬間、馬は止まった
諦め癖があった私が、変わった理由
子どもの頃から、諦めるのが早かったと思う。
うまくいかないと、先に来るのは
「もういいや」
「まあいいや」
だった。
傷つくのが怖かった。
失敗して、また何か言われるのも嫌だった。
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさいね」
そう言われて育った私は、諦めることを「弱さ」ではなく、
身を守る方法として覚えた。
親を責めたいわけじゃない。
ただ、当時の私は、それが自然な生き方だと思っていただけ。
何よりも、楽だった。
馬を本格的に始めたとき、こんなに楽しいことがあるのかと思った。
毎日乗った。1日中乗っていた。朝から夜まで。
ただ、楽しかった。
でも、しばらくして気づいた。
好きなだけでは、乗れないんだと。
練習馬にランダムに乗っていた頃、
癖のある馬に当たることが増えた。
その馬たちは、すぐに私の隙を見つけた。
気持ちが散ったとき。
迷ったとき。
そして、諦めたとき。
次の障害へ向かっていたとき、
ふとこんな気持ちがよぎったことがある。
「まあ……飛ぶかな。飛ばないかな。どっちでもいいかな」
そんな中途半端な気持ちで向かった障害。
馬は止まった。
怒っているわけでもない。反抗でもない。
でも私は、こう言われた気がした。
「そんな気持ちなら、しんどいし行かないよ」
「どっちでもいいんでしょ?」
一瞬の迷いだったのか。
体のわずかな力みだったのか。
理由はわからない。
でも馬には、すぐ伝わっていた。
「まあいいや」は、馬には通用しなかった。
乗るたびに、少しずつわかってきた。
馬と運動するとき、何を目標にするのか。
この時間で何を求めるのか。
終わるとき、馬にどうなっていてほしいのか。
きちんと向き合わないとダメなんだと。
最初から最後まで向き合わないと、
ただ惰性で乗っているだけになる。
中途半端に向き合えば、中途半端な結果しか返ってこない。
馬をきちんと動かすのは、実はかなりしんどい。
楽なところだけで動かそうとすると、馬も楽をする。
もういいや。
そう思うとダラダラとした運動になり
なんの成果も得られず、次に人も馬も苦しくなる。
でも、一緒に頑張ると、ある瞬間が来る。
急に呼吸が合う。
身体が軽くなる。
「今だ」と思う時間が来る。
私は、その時間が大好きだった。
柔らかく、動きがしなやかな背中。
しっかりと踏み込む後ろ足。
首も口も抵抗がなく、気持ちよく動く。
最高だなーと毎回思う。
自馬を持ち、グレードが上がるにつれて、向き合う質も変わった。
格の高い馬ほど、こちらの曖昧さは通用しない。
常歩ひとつでも感じることがある。
これじゃダメだと・・・。
自分自身も変わらなければ、馬はついてこない。
何十年も乗り続けて、ある日ふと気づいた。
あんなに「まあいいや」だったのに
諦めない気持ちが、いつの間にか育っていた。
誰かに教わったわけじゃない。
「変わろう」と決めたわけでもない。
馬は、私の性格を責めたわけじゃない。
ただ、迷いも諦めも、そのまま返してきた。
だから少しずつ気づいた。
「諦めない人になろう」と頑張ったんじゃない。
これは、日常も同じなのかもしれない。
向き合う環境が、人を変えていく。
馬が私を変えたように。
諦め癖は、弱さじゃなかった。
傷つかないための、生存戦略だった。
でも馬には、その戦略は通用しなかった。
だから私は、少しずつ変わっていきました。
「断れない」
「自分を後回しにしてしまう」
それも、もしかしたら同じ根っこなのかもしれませんね。
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