【韓ドラ】「目には目を」で悪人は更生するか?『鉄槌教師』を観て僕が考えた教育とエンタメの限界
原題と異なる邦題『鉄槌教師』が放つバイオレンスなビンタの裏にある、教育のジレンマとエンタメの限界をアラフィフITマンがロジカルに斬る!
■ 毎晩の「実験室」で、僕が出会った問題作
僕は、3年前から毎晩ドラマを欠かさず観ている。
基本的には韓国ドラマが主食だが、最近は時々、日本のドラマをつまむこともある。
世界を遊び場とする僕にとって、夜のドラマ視聴は感性をアップデートする大切な実験の時間だ。
前回観た『ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語』は、都会に生きるアラフィフサラリーマンの僕にとって身につまされる、実に追体験しやすいテーマだった。
そして今回、ネクストステージとして選んだのが、最近巷で評判になっている『鉄槌教師』だ。
出演陣を見て、視聴前から僕の期待値は跳ね上がっていた。
『ミセン ー未生ー』や『運の悪い日』、『財閥家の末息子~Reborn Rich~』などでお馴染みの名優イ・ソンミン氏。そして、『未成年裁判』や『Sweet Home -俺と世界の絶望-』で印象的だったキム・ムヨル氏。
この名優たちが揃って面白くならないわけがない(妻は「ミスチルの桜井さんや台湾の俳優シュー・グァンハンに似てるよね!今回ついに見つかっちゃったねー!」と独り言を言っていた笑)
高鳴る胸を抑えながら、僕は再生ボタンを押した。
■ 邦題のミスリード:原題「참교육」との深い溝
結論から言おう。この作品は、日本語と韓国語の「タイトルづけの乖離」によって、視聴者のスタンスが大きく分かれる作品だ。
日本語タイトルは『鉄槌教師』。
予告編を見ても、学校という無法地帯にヒーローが現れ、正義の鉄槌を下すハードコアなアクションモノを想像する。
実際、冒頭の2話までは、主人公のナ・ファジンが『北斗の拳』のケンシロウばりに悪人たちを無双していく。
特に彼が放つあのビンタは、なぜか北斗百裂拳よりも痛々しく、観ているこちらの頬が腫れ上がるかと思うほどだ。
これは、ナ・ファジンのビンタが、単なる暴力ではなく「道を踏み外した少年たちを目覚めさせようとする愛のムチ」という精神的痛みを伴っているからだろう。
とはいえ、本来暴力は容認されるべきではない。
だが、ビンタをかます相手は、他の学生を執拗にいじめている改心の余地がなさそうな少年少女たちだ。
言葉で諭しても響かない子供たちをどう制止すべきか、このジレンマの描き方は実に生々しい。
しかし、この痛々しい「鉄槌」シーンは、物語が進むにつれてトーンダウンしていく。
テーマは、教師へのいじめ、麻薬の流通、モンスターペアレント、不正教師へと派生し、解決策も必ずしもビンタのようなハードコアなものにはならなくなる。
ここに、タイトルマジックの罠がある。
本作の原題は『참교육(チャムキョユク)』。直訳すれば「真の教育」だ。
つまり、テーマの本質は「鉄槌による制裁」ではなく「教育の在り方を正すこと」にある。
アクションの爽快感を期待して観進めた視聴者が、後半「あれ?期待外れだぞ」と感じたとしても無理はない。
もっと言うと、英題は『Teach You a Lesson』で「教訓を与えることや懲らしめること」だ。
そうなると益々、日本語タイトルは商業的に、冒頭の痛快感から成功とも言えるし、最終的な満足度を下げてしまう(失敗)とも言える気がする。
■ 学校モノの限界:予測可能なプロットとストーリーの飛躍
物語は、学校生活の中で生じる社会問題を通じて進展していく。
1話ごとにテーマを区切って進めるオムニバス形式のため、解決までのシナリオが極めてロジカルでわかりやすいのは美点だ。
しかし、全話を観て痛感したのは、「学校で起きる問題のバリエーションには限界がある」という事実だ。
生徒間のいじめ、暴力団との繋がり、少年犯罪、教師の不正、そしてモンスターペアレント。 これらは他のドラマでも手垢がつくほど繰り返されてきたテーマであり、本作での描き方もそこまで大きなイノベーションはない。
『ザ・グローリー ~輝かしき復讐~』の苛烈ないじめ、『未成年裁判』の未成熟な若者が放つ悪意、『弱いヒーロー』の不正。どうしてもこれらの名作が脳裏をよぎる。
テーマが限定され、かつ一話完結に近い形式だからこそ、次回への展開や結末の意外性が薄れてしまったのは非常に惜しい。
さらに、政府が教育局を設置するという政治的背景を盛り込んだ結果、最終的な問題が「麻薬の流通」という、学校の枠を完全に飛び越えたスケールになってしまった。これは正直、話が飛躍しすぎだ。
学校の問題は、あくまで学校の枠組みの中に絞った方が、作品としてグッと引き締まったのではないか。 とはいえ、学校が舞台である以上、先に述べた事件のバリエーションの限界というジレンマがある。
展開に物足りなさを感じつつ、ドラッグ問題まで扱われて物語が学校という枠を越えてしまう点にも違和感があった。こうした少し矛盾した印象を同時に抱いてしまうあたり、この題材の難しさを改めて感じた。
■ 「目には目を」の哲学が、エンタメの爽快感を殺す
本作は徹底して、すべての課題に対して「目には目を、歯には歯を」のスタンスで解決に臨む。
暴力には暴力を、いじめにはいじめを。
ここは最も議論が分かれるポイントだろう。
制作陣の意図は「加害者は、被害者と同じ地獄に落ちなければ、自分の罪を理解すらできない」という思想に基づいているのだと思う。
だが、僕の意見は違う。
そもそも他人の痛みを理解できないからこそ加害者になるわけで、同じ境遇に置かれたところで、彼らが根本的な反省をするとは到底思えない。
そして、この「目には目を」という強固な哲学を組み込んでしまったがために、事件が起きるたび、教育局側がどう動くかが完全に予測できてしまうのだ。
毅然とした対処と言えば聞こえはいいが、「これって本当に正義なのか?」という冷めた疑問が頭をもたげてくる。
ワイヤーアクションや派手なカーチェイスなど、制作に莫大な手間とコストがかかっているのは痛いほど伝わってくる。
だからこそ、中途半端な教育哲学に縛られず、いっそのこと「爽快アクションモノ」に振り切った方がエンタメとして楽しめたはずだ。
それこそ、ナ・ファジンがケンシロウのように、毎回スカッとする鉄槌ビンタでフィニッシュを決めるような、潔い締め方があってもよかった。
■ あれ?これって、あの伝説の学校じゃないか?
そんなことを考えながら観ていた終盤、画面に映ったある学校の校舎を見て、隣にいた妻が鋭く反応した。
「あれ、この学校、冬ソナの学校じゃない?」
言われてみれば、確かに見覚えがある。
気になってすぐに調べてみると、やはりそうだった。
ロケ地は、あの有名な「ソウル中央高校」だ。
かつて日本中を巻き込んだ純愛ブームの聖地が、令和の時代に「鉄槌ビンタ」が飛び交うバイオレンスな教育現場として使われている。
この時代の変遷とギャップこそ、僕にとって最高の「発見」であり、ニヤリとさせられる瞬間だった。
被害者を救済し、学校の威厳を損なう加害者に鉄槌ビンタをはじめとしたお裁きを下す『鉄槌教師』。
ツッコミどころも含めて、エンタメとしての実験作だ。
韓国ドラマの今を知るためにも、ぜひ一度、あなたの目で確かめてみてほしい。
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