見出し画像

1年生の教室に一日いて、「ちゃんとする」で回る世界のしんどさを思った

こんにちは、サチです。

次男の付き添いで、ここ数日、1年生の教室に1時間目から4時間目までいます。

最初は、ただ「学校に慣れるまで一緒にいる」くらいのつもりでした。
でも実際に教室に入ってみると、見えるものが思っていた以上に多いんですよね。

子どもたちの顔と名前が少しずつ一致してきて、性格も見えてくる。
次男がどこで息が詰まって、どこで少し緩むのかも見えてくる。

そして何より、1年生の教室って「ちゃんとする」をものすごく求められる場所なんだな、と思いました。

今日は、そのことを書いてみます。


1年生の教室は、「ちゃんとする」の連続だった

座る。
並ぶ。
静かにする。
話を聞く。
急いで切り替える。
ふざけない。
勝手に動かない。

1年生の教室にいると、当たり前のように見えるこういうことが、実はものすごくたくさん求められているんだな、とわかります。

大人から見ると「それくらいできるよね?」と思うようなことでも、6歳7歳の子どもたちにとっては、けっこう大変です。

そして全員が自然にできているわけではないんですよね。

私の目には、ほとんどの子が「ちゃんとしよう」と頑張っているように見えました。

怒られるから座る。
怒られるから黙る。
褒められたいから頑張る。

もちろん、その中でも、学校という場が合っていて、楽しそうにしている子もいます。少数派だけど。
怒られても、右から左で全く聞いていない子もいる。笑

でも、多くの子は、頑張って指示に従い、環境に合わせているように見えました。


次男も「しんどいけど頑張る側」なんだと思う

うちの次男は、たぶんこの環境が全くダメなわけではなく、だからといって楽々こなせるタイプでもない。

しんどいけど、なんとか合わせようとしている。
頑張ってるけど、ずっと気を張っている。
そんな感じなんだと思います。

だからこそ、朝行き渋ったり、帰ってきたら遅くまで友達と遊ぶことで発散しているのかもしれません。

実際に教室に一緒にいると、次男がどこで緊張して、どこで緩むのかも少しずつ見えてきます。

私が後ろにいて、目が合うだけで安心したような顔をすることもあるし、一人で座っているのが無理な時は私の膝に座って授業を受けることもあります。
逆に、今は、私がいないと息を吐き出す場所がなくなってしまうのかもしれないな、とも思いました。

「学校に行けるかどうか」だけで見ていたら、たぶんこの感じはわからなかったと思います。

今の次男に必要なのは、ただ登校することそのものより、この環境の中で、どこで削られて、どこで安心できるのかを見つけることなのかもしれません。


先生も、子どもたちも、教室には1ミリも余裕がない

教室にずっといると、先生の大変さもかなり見えます。

「教科書の8ページを開いて」
この簡単な指示が、全員完了するまで5分かかったりする。

でも、授業は進めなきゃいけない。
クラスをまとめなきゃいけない。
カリキュラムもある。
安全も見なきゃいけない。

そうなると、どうしても「黙って!」「早く!」と強くて短い言葉になりやすいし、命令口調も増える。
罰っぽい対応も出てくる。

先生にも余裕がない。
子どもたちにも余裕がない。
教室全体に、1ミリも余裕がない。

その中で教育が回っている感じがしました。

だからこそ、どうしても「理由を伝えて納得してもらう」より、「早く従わせる」が優先されやすい。
関係を育てるより、まず場を回すことが優先される。

それをずっと見ていると、なんだか「1年生のための“良い教育”って何なんだろう」と考えてしまいます。


昔の私なら、ここにいる自分に耐えられなかったと思う

そして、今回の付き添いで、もう一つ思ったことがあります。

たぶん昔の私なら、この教室の後ろに座っている自分に耐えられなかったと思うんです。

「なんでうちの子だけ」
「親が付き添うなんて、かわいそうと思われるかもしれない」
「いろんな人の視線を感じて、肩身が狭い」

そういうことばかり気にして、いたたまれなくなっていたと思う。

でも今は、それがほとんどありません。

先生と話し合って、教室への付き添いが今はベストということになった。
だから私は普通に教室にいる。

子どもたちに、「なんでいるのー?」「なんで今日も来たのー?」と真正面からよく聞かれますが(笑)、聞かれたら、「うちの子が学校に慣れるまで、一緒にいるんだよ〜😊」と答えてます。
そこに気まずさや肩身の狭さはほとんど感じません。

座りっぱなし立ちっぱなしで腰はちょっと痛いけど、もし私が今一緒にいることで次男が今後安心して学校に通えるなら、全然安いものだとも思っています。

次男に「こうしてほしい」と言われたことは、可能な範囲でやってみる。
学校の事情があって難しいことは、先生と話し合いながら擦り合わせる。
勝手に「こんなこと許されるはずない」と決めつけずに、本人と学校と一緒に考える。


長男の時の私は、「どう戻すか」ばかり考えていた

今回、教室に付き添っていて何より思うのは、3年前の長男の不登校の時の私とは、見ているものがかなり違うということです。

長男の時の私は、もっと焦っていました。
「どうしたら学校に戻れるか」「このまま行けなくなったらどうしよう」、そういうことばかり考えていました。

教室まで付き添ったことはなかったし、保健室登校に付き添っていた時でさえ、「早くこの場から立ち去りたい」と思っていました。
周りからの目を、必要以上に気にしていました。

でも今は、「学校に行けるかどうか」よりも、まずこの子がどんな世界の中で、どこで苦しくなっているのかを見たい。

この子はどこで削られているんだろう。
どこで緊張して、どこで少し安心できるんだろう。
何がしんどくて、何があれば息が吸いやすいんだろう。

次男の様子を観察したいと思うようになりました。
これは、次男だからというより、私の側が変わったんだと思います。


次男の世界を一緒に見ている

教室に一緒にいることで、見えるものは想像以上に多いです。

クラスの雰囲気がわかる。
誰がどんなふうに振る舞う子なのか、なんとなく見えてくる。
困りごとも見えてくる。
先生との関係性も見えてくる。

次男が毎日どんな世界の中にいるのか、その一部を実際に見ることができる。

これって、すごく大きいことだなと思います。

ただ付き添っているだけではなく、次男の世界を一緒に見に行っている感じがするんですよね。

だから体力的にはちょっとしんどくても、すごく有意義な体験でもある。
最近は、ありがたいとさえ思っています。


おわりに

1年生の教室は、想像以上に「ちゃんとする」で回っていました。

先生も大変。
子どもたちも大変。
教室全体に余裕がない。

その中で、しんどい子がいるのは、全く不思議なことじゃない。
新しい環境で、多くの刺激があり、そのうえたくさんの指示を出される。
次男の行き渋りも、ただの甘えとか怠けではなく、この環境への自然な反応として見える部分が多くありました。

そしてもう一つ、今回の付き添いで思ったのは、長男の時と今回で私の捉え方が変化していたということです。

次男の世界を知らないまま「行く・休む」だけで判断しなくて済むことは、私にとってとても大きいことでした。

今はまだ、付き添いが必要です。
でも私が願っているのは、次男がただ「学校に行ける子」になることではなく、学校を少しずつ安心できる場所として感じられるようになることなんだと思います。

もちろん、慣れたからといって合うとは限らないし、もしこの先も次男にとって学校が苦しい場所のままなら、不登校という選択になってもいいと思っています。
でも今はまず、本人が「ここなら大丈夫かも」と思える形を一緒に探していきたいです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今まさに付き添い登校をしているママさん、お疲れ様です。
私が付き添い登校を2ヶ月続けた中で、母がすり減らないために「やめてよかったこと」は、有料記事にまとめました。

付き添い登校を早く終わらせる方法ではなく、子どもに寄り添いながら、自分を全部後回しにしないための記録です。

👇こちらから読めます。

👇子どものことを考えるほど苦しくなる時に読んでほしい記事

👇この記事を書いてるのは誰?


いいなと思ったら応援しよう!

サチ|40代ワーママ、本音で生き直すノート あなたの応援が、私の創作のエネルギーになります。 チップは「思考の旅」「豊かさの探求」を続けるための原動力として、大切に循環させていきます✨

この記事が参加している募集