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付き添い登校って、一直線には進まない

こんにちは、サチです。

次男の付き添い登校を始めて、そろそろ一ヶ月半になります。

最初の頃に比べると、少しずつ離れられる時間は増えてきました。
でも、だからといってこのまま一直線に「卒業」に向かうわけではないんだな、と最近感じています。

昨日できたことが今日もできるとは限らない。
いけそうと思ったのに、やっぱり怖くなる日もある。

今日は、付き添い卒業って、思っていたよりずっと揺れながら進むものなのかもしれない、ということを書いてみます。


最初の頃より、確実に変わってきたこと

付き添いを始めたばかりの頃は、1〜4時間目までずっと一緒にいて、給食を一緒に食べて、いけそうなら5時間目も……という感じで、ほぼ私もフルで学校にいる状態でした。

でも最近は、少しずつ離れられる時間が増えてきました。

たとえば、20分の中休みには「ママいなくていいよ」と言うようになったし、着替えがある時に「あっち行ってて」と言うことがあります。

前は、音楽の時間なんて、教室の後ろに私がいないと絶対イヤという感じだったのに、最近は「音楽の時間どうする? いた方がいい?」と聞くと、「まぁ、だいじょうぶ。いなくてもいいよ」と言う日も出てきました。

給食の時間も、前なら私が隣にいる前提だったのが、この前は「ごめん、お昼ご飯持ってくるの忘れた。今日の給食の時間、いなくても大丈夫?」と聞いたら、「もー。じゃあ、いいよ、いなくても。でも給食後に帰るから、迎えに来てよ」と言っていて。

全部が急に大丈夫になったわけじゃない。
でも、「ここなら一人でいけそう」が少しずつ増えてきているのは感じます。


でも、昨日できたことが今日もできるとは限らない

ただ、その一方で思うのは、「少し良くなってきた」からといって、そのままずっと右肩上がりに進むわけではないんだな、ということです。

昨日は大丈夫だった。
前は離れられた。
だから今日もいけるかな、と思っても、やっぱり怖くなる日がある。

たとえば授業参観の日、次男は「たくさん人に見られてて嫌だった」と言っていました。

体育の時間も、私のかげに隠れていた。
でも、やりたい運動の時だけはダッシュで出ていって、終わったらまたダッシュで戻ってきた。笑

そういう姿を見ると、やりたい気持ちがなくなったわけじゃない。
でも、人が増えたり、いつもと違う空気になると、それだけでかなり気が張ってしまうんだろうなと思います。

給食も、一度は「いなくてもいい」と言ったのに、やっぱり今も「給食の時間は隣にいてほしい」と言うことがあります。

最初の面談でも「給食が嫌だ」と言っていたし、本人の中でまだうまく言葉にはできない不安が、その時間にはあるのかもしれません。

👇「給食が嫌」と言っていた1ヶ月半前

また、図工の時間に他のお友達がすごく怒られていた日があって、その日以来「図工は嫌だ」と言うようにもなりました。
自分が怒られたわけではないのに、「先生が怖い」と感じたみたいで。

こういうのを見ると、「前はできたのに今日はできない」を、単純に後退とは言えない気がしています。


揺れているのは、むしろ移行期だからなのかもしれない

今の次男を見ていると、付き添い卒業って、ある日突然できるようになるものではなくて、

少し離れられる
でもやっぱり怖い
また少し離れられる
でも条件が変わると揺り戻しがある

みたいなことを繰り返しながら進んでいくものなのかもしれない、と思います。

まさに「子供の成長」その通りですね。笑

ずっとべったり必要な時期から、少しずつ離れていく途中。
その間って、安定しているようで、実はけっこう揺れている。

でも、私はその揺れ自体が悪いことだとは思っていません。

むしろ、移行期だからこそ起きる自然な揺れなのかもしれないなと思っています。


親の役割も、「付き添う」から「見極める」に変わってきた

付き添いを始めた頃の私は、とにかく「そばにいる」ことが役割でした。

でも最近は、少し変わってきた気がします。

今日はどこまでならいけそうか。
何があると不安が強くなるのか。
どの場面はまだ付き添いが必要で、どの場面は少し離れても大丈夫そうか。

そういうことを、その都度見ながら判断する感じになってきました。

そして前より、次男の方から「これは嫌だ」「これは大丈夫」と言葉にしてくれることが増えました。
先生に聞かれた時にも、自分で答えられる場面が少しずつ増えてきています。

それはすごく大きい変化だなと思います。

たぶん、先生側の理解も少しずつ深まってきていて、その分、次男の中にも先生への信頼感が出てきたんじゃないかなと思っています。

だから今は、ただ付き添っているというより、「今日はどこまでいけそうか」を、本人と先生と一緒に見極めている感覚の方が近いです。


卒業って、ある日突然じゃないんだと思う

付き添い卒業って、もっとわかりやすいものかと思っていました。
ある日ふっと、「もう大丈夫です」となって終わるような。

でも実際には、そんなにきれいなものでもないんですよね。

この前、担任の先生にこんなふうに言ってもらったことがあります。

たぶん今後、次男くんはお母さんと一日離れられる時期は来ると思います。でも、離れられるようになっても、やっぱり付き添いが必要になる日って出てくるかもしれません。その時はまた、お母さんに付き添いお願いしてよろしいでしょうか?

私はその言葉が、すごく心強かったんです。

「甘えさせずに、一人でやらせてください」「もう大丈夫ですから」と突き放されるより、ずっと、「一緒に進んでくれている」と思えたから。

たぶん私は、付き添いを“卒業できるかどうか”を、どこかで0か100かで考えていたんだと思います。

でも実際には、1日中離れられる日ができたから即卒業、というより、離れられる日もあるし、また必要になる日もある。
そうやって揺れながら進んでいくものなのかもしれません。

離れられる日もある。
やっぱり怖い日もある。
ちょっと進んだと思ったら、また慎重になる日もある。

それでも、最初の頃と同じ場所にいるわけではない。

だから今は、この揺れを「まだダメなんだ」と見るより、「卒業に向かう途中なんだな」と見た方がしっくりきます。

一直線ではないけれど、ちゃんと前には進んでいる。
最近は、そんなふうに感じています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今まさに付き添い登校をしているママさん、いつもお疲れ様です。
後日談として、私が付き添い登校を2ヶ月続けた中で、母が消耗しすぎないために「やめてよかったこと」は、有料記事にまとめました。

付き添い登校を早く終わらせる方法ではなく、子どもに寄り添いながら、自分を全部後回しにしないための記録です。

👇こちらから読めます。

また、今回の話とつながる記事として、親が現場を見ることの意味や、付き添いが「甘え」ではなく安心を積む時間かもしれないと思ったことについても書いています。
よければあわせてどうぞ。👇

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サチ|40代ワーママ、本音で生き直すノート あなたの応援が、私の創作のエネルギーになります。 チップは「思考の旅」「豊かさの探求」を続けるための原動力として、大切に循環させていきます✨

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