「残り5カ月」でも戦い続けた理由——Lyft共同創業者ジョン・ジマーが語る事業哲学
Uberとの激しい競争、コロナ禍による売上80%消失、そして、自動運転車による業界の構造変化。Lyftの共同創業者であるジョン・ジマー氏は、その創業から IPO、退任後の新会社設立に至るまで、何度も事業の存続を問われる局面に立ってきた。
本稿は、ジマー氏へのポッドキャストインタビューをもとに、ビジネスマン・投資家が参考にできる意思決定の原則を整理したものだ。数字だけでなく、経営者としての思想の根幹を理解するための材料として読んでほしい。
1. レーマン・ブラザーズが教えてくれた「反面教師」
1-1. 文化への違和感が原点に
ジマー氏は、Lyft創業前、2006年にレーマン・ブラザーズに入社した。リーマン・ショックの3カ月前に退社し、カープールのスタートアップ「Zimride」を立ち上げることになる。
「なぜ安定した職場を捨てて、くだらないカープールスタートアップなんかに行くんだ、と言われた」と彼は振り返る。しかし、彼がレーマンで感じたのは根強い違和感だった。
「優れた仕事をすることへの集中より、マネージングディレクターの前でいかに自分をよく見せるかに注力する文化だった」と語り、その経験がLyftで「家にいるのと同じ自分を職場でも出せる環境」を作る動機になったという。
1-2. 採用と文化のROI
彼はこの姿勢を採用にも反映させた。「人は本来、互いに気にかけ合いたいという欲求を持っている。その環境を整えれば、人は自ずとそうなる」という考えのもと、心理的安全性の高い職場を意図的に設計した。
これは単に「いい職場づくり」の話ではない。「人が最高の仕事をするには、居心地よくある必要がある。そこにはROIがある」という、経営上の合理的な判断でもあった。
2. Zimrideを捨ててLyftを作った判断
2-1. 5年間の積み上げを手放す決断
Zimrideは、Lyftの前身となるカープールサービスだ。5年間かけて育てたビジネスを、モバイル時代に合わせた新しいモデル「Lyft」に切り替えるとき、ジマー氏は盲腸炎を患うほどのストレス下にあったという。
それでも決断できた理由はシンプルだった。「Lyftを始めた最初の1週間でウェイティングリストができた。Zimrideにはそんな引力はなかった」——顧客の反応が、何よりの指針だったと彼は言う。
2-2. 「捨てる勇気」と「続ける信念」のバランス
この事例が示すのは、「過去の投資(5年間)に縛られず、顧客の反応に従って決断する」ことの重要性だ。一方で、Lyft自体を諦めなかった粘り強さとは矛盾しない。何を捨て、何を守るか——その判断軸が明確だったことが、両立を可能にした。
3. Uberとの資金戦争——「ゲリラ戦略」の論理
3-1. 圧倒的な資金差の中で
Uberは、サウジアラビア政府から30億ドルを調達した。そのとき、Lyftの手元資金は残り5カ月分。「もう諦めて資本を投資家に返したほうがいい」とまで言われた状況だった。
「Uberは、$3 billionを調達した。我々は5カ月しか残っていなかった。そして、多くの賢い人たちが我々を見捨てた」とジマー氏は振り返る。
3-2. 「9倍の出費」を強いるゲリラ戦術
しかし、彼らはユニークな戦略を選んだ。自分たちのシェアが低い市場——たとえば、シェアが10%の市場——に集中して補助を投下したのだ。
「我々が1ドル割引すれば、シェアが90%のUberは9ドルを出さなければならない。シェアが5%なら、Uberは19ドル必要になる」。規模の非対称性を逆手に取り、大手に不釣り合いなコストを強いる戦い方だ。
「我々はゲリラ戦士のように考えなければならなかった」——この発想の転換が、Lyftの生存を可能にした。
3-3. ミッションが「チームの結束」を生んだ
もう一つの生存要因は、チームの一体感だった。
「我々は宣教師のようだった。どうやって乗り越えるかはわからなかったが、とにかく続けると決めていた」とジマー氏。Uberという明確な対抗軸が「暗役」として機能し、チームをひとつにまとめる力になったという。「最高のスポーツチームにいる感覚だった」という表現が印象的だ。
4. コロナ禍——売上80%消失からの再建
4-1. 一夜にして失われたビジネス
IPOを経て、ようやく黒字化の道筋が見えてきたタイミングで、コロナ禍が直撃した。「密閉空間に他人と乗ることを、なぜか(笑)人々は避けた」とジマー氏は苦笑いしながら振り返る。
売上の80%が一夜にして消えた。「ウーバーにはUber Eatsがあったが、我々にはそれがなかった」。
4-2. 戦略的対応——コスト削減と事業の絞り込み
Lyftが取った主な対応は、デリバリーへの参入検討と、コスト削減の断行だった。「80%の売上を失えば、理論上は80%のコストを削らなければ同水準の収益性は保てない」という冷静な判断だった。
「プレッシャーがダイヤモンドを生む」とジマー氏は言う。コロナ禍による強制的なスリム化が、結果として事業体質の改善につながったという見方だ。
5. 「善人は負ける」論への反論
5-1. 「ナイスガイは最下位になる」は正しいか
スタートアップ界には「カットスロート(冷酷)でなければ勝てない」という見方が根強い。「謙虚さは弱者の証」と公言する著名投資家もいる中で、ジマー氏は別の見解を持つ。
「Uberが我々より大きくなったのは、彼らがより冷酷だったからではない。彼らが先にスタートし、より早くより多くの資本を集めたからだ」
価値観経営と競争力は矛盾しない、というのが彼の主張だ。「クビにした相手からハグをもらったこともあった。それが目的ではないが、人を尊重して扱えば良いことが返ってくる」と語った。
5-2. 「長期志向」としての価値観経営
ジマー氏の整理では、「いい会社」と「強い会社」は二項対立ではない。採用面では「アンダードッグであることへの誇り」を訴え、候補者に「楽な道を選ぶか、カテゴリーを変えるほどの挑戦をするか」と問いかけた。価値観が、採用競争の武器にもなっていたのだ。
6. 自動運転の脅威とLyftの生き残り戦略
6-1. 2016年の予測は「方向は正しく、タイミングが早すぎた」
ジマー氏は、2016年に「自動運転が急速に普及する」と予測したが、現実は想定より遅かった。「サンフランシスコでWaymoが走り始めているのを見れば、この流れは本物だ。ただ私はそれが数年で起きると言いすぎた」と率直に認める。
20年後には「ドライブを楽しみたければ遊園地に行く」時代が来ると彼は見ており、都市設計そのものが変わる可能性を長期的に信じている。
6-2. ライドシェアの「ネットワーク価値」
自動運転時代においても、LyftやUberのようなプラットフォームには強みが残ると彼は言う。
「Waymoが、Lyftのプラットフォームに乗れば、稼働率は上がる。ピーク需要に合わせた車両台数を自前で抱えるより、ネットワークに参加した方が効率的だ」というのがその論理だ。ドライバーの需給データが、最適な稼働計画を可能にするという。
ドライバーの雇用については、「今は常にドライバー不足が課題で、自動化が進んでも新規オンボーディングを止めれば自然に調整される」との見方を示した。
7. 創業者としての退任と「次の章」
7-1. 燃え尽きを認める勇気
ジマー氏は、共同創業者のローガン・グリーン氏が「自分は別のキャリアの章を歩みたい」と手を挙げたことで、自分自身の退任の決断を下した。
「その言葉が、自分自身に許可を与えてくれた。私も同じだと気づいた」と彼は言う。「4,000人の会社でIRやHRをやっている感覚で、最初のころのような"作る喜び"がなくなっていた」という正直な告白が印象的だ。
7-2. 新会社「Yes」への移行
退任後、ジマー氏はYesというベンチャースタジオ的な新会社を立ち上げた。「YコンビネーターとVirginグループと、サーチファンドを掛け合わせたようなもの」と表現する。
コンセプトは、「AIブームの後の世界で何が重要か」を問い直すこと。ソフトウェアが誰でも作れる時代に、人々の生活を実際に豊かにするものに焦点を当てると語った。

