Travis Kalanick氏の新会社Atoms、8年間のステルス経営から始動 ― 食・鉱山・輸送を横断する「アトムズ・コンピュータ」構想
Uberの共同創業者であるTravis Kalanick氏が、ベンチャーキャピタルa16zの共同創業者Ben Horowitz氏と対談したポッドキャストが、シリコンバレーで話題を呼んでいる。番組名は「return of the mack」を意識した回として位置づけられており、テーマは、2011年に果たされなかったUberとa16zの資本提携、2017年のUber危機、そして、Kalanick氏が2017年の退任後8年間のステルス経営を経て育て上げた新会社Atomsの全貌まで多岐にわたる。二人の対話からは、資金調達の駆け引き、企業統治、組織文化の設計思想、そして、「物理世界のデジタル化」という壮大なビジョンが浮かび上がる。本稿では、対談の内容を時系列に沿って詳しく解説する。
1. 2011年、幻に終わったUberシリーズB出資
1-1. 「アンキャップド・アンカー」という交渉術
Kalanick氏は、2011年に実施したUberのシリーズB資金調達の経緯を詳しく振り返った。同氏は、当時、複数の投資家を競わせる「勝者総取り型のオークション」方式で交渉を進めていたという。まず有力な投資家に事業説明をし、相手が前のめりになったところで金額を尋ねられると、「今年シリコンバレーで最も注目される案件の一つになるが、価格はまだ分からない。ただし、少なくともこれ以上にはなる」という言い方で下限だけを示す。同氏は、これを「アンキャップド・アンカー(上限を設けない基準点)」と呼び、交渉の折り合いを探るのではなく、常に「最低ライン」を提示して価格を吊り上げていく手法だったと説明している。
この手法により、最初の投資家との交渉では、前回ラウンドの2倍という水準から始まったものが、次の投資家との面談では、その場で3倍にまで引き上がり、最終的にAndreessen Horowitz(a16z)との間でプレマネー評価額3.75億ドルという水準まで到達したという。同氏によれば、投資家Yuri Milner氏も4億ドルで参入しかけたが最終的には見送ったといい、Kalanick氏は、「セール、決まった」という感覚でこのラウンドを締めくくろうとしていた。
1-2. 夕食の席で告げられた減額
ところが、タームシートの作成が進んでいたある日、Kalanick氏のもとにHorowitz氏から「明日、夕食でも」という誘いのメールが届く。Kalanick氏が、「先にタームシートを送ってほしい」と返信したところ、Horowitz氏は、改めて「とにかく夕食に行こう」と繰り返しただけだったという。この時点で嫌な予感がしたとKalanick氏は振り返る。
サンフランシスコから南に下った小さな寿司店で顔を合わせたHorowitz氏は、「3.75億ドルという話はしていたが、パートナーシップの承認が得られなかった。出せるのは2.1億ドルが精一杯だ」と伝えたという。Kalanick氏は、これにより、すでに交渉していた他の投資家全員に対し、価格を2.1億ドルに引き下げて交渉をやり直さなければならなくなった。同氏は、当時の状況を「一度失った信用を、その場でまた積み上げ直す必要があった」と表現し、非常に気まずく居心地の悪い経験だったと振り返っている。最終的にこのラウンドは Menlo Venturesが主導する形で成立し、これがShervin Pishevar氏がUberに深く関わるきっかけになったという。Kalanick氏は、Pishevar氏があまりに前のめりに価格を吊り上げようとするので、「勝ったんだから、それでいい」と伝え、同じ失敗を繰り返さないよう釘を刺したというエピソードも語っている。
1-3. Horowitz氏側の記憶
一方のHorowitz氏は、当時16件ほどの取締役会を掛け持ちしていた多忙な時期だったと振り返る。Kalanick氏が、ほぼ一人でピッチに来たことは当時としては異例だったとしつつ、プレゼン自体は非常に印象的で「これは勝てる案件だ」と感じたと述べている。ただし、同氏自身は、消費者向け事業の専門ではなかったため、この案件をパートナーのMark Andreessen氏とJohn O'Farrell氏に任せることにしたという。
Horowitz氏の記憶では、従業員向けストックオプションプールを巡る条件面で何らかの行き違いがあり、気づいた時にはすでにPishevar氏がディールを獲得していたという。同氏は、「あの案件は取るべきだった」と長く後悔していたと明かし、皮肉にもその約1年後には競合Lyftの取締役として関わることになった経緯も語っている。
2. 「Benがボードにいたら、2017年は違っていた」
対談の中でKalanick氏は、「2017年にBenかMarkが取締役会にいたら、あの展開にはならなかった」と述べ、Horowitz氏もこれに同意する場面があった。2017年、Uberは、複数の訴訟や経営陣を巡る混乱に見舞われ、Kalanick氏自身もCEOを退任することになった経緯がある。両者は、もしa16zが、2011年の出資を実現させ取締役会に加わっていれば、Uberの企業統治や危機対応は違う形になっていたはずだと振り返っている。
Horowitz氏は、もしUberがそのまま順調に成長していれば、フードデリバリー事業でも自動運転事業でも業界の圧倒的なリーダーになっていた可能性が高いとの見方を示す。実際、Kalanick氏が退任した当時、競合のDoorDashの市場シェアは5%程度に過ぎなかったといい、同氏は、「その後の週に0.1%のシェアを失っていたら、その週末は家に帰れなかっただろう」と、当時のUber Eatsの勢いを振り返っている。
Kalanick氏は、当時の自分たちの積極的な事業手法の一例として、競合Lyftのドライバーを引き抜く社内プログラム(社内では「ショップリフティング」と呼ばれていた)に触れた。Google出身の社外取締役David Drummond氏から「トラビス、その名前は使うべきではない」と指摘を受け、独占禁止法(反トラスト法)研修を受けることになったエピソードも語っている。最終的にこのプログラムの名称は、「北米チャンピオンシップ・シリーズ(NACS)」という、まるで少年野球チームのような呼び名に変更されたという。同氏は、これを、スタートアップが急成長する過程で「海賊から海軍になる」ことの難しさを象徴する出来事だったと位置づけている。上げ潮に乗る挑戦者だった頃には許された強引なやり方も、業界の巨人になった瞬間に全く違う目で見られるようになる、というのが同氏の教訓だ。この経験は、その後Horowitz氏が自身のベンチャーキャピタルを運営する上でも、「もう自分たちは海賊ではない」という自制につながったという。
3. Uber退任後、CloudKitchensの設立と8年間のステルス経営
3-1. ダークキッチンとの出会い
2017年にUberを離れたKalanick氏は、その数ヶ月後、不動産分野に強みを持つ知人が手がけていた小規模なゴーストキッチン事業と出会う。Uber Eatsの立ち上げ以降、レストランではない商業キッチンがプラットフォーム上に現れ始めていたことにはすでに気づいていたといい、この知人が、「一つの物件に30店舗分のキッチンをテナントとして入れる」という多店舗集約型のモデルを試みていたことに強い関心を持ったという。
当初は数店舗のテナントが入っている程度の小さな事業だったが、Kalanick氏は、「数千件規模までやるということだよね?」と確認した上で、この会社(のちのCloudKitchens)を買収する形で経営に参画した。最後に、Uberで臨んだ全社集会は、2万人規模だったのに対し、買収直後の会社はわずか6人だったといい、同氏は「さあ、やろうぜ」と、規模の全く異なる組織の前に立った当時の様子を振り返っている。
3-2. ステルス経営という選択
Kalanick氏は、この期間、意図的に会社をステルス状態(非公開の水面下)に保ち続けたと説明する。理由について同氏は、「明日ニューヨーク・タイムズが何を書くかを気にせず経営したかった」と述べ、2017年の退任前後に浴びた大量の批判的な報道から距離を置きたかったと明かしている。採用や営業も、社名を明かさない「ステルス採用」「ステルス営業」という形で進めるという困難な手法を取らざるを得なかったという。
同氏によれば、CloudKitchensは、国や地域ごとに全く異なる社名で展開されており(米国では、Cloud Kitchens、韓国では、Kitchen Valley、中国では、複数の名称、ロンドンでは、Food Stars、中東では、Kitchen Parkなど)、外部の報道機関が事業の全体像をつなぎ合わせることが極めて困難な構造になっていたという。長期間そうした「情報の空白期間」が続くと、メディア側もその空白を埋められず、結果としてステルス状態が自己強化的に維持されやすくなる、というのが同氏の分析だ。最終的にこの体制のもとで、30カ国にわたり数百拠点規模までCloudKitchensを拡大させることに成功した。
4-3. ステルス経営の代償と組織文化
一方で、Kalanick氏は、ステルス経営には代償もあったと率直に語る。人間には、「自分がやっていることを誇りに思いたい」「家族や周囲の人に誇れる仕事をしたい」という自然な欲求があり、非公開のまま活動することはその欲求を満たせない状態が続くということでもあった。しかし、この制約こそが、外部からの評価や名声を求めるのではなく、社内の基準に照らして正しいかどうかを判断する強い規律を組織にもたらしたと同氏は振り返る。同氏は、外部からの承認を過度に求める組織は判断がぶれやすく、危険な状態に陥りやすいとも指摘し、AI業界の大手企業が外部の評価を意識するあまり不用意な発言をしてしまう構図とも重ね合わせている。
4. 「アトムズ・コンピュータ」という思想と新会社Atomsの誕生
4-1. 物質を計算資源として捉える発想
Kalanick氏は、CloudKitchens(法人としての社名はCity Storage Systems)の背景にある考え方を、コンピュータの構成要素になぞらえて説明する。CPUが、情報(ビット)を処理するように「製造」が物質(アトム)を加工し、ストレージが情報を保存するように「不動産」が物質を保管し、ネットワークが情報を地点間で移動させるように「輸送・物流」が物質を移動させる、という枠組みだ。同氏はこれを「アトムズ・ベースのコンピュータ」と呼び、この発想の原型は、すでにUber在籍時に温めていたものだと述べている。
さらに、具体的な比喩として、キッチン施設全体を30コアのプロセッサに、食品が移動する通路をネットワークバスに、アイスクリームやジュースなどをあらかじめ用意しておく冷蔵倉庫をキャッシュメモリに、配達員をネットワーク上を移動するデータパケットになぞらえて説明している。実際にKitchen施設間の需要配分には、通信プロトコルであるTCPの考え方を応用した仕組みを使っているとも明かしている。
4-2. Uberの「未完成」だった部分
Kalanick氏は、Uberという事業自体は物理世界の輸送を情報化(デジタル化)する取り組みだったが、自動運転技術が実用化されつつある今、その取り組みはほぼソフトウェアだけで完結する状態に近づいていると位置づける。一方で、製造や不動産という領域はまだ十分にデジタル化されておらず、これから取り組むべき余地が非常に大きい分野だと説明する。この認識が、CloudKitchensからAtomsへとつながる思想的な土台になっているという。
4-3. 鉱山事業への参入とProntoの買収
Kalanick氏は、約1年前から、自律走行車両(いわゆる「自律ブリトー」)の技術動向を調べるため、中国や米国内の関連企業を訪ね歩いていたという。この動きが業界内で噂になり始めたことをきっかけに、複数のパートナー企業から声がかかるようになり、最終的に、自律性(オートノミー)を専門に扱う新会社を別途設立することになった。同氏によれば、不動産中心の会社が片手間で自動運転のネットワーク会社を作ろうとするのは無理があり、パートナー企業側も「純粋にその領域に特化した会社」を求めていたためだという。
この過程で、Uber時代に自動運転部門(ATG)を率いたEric Meyhofer氏が、食品ロボティクス部門の責任者として合流し、同じくUberで自動運転を率いた後、鉱山向け自律走行を手がけるProntoを立ち上げていたAnthony Levandowski氏も合流した。Kalanick氏は、Prontoの最大の個人投資家でもあったといい、「よし、行こう」という一言でProntoを買収し、鉱山事業に参入する形になった。
同氏は、鉱山業界の顧客に対し、「年間の金採掘量を20%増やせるとしたら?」と持ちかければ、「証明してみせろ」という反応がすぐに返ってくるほど需要が強いと説明する。鉱山現場は人間にとって最も過酷でリスクの高い労働環境の一つであり、自動化によって生産性だけでなく安全性も大幅に改善できる点を、同氏はこの事業の意義として強調している。
4-4. 一つの資本構造への統合
Kalanick氏によれば、a16zのHorowitz氏に新たな事業計画を説明した際、Horowitz氏は、「個別の事業ではなく、あなたがやることすべてに投資したい」と伝えたという。この一言が、食・鉱山・輸送という複数の事業を単一の資本構造(トップコ)のもとに統合し、新会社Atomsとして立ち上げる直接のきっかけになった。Kalanick氏は、複数の別々の資本構造を管理する煩雑さについて触れ、「イーロンがどうやってあれをこなしているのか分からない」と冗談交じりに語っている。
5. 「インダストリアルAI」という新カテゴリーと第二次産業革命との類似性
5-1. 「フィジカルAI」から「インダストリアルAI」へ
Kalanick氏は、Atoms設立時に公表したビジョンレターでは「フィジカルAI」という、やや理論的・哲学的な概念を提示していたと振り返る。しかし、その後、より実務的で分かりやすい表現として「インダストリアルAI」という言葉にたどり着いたという。これは、ソフトウェア・センサー・ロボティクス・機械を組み合わせたスタックによって、一つずつ産業全体を自動化していくという発想であり、ヒト型ロボットや軍事用途とは明確に異なる領域だと同氏は説明する。
同氏は、この枠組みについて、輸送はあらゆる産業に共通する「水平的」な要素である一方、食・鉱山といった各産業は、「垂直的」な領域であり、Atomsはこの両方を横断する形で事業を組み立てていると位置づけている。
5-2. 第二次産業革命との類似性
Kalanick氏は、現在起きている変化を19世紀後半から20世紀初頭の第二次産業革命になぞらえる。当時のカーネギーやロックフェラー、フォードといった実業家たちが直面した政治的な抵抗と、現在のデータセンター建設を巡る各州の規制論議には多くの共通点があると指摘する。同氏は、一例として、カーネギーの盟友であった実業家フリック氏が無政府主義者にオフィスで襲撃され負傷しながらも、その日のうちに職務に復帰したという逸話(真偽については留保しつつ)を紹介し、当時の実業家たちの気概を象徴するエピソードとして語っている。
さらに、同氏は、第二次世界大戦時にアメリカの産業界を軍需生産に転換させた実業家たちの物語を描いた書籍『Freedoms Forge』にも言及する。自動車生産のノウハウを持っていた実業家が、政府のために低い報酬で産業の総動員を主導しながらも、メディアや政治家から厳しい批判を浴びた歴史を紹介し、これが現在のデータセンター建設を巡る一部の州での規制強化の動きと相似形をなしていると述べている。同氏は、こうした抵抗の正体は、「進歩そのもの」への反発ではなく、「急速な変化」そのものへの自然な反応だと位置づけ、変化を前に進めるには圧倒的なスピードでの進歩と同時に、信頼を築き支持者を増やす努力の両方が欠かせないと説明している。
6. 「アイデア迷路」と起業家の見つけ方
Kalanick氏とHorowitz氏は、優れた企業の誕生を語る際に業界やメディアがよく用いる「ある一つのアイデアがすべてを決めた」という単純化されたストーリーには懐疑的な見方を示す。同氏らは、Amazon・Tesla・SpaceXのようなアイデア自体は他にも多くの人が思いついていたはずであり、実際に決定的な違いを生んだのは、そのアイデアを実行し切ることができた「非常に稀な個人」の存在だったと指摘する。Horowitz氏は、投資判断において重要なのは「アイデアの良し悪し」以上に「それを実現できる人物かどうか」だと述べている。
Kalanick氏はまた、事業の方向性は最初から明確な設計図があったわけではなく、「アイデア迷路」を進みながら学び、次第に輪郭が見えてくるものだと説明する。CloudKitchensという事業に出会った経緯についても、「バーで話しかけられて意気投合し、次の週末には旅行に行き、そのまま関係を深めていった」という偶然性(セレンディピティ)を強調しており、重要なのは、「どこから始めるか」ではなく「なぜ始めるのか」、そして、その情熱を持ち続けられる組織文化を築けるかどうかだと結論づけている。
7. 「問題創出」というマネジメント哲学
Kalanick氏は、自身の経営スタイルを「問題創出者(プロブレム・クリエイター)」という言葉で表現する。同氏が提唱する「メタ問題」というフレームワークでは、自らが新たに生み出す問題の増加ペースが、組織が問題を解決していくペースを上回ってはならないという考え方を示す。もしこのバランスが崩れれば組織は、「水面下に沈む」状態に陥り、その場合はいったん新たな問題創出を止め、既存の問題解決に専念して体制を立て直す必要があるという。
この考え方は、複数の産業(現在は食・鉱山・輸送の3領域)を同時に成長させる上での指針にもなっている。同氏は、ある事業が順調に回り始め現場から特に相談が来なくなった段階こそが、次の新しい領域に踏み出すタイミングだと説明する。実際、Uber時代にはライドシェア事業が軌道に乗った段階で自動運転への投資を本格化させた経緯があり、この判断についてはHorowitz氏も「あの時の判断は正しかった」と評価している。
8. 人材採用と組織づくりの課題
Kalanick氏は、Atomsの立ち上げにあたり、事業領域を3つに広げたことで人材採用のニーズも大きく拡大していると説明する。同氏は、「多額の富を築いた人物を再び雇うのは難しい」と冗談交じりに語りつつ、Uber時代に事業開発を率いたEmil Michael氏(現在は米国防副次官)のような、戦略的な提携交渉を主導できる人材を求めていると述べる。あわせて、法務責任者や鉱山事業のCEO、自律走行やロボティクス領域の技術リーダーなど、複数分野での採用を進めている段階だという。
Horowitz氏は、Uber時代のKalanick氏の強みの一つとして、多くの「本来は自分で起業してもおかしくない人材」をチームに引き入れ、機能させていた点を挙げる。こうした人材を惹きつけ、権限委譲(エンパワーメント)と方向性の一致(アラインメント)を両立させながらマネジメントすることは非常に難易度が高く、Uberが国際展開において現地企業の買収に頼らず、都市ごとに一貫した企業文化を築いていったことも、この管理体制があったからこそ可能だったと分析している。
