かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。
今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。
第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」
第2回「さらば友よ」
Column #1 かくも主観的なハードボイルド考察
Column #2 またも主観的「さらば友よ」タイトル比較論
第3回「モナリザ」
Column #3 私的モンティ・パイソンとイギリス・ギャグ論 Part1
私が子供の頃、イギリスはアメリカよりも遠かった。
外国を知る情報媒体は、各家庭に1台ずつ普及し始めたテレビ。もちろんそれ以前に新聞があったけれど、子供の私には無縁だ。
私が住んでいた街には、まだ米軍のオリーブドラブに塗られたクォンセット・ハット(かまぼこ型兵舎)が繁華街の公園のど真ん中にあったし、自転車で遊びに行った先にはフェンスに囲まれた広大な敷地の向こうに星条旗が靡いていた。
また当時、父はタクシーの運転手をしていて、よく米軍の上士官を乗せていたらしく、アメリカタバコをチップ代りにもらっていた。真っ赤なラークや真っ白なケントが多く、それらはフィルターがついていた。
下士官以下ならタクシーに乗らないし、仮に乗ってもチップ代わりのタバコは両切りのラッキーストライクだったろう。
そんな訳で、身近にアメリカがあったことに加え、父は洋画やアメリカのTV番組(それ以上に巨人軍が好きだったけれど。どーでもいいが軍、ってなんだ(笑))が好きで、チャンネル権のない家族は父の好みの番組に付き合わされることになる。
最初は「じゃじゃ馬億万長者」や「三バカ大将」、「ララミー牧場」に「ガンファイター(拳銃無宿)」やがて「ルーシー・ショー」に「奥様は魔女」、「サンセット77」や「逃亡者」、「0011ナポレオン・ソロ」とアメリカドラマは枚挙に遑がない。とくに「コンバット」は父だけでなく兄も私もお気に入りで、マーチのテーマ曲が始まるとワクワクして見入ったのを覚えている。
余談だが、ララミー牧場にクリント・イーストウッド、ガンファイターにスティーブ・マックイーンが出演していたのは有名な話。
そんな訳で60年代の子供の頃、外国といえばアメリカしか思い浮かばず、それはそれで良かったのだけれど、70年代に入れば勧善懲悪、予定調和にどっぷり浸かっていた子供も難しい年頃になり、世相も反映してひねくれるようになった。
そんなややこしい生意気な私の前に、金曜の夜、突然に現れたのが「チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン」だった。
たぶん、その面白さは半分も理解していなかっただろう。
それでも、厄介で面倒臭かった私なんて、このギャグから見れば、草原で草を喰む羊より素直に思えた。
シュールでスケッチ(ショート・コント)なギャグに不慣れなわけではない。なにしろ「シャボン玉ホリデー」は親父の大好きな番組だった(今でも時折仲間内で誰かが「おとっつあん、おかゆができたわよ?」といえば必ず他の誰かが「いつもすまないねえ」と返してくれる)。
同時期に始まった「ゲバゲバ90分」だって欠かさず見ている。
それでも、この番組が私に与えたインパクトは強烈で、私が認識しているギャグだけでなく、固定観念そのものを破壊した…。
Part2に続く

