LGBTQ+の枠組みは、私を説明してくれない。それは私が私じゃないから。

月曜・木曜に定期投稿しているのですが、今回は定期外で。
エッセイ的というか、ただただ思うことを書くだけの日記です。
たぶん自己紹介。

noteのおすすめだったり、YouTubeのトップだったりで、「プライド月間」の紹介がなされていたもので。
少なからず接触している人間なので、私自身はいかがだろうかと。

webで簡易的に診断できるとのことで。

まぁ概ね想定通りなのですが、「ノンバイナリー」だけひっかかりまして。
言葉としては見たことがあっても、その概念まで深く知っていない。

どうやら日本でいう”Xジェンダー”に近い概念だそう。
ノンバイナリーの場合は、性自認ではなく性表現における概念、と。

だもんで、noteで検索して記事をいくつか読んでみる。
…どうもカッチリはまらない。
私を説明する語として適切ではなさそう。

性別に対する認識

まずは表現として。
自分を女性とも男性とも扱ってほしくなくて、アウトプットそのものに対しての印象、アウトプットを通じた概念としての存在でいたい。

だからこそ、一人称を「私」にしている。
ビジネスでも使える人称代名詞だから。
英語にしても違和感ないし。
「ウチ」「オレ」「小生」「朕」「ボク」「余」
どれも自分自身の印象を形作る気がしてならない。
こわい。

実態としての性別は存在するし、診断の通り性自認との乖離はないので、他者から呼ばれる人称代名詞については違和感ない。
でも自分から提示する、自分の情報というのはボカシて伝えたい。
そんな認識。

そう考えると、ノンバイナリーにカテゴライズされてもよさそう。
でも、なんか違う。

性の分類とは別の軸、もしくは包含概念としての自己認識

なんでかとカッチリはまらないかと言えば、性自認や性指向の軸とは異なった部分でズレてるから。
LGBTQ+の枠組みは、私を説明してはくれない。

私は、私自身の性別を大層嫌っている。
断じて、別に同性の人々が嫌いというわけではない。
正確に言うなら、「私自身が嫌い」だから「私の性別が嫌い」。

ノンバイナリーの件はこれで説明できる。
私自身が嫌いだから、私自身の性別が嫌いだから、表現の上では自分自身の実態を隠すし、性別が特定できるような表現も避ける。
ハンドルネームについても、同じことで記事を書いてた。

私がノンバイナリーであると診断されたのは、あくまで結果としてその枠組みに当てはまるのであって、私自身のアイデンティティがノンバイナリーにあるのではない。
だからしっくり来なかった。

どちらかと言えば「人格障害」もとい「パーソナリティ障害」。
診断を受けたわけじゃないので大きいこと言えないけど、性とは別軸で説明する必要があって、隣接して性表現にも及んでいるイメージ。

つまるところ、私は性的マイノリティの当事者ではない。
真の当事者の方を理解するには及ばない。

関与する人間として

しかしながら、性的マイノリティに分類される方と接する機会は、おそらく多い方であると自認している。
オープンにしている人、そうでない人、両方。

乱暴に言うと、その人がどのカテゴリーに属するかは興味がない。
私自身が何かしらにカテゴライズされることを嫌うから。
その人を形作る言葉さえ、もしくは写真が、見つかればそれで十分だと思っている。

写真を撮るうえでは、相手の印象を形に残すうえで理解が必要なもので、多少なりとも相手の認識を理解する必要がある。
女性的に見られたい人、男性的に見られたい人、日によって変わる人、居たいように居る人。
誰に、どのように見られたいのか。
見られたくない印象は何か。

すると、相手の性自認や性指向についても分かってくる。
分かったとして、誰かに言うことは決してないし、相手に「あなた(の性自認)は○○だから」といった決めつけの枕詞は決して使わない。

あくまで、「私から見たあなたは、こう写った」「私なりに表現したいあなたの像はこれ」という提示。
写真や文章である以上、一定程度の切り抜きや解釈は必要なので、真に本人が表現したい像と一致するわけではないけど。

根底として「ファインダー越しの私の世界に、私を見ないように」を共通させて。

私は私でありたくないけど、私を必要としてほしい

私は私でありたくない。
でも際限のない欲望として「誰かに必要とされたい」を持ってて。
永遠に潤うことのない乾いた欲望、見捨てられ不安。

その影響からか、最近は「誰かに誘われたい欲」で日々悩まされてて。
いくら理解があっても、コミュニケーションを学んだつもりでいても、誘われる人になるハードルはとても高くて、飛び越えられない。
どうしたら頼られますか。
どうしたら友達になれますか。
どうしたら誘われますか。
これがわからんち。

写真たくさん撮って、誰が見てるかも分からないnoteを毎週2回更新して、Twitterで参加型スペース開催して。
なお、なお、人から求められることはない。
一生足掻いていくんだろう、そう感じざるを得ないっす。

ノンバイナリーだと分かったけど、それは私を説明するには足りないし、私を救ってはくれない。
真なる当事者でもなければ、理解も自己満足の押しつけがましいヤツ。
どうせいっちゅーねん。

認知されてないだけで、たぶん色んな人がいる

LGBTQ+はグラデーション。
よく聞きます。
私みたいに、別の軸を足さないと評価できない人間もいる。

私が高校生のころ、いまから10年ちょっと前。
LGBTという言葉が出てき始めのころに、同じくして問題になっていたカテゴライズ、PZN。
たぶん未だに決着が付いていないし、差別もあるし、でもグラデーションの延長ともいえる。
そういう人もいる。

Twitterスペースを開いた名目にも書いた「認知されていないだけで苦しんでいる人がいる」。
声を上げるのが怖かったり、声を上げることが差別を助長する恐れがあったり、そんな人もいるのでしょう。
当事者じゃないと分からない。

私だって当事者じゃないし、当事者になることもあるかもしれない。
あるカテゴライズに当てはまらないからといって、語るべきでないと断ずるのも乱暴だと思うので、思ったことをボチボチ書くのが私のできること。

なにより、派手にアピールしたり過度に意識しなくても、生活の一部として溶け込んでいる状態こそが理想だと思っているので。
あくまで自然に接する。
当然、人としての好き嫌いとか合う合わないはあるけども。
当事者じゃないなりの振る舞いがあると思うので。

そんな私のアウトプットを通じて、あなたなりの「たかはし像」ができてたらいいなと思う今日この頃。
Twitterスペースの感想コメントで「(異性)だと思ってた」って言われててちょっと嬉しくなったりする人間でした。

ああ、バ美肉したい。

いいなと思ったら応援しよう!

たかはしあさぎ ご覧いただきありがとうございます! サポート頂きましたら、役者さんのコーヒー代、撮影機材への投資、資料購入費として使わせていただきます🙏