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1枚の写真が役者人生を変えるか|人物撮りはショーペンハウアーを読め

定期投稿を終えますと前回投稿したにもかかわらず、月曜日に書こうとする習慣が抜けませんでした。
というよりも「書かねば」という気持ちにさせられたので、筆を執ることに。

これまで2年と少しの期間にわたり、役者さんを専門に撮影してきました。
撮影経験の浅い方を多く担当してきたこともあり、活動へ多少なりとも影響を与えたケースが出てきています。

そんななか。
尊敬しているファッション・ビューティーのモデルさんの記事を拝見して思うところがありまして。
その他さまざまな記事や本を引用しつつ「1枚の写真が役者人生を変えるか」を考えていきます。

結論として「人物撮りはショーペンハウアーを読め」で締めます。
これを読んだ方、特にフォトグラファーさんやモデルさん、人と係わる方に対する手紙として。。。

1枚の写真がモデル人生を変える

私が尊敬している、鈴木亜美さん。
モデルとしての矜持や発信力、メンタリティーなど、いつも感銘を受けている方です。
ポージング、スタイル維持、考え方、文筆、話し方など、全方面憧れというか尊敬というか、”推し”と表現するのが適切か不明ですがおそらくそれに近い概念…

https://www.instagram.com/amisuzuki001/

記事は写真の可能性というか、人を撮る意義や魅力が詰まったものです。
ただ見てもらうだけでなく、見た人に影響を及ぼして、さらにアクションを起こさせる。
そんな写真を撮ってみたい、いつか撮れるかも、と勇気づけられるものです。

写真撮影の怖さ

※これ以下は私の感想や考えであり、引用する方々の思想について言及したり貶めたりする意図はありません

今回筆を執ろうと思い立った記事。

ぜひご一読いただきたいですが、本稿で扱いたい部分を抜粋。

撮影が始まってしばらくすると、「胸は手で隠していいから」と上半身の服を脱ぐように言われました。え…なんで?と抵抗はあったものの、指示にNOと言う選択肢が私の中には無く、この業界ではこういう要求も普通なのかもしれない…と思い、受け入れてしまいました。

けれど、そもそもそういう写真が欲しいかったわけではないし、気持ちが追いつかない状態でのその格好は、私にとって恥ずかしい以外の何物でもありませんでした。やってみたものの、私の気持ちは、カメラのシャッターが切られる度に疑問から羞恥・恐怖へと変わっていきました。

鈴木亜美 「NOと言う勇気を持つ」より引用
https://note.com/amiamysuzuki/n/nc81fa8e2b030

字面だけで、吐き気や寒気を覚えました。
私自身はフェミニズムに傾倒してるわけでもないのですが。
それでも「自分が撮影する側で、相手に恐怖を与えていたとしたら」と考えたり、自分を当該のフォトグラファーだったとして想像すると、この世から消え去りたくなるのです。

撮る・撮られるの間柄には、どうしてもパワーバランスの均衡を破ってしまう要素が発生します。
金銭であったり、権力や実績、技量や業界での立ち位置など、様々な要素が絡んで、平衡状態であり続けることが困難なケースが多いです。

何かあった時に「NO」と言える。
この砦だけは、お互いに持つべき・持たせるべきフェールセーフだと思うのです。
たとえ不平衡な関係にあったとしても。

それが崩れたとき、どうなるかという考えたくない事態も実際にありますから。

実害

※ここで引用する記事には、ショッキングな内容が含まれています。苦手な方はご注意ください。

2022年に週刊女性PRIMEで掲載された記事をご紹介します。
約1年前の記事ですが、気持ち悪さが強すぎて今なお脳裏にこびりついています。

2023年に更新版の記事が投稿されています。
民事訴訟の顛末について追記されました。

この記事もさることながら、2022年に性被害やハラスメントの告発が写真・演劇界隈で相次ぎ、「ポートレートを嫌いになった」という記事を書く程度には病んでました。

1枚の写真が役者人生を変えるか

今回のタイトル回収。

「1枚の写真が役者人生を変えるか」の回答は「Yes」。
良くも悪くも、変えられると考えています。

例えば蒼じゅんさん。
私がポートレートモデルとしての道を(私自身も一緒に)開拓してきました。
その流れで撮影依頼が来たり、最近では音楽のMV撮影の依頼まで来るように。

最初は声優に憧れた彼女が、写真を撮られたことで別の道を切り開きました。

その他の役者さんも、映像のお仕事が来たり、ポートレートモデルの依頼が来たり、ファッションのお仕事につながったり。
もともとポテンシャルの高い方々ですから、私が撮らなくても誰かの手で同じ道を進む世界戦もあったでしょう。
いずれにしても、写真をキッカケに役者人生に転換点がもたらされたことは、疑いようのない事実です。

ポジティブな面での転換点、今までにない仕事をもらえたり、自信が付いたり。
ネガティブな面での転換点、人生や心に多大なる傷を負ってしまう取り返しのつかない事態。
良くも悪くも、写真は役者人生を変えます。

では良い方向に導く写真とは何でしょうか。
ここで、書籍を引用して考えを深めます。

幸福のための写真:人物撮りはショーペンハウアーを読め

私が好きな本のひとつ。
ショーペンハウアー著「幸福について」。

拙作『表現の自由研究「幸福」』で大いに活躍してくださいました。
(個人的にお気に入りの記事なので読んでもらえるとハッピー🍀)

その一節にこうあります。

「三つの根本規定」
一、その人は何者であるか。すなわち最も広義における人品、人柄、個性、人間性である。

ショーペンハウアー「幸福について」 鈴木芳子・訳 光文社古典新訳文庫
p.12 より引用

「人間の幸福の主たる源泉はみずからの内面にある」という真実は、いかなる楽しみも何らかの活動、すなわち、なんらかの力の活用を前提とし、(中略)「人間の幸福は、自分の際立った能力を自由自在に発揮することにある」

ショーペンハウアー「幸福について」 鈴木芳子・訳 光文社古典新訳文庫
p.51 より引用

名声を欠くのは、単に無名という事であり、現実に何かが失われるわけではないという消極的なものだが、名誉を欠くのは、恥であり、現実に何かが失われるという消極的な意味合いをもつ。

ショーペンハウアー「幸福について」 鈴木芳子・訳 光文社古典新訳文庫
p.108 より引用

先ほど「写真は良くも悪くも人生を変える」と述べました。
では幸せな方向に変えるにあたって、なにを羅針盤にすればよいでしょうか。
私の思う最も効用の大きい考えは「幸福であること」。

ショーペンハウアーの言葉を借りれば、「その人が何者であるかを自覚でき、自らの力を発揮し、名誉を養える」ことが幸福である、と。

上述の映像のお仕事が来たり~のくだりは、お仕事が増えたこと自体が直接的な幸福でないといいます。
それは名声なので。
お仕事をいただくことで、自分が力を発揮し、誰かの助けになることによって、自分という人物を認めてくれることこそが幸福の根源だと。

翻って。
人物撮りたるもの、被写体を幸福たらしめるために撮れるか。
自分の名声や欲のためではなく、お互いの名誉や幸福のために撮れるか。
お互いが自分の能力を自由自在に発揮しうるか。
自分の行いが、お互いの不幸や不名誉に繋がっていないか。

そんな自省をするためにも。
「人物撮りはショーペンハウアーを読め」。

補遺

私はヌードやヌードに近しいランジェリー・水着、密室で二人きりなどの撮影には消極的です。
しかしグラビアなど、肌を露出することにアイデンティティを持ち、誇りを持って取り組んでいる方を否定・批判する気はございません。
自身の身体的特徴を活かして活躍されていて、幸福に繋がっていることは素晴らしいことと思います。

望まない撮影は批判します。

おわりに

定期投稿終えます宣言からの4,000字over投稿でした。
書くときは書かないとダメな体質になりましたね。

ただ定期投稿じゃなくなったので、推敲の時間を多めに設けました。
お陰様で大見出し1つ分省略したり。
削ることも大事だなとしみじみ。

これを読んだフォトグラファーさん・モデルさんへの警鐘だったり、哲学の入口を跨いでみようというキッカケにつながったら嬉しいです。
あと亜美さんのnote・Instagram・Twitter・Voicyは一通りフォローすると幸せになれるので3秒以内に実行することをオススメします。

さて。
以前からこの手の問題に対しては度々考えを書いてきました。
世界は繰り返す。
その度に自分の属性を恨まずにはいられないのです。
生まれてきたこと、生きていること自体が罪に感じるといいますか。
存在するだけで加害者なのでは、と。

なんのために写真を撮るか。
答えの1つは「幸せになるため」。
社会性動物として、幸福の総和を最大化するよう振る舞うのが役目だとおもうのです。
自分の加害性を加味しても社会に対する効用をプラスにさせる、その手段として写真を手に取った、と。

偉そうに語りましたが、私も聖人君子ではありません。
時に欲や認知の歪みに屈することもあります。
「”まだ”事件を起こしていないだけの犯罪者予備群」として数えられたとて、真っ向から否定できるほど出来た人間ではありません。

相手から認めてもらいたいなとか、見捨てられないよう相手の1番に君臨したいとか、素敵な相手と出会いたいとか、いろいろ愚考します。
愚考に屈しない杭を打って、体面を取り繕っているだけと言えます。
ただ上の記事を読んで「虫唾が走る」と思えるだけの、最後の希望が残ってるに過ぎない犯罪者予備群。
盲目的に私を信じないでほしい。

「いろんな人と関りがあるから大丈夫だろう」
「この人にならこれくらいやって問題ないだろう」
「作品が素敵だから人物像も素晴らしいのだろう」
そんな幻想や思い込みは捨て、自分で観察する目や思考する頭を持ち、幸福のために生きましょう。

おわり。

こちらもどうぞ

演劇にかんするハラスメント批判記事を執筆され、ガイドライン作成もされた、みなとさんの記事。
今回の参考文献として。



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