日本人らしく生きる美学〜3章〜身の程を知ることで、世界は広くなる
「自分を一匹のミジンコと捉えると、世界が広くて大きく見えへんか」
昔、会社の先輩にかけてもらった言葉です。
当時は、その意味が分かりませんでした。
でも今は、「身の程を知る」という感覚は、案外こういうことなのかもしれないと思っています。
自分を小さく見ることではなく、
小ささを知ることで、世界の広さに気づくこと。
その感覚は、どこか日本人らしい美意識にも通じているように思います。
日本には、はっきりと言葉に出さないことを美徳とする文化があります。
「出る杭は打たれる」
「空気を読む」
「和を乱さない」
こういった言葉は、ときに日本人の「弱さ」として語られます。
ですが僕は、むしろそこにこそ「強さの本質」があると思っています。
事実、この「和」という価値観は、古くから日本社会を支えてきました。
例えば、聖徳太子の「和を持って貴しとなす」という考え方も、
ただ争わないという意味ではなく、互いを理解しながら調和をつくることの大切さを示しています。
そして、その調和は
自分の立ち位置を知ることなしには成り立ちません。
「和」を大切にするという感覚の根底には、「身の程を知る」という姿勢があるのだと思います。
ただ、現代ではこの感覚が、消極的なものとして見られることも増えました。
それでも、こうした価値観は、
形を変えながら今も残っているように感じます。
例えば、日本国憲法第25条にある
「健康で文化的な最低限度の生活」という考え方も、まずは自分の足元を見つめ、その上で生活を築いていくという点で、
どこか通じるものがあるように思います。
もちろん、直接つながっているわけではありません。
それでも、「自分の立ち位置を見失わない」という感覚は、時代を超えて受け継がれているのかもしれません。
それでも、現代では、
「もっと自己主張をしよう」
「日本人は受け身すぎる」
「常に上を目指すべきだ」
そうした価値観が、正しいものとして語られる場面も増えました。
実際、自分もその中にいました。
周りと比べて、もっと上にいかないといけない、もっと頑張らないといけない。
そう思って、無理に背伸びをしていた時期があります。
でも無理をしている時ほど長続きはしませんでした。
今思えば、あの頃の自分は、
自分の理想と現実のズレの中で苦しんでいたのだと思います。
「身の程を知る」とは、自分を小さくすることではありません。
自分の理想と現実の「ズレ」を無くすことです。
人は、自分を過大にも過小にも評価してしまう。
そのズレが、無理や迷いを生みます。
だからこそ、
自分を正しく知ることに意味があります。
できることと、できないこと。
得意なことと、そうでないこと。
それを受け入れることは、
可能性を狭めることではなく、
進むべき方向をはっきりさせることです。
無理に背伸びをしない。
必要以上に自分を下げない。
ただ、自分の立ち位置を見失わない。
その積み重ねが、
結果として「ブレない強さ」に繋がっていくのだと思います。
それは、どこか日本人らしい強さでもあります。
派手ではなくても、自分の役割を全うすること。
競い合うだけではなく、調和の中で力を発揮すること。
そこには、確かな強さがあります。
もし今、かつての自分のように、周りとの差に苦しんでいる人がいたら、伝えたいことがあります。
「身の程を知る」ことは、決して恥ずかしいことでも、負けを認めることでもありません。
それは自分らしく力を発揮できる場所を見つけるための第一歩です。
聖徳太子の時代から変わらない、この「和」の心。
自分を大切にし、
役割を理解することで生まれる調和の中にこそ、
私たちが本当に求めている在り方があるのかもしれません。
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