日本人らしく生きる美学〜5章〜何度折れても立ち上がる「百折不撓」
これまで、日本人らしく生きる美学について考えてきました。
「和」を大切にすること。
自分の役割を理解し、その中で生きること。
そして、変わり続ける時代の中で、周りと調和をしながら生きていくこと。
それらは確かに、日本人が長い時間をかけて育んできた価値観だと思います。
そして、自分の中でこのテーマの出発点になった言葉があります。
会社の先輩から言われた言葉です。
「自分を1匹のミジンコと捉えたら、世界はもっと広く、大きく見えないか。」
当時は、その意味がよく分かりませんでした。
でも今なら分かります。
それは、自分を小さく見ろということではなく、
広い世界の中で自分を見つめてみろ、ということだったのだと思います。
そうすると、今まで執着していたことも少し気にならなくなる。
視点が変われば、苦しさの見え方も変わる。
見えていなかった景色が見えてくる。
でも、ふと疑問が残りました。
それだけで人は前に進めるのでしょうか。
現実は、そんなに簡単ではありません。
人は時に、どうしようもなく心が折れる瞬間に出会います。
和を大切にしていても、
自分の役割を果たそうとしていても、
変化を受け入れようとしていても、
どうにもならない現実に、叩きつけられることがあります。
自分自身も、そうでした。
これまで、心が折れることの多い人生でした。
高校時代、部活でキャプテンを任されました。
けれど、その役割を全うすることはできず、途中で外れることになりました。
自分の力の無さを強く突きつけられた出来事でした。
それでも社会人になってからは、順風満帆に見えていました。
仕事もこなし、日々を積み重ねていました。
あの頃は、それが当たり前に続くものだと思っていました。
ですが、その状態は長く続きませんでした。
コロナ禍をきっかけに、少しずつ歯車が狂い始めたのです。
感染を境に、精神は不安定になっていきました。
やがて統合失調のような状態にまで崩れ、入院することになりました。
退院後も終わりではありませんでした。
症状を抑えるための薬は、今度は心を沈めました。
うつ状態になり、会社に行くことすらできない日々が続きました。
思うように動かない自分。
元に戻れない現実。
何度も、終わったと思いました。
それでも、終わらせることはできませんでした。
今は薬を飲みながら、また仕事に向かっています。
働き方も、職場も変えました。
三交代から、昼勤務へ。
完全に元通りではありません。
むしろ、以前とは違う自分になりました。
でも、今はそれでいいと思っています。
ここまで来て、ようやく一つの答えに辿り着きました。
日本人らしさとは、
調和を大切にすることや、
自分の役割を理解して生きること、
変化を受け入れながら生きること、
そのどれもが、確かに大切なものです。
でも、それだけではありません。
それは、自分の小ささを知りながらも、それでも何度折れても立ち上がろうとする意志なのだと思います。
「百折不撓」という言葉があります。
この言葉は、高校時代の先生が、結婚式のときに贈ってくれたものです。
サッカー部だった自分は、
何度転んでも立ち上がってボールを奪いにいく。
1対1で負けても、何度でも立ち向かっていく。
そんな姿を見て、この言葉を贈ってくれました。
あの頃は、ただの褒め言葉だと思っていました。
でも今は違います。
あの言葉は、今の自分のために贈ってくれた言葉だったのだと思います。
「百折不撓」とは、折れないことではありません。
何度折れても、立ち上がること。
何度崩れても、終わらせないこと。
そして、今の自分はこう考えています。
何度折れてもいい。
どれだけ遠回りしてもいい。
ボロボロになってもいい。
それでも、
最終的に、負けなければいい。
ここでいう「負ける」とは、
他人に負けることではありません。
自分自身を諦めてしまうことです。
だから、自分は負けない立ち位置にいたい。
どんな状況でも、終わりにしない。
どれだけ崩れても、もう一度立ち上がれる状態でいる。
まだ途中です。
完全に元に戻ったわけではありません。
むしろ、これから先の方が長い。
それでも、前に進みます。
何度でも立ち上がる。
何度でもやり直す。
先輩にもらった、あの言葉。
そして先生に贈ってもらった、この言葉。
二つの言葉が、ようやく今、自分の中で繋がりました。
自分の小ささを知ること。
それでも立ち上がること。
その両方があって、人は前に進めます。
折れないのではありません。
何度折れても、立ち上がり続ける。
それが、今の自分の生き方です。
そしてそれこそが、
今の僕にとっての日本人らしく生きる美学です。
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