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キャリア変遷としての自分史|違和感①

ずっと苦手なものから逃げてきた、という感覚があります。

逃げ続けてきた半生を振り返り、
そのキャリアの正体を考えてみました。



学生時代:研究からドロップアウト

高校時代、
テストで点が取りやすいから理系を選び、
数IIICが不要だから薬学部を志望しました。

すでに、「逃げ」始めていました。

結果的に、化学だけで受けられる
首都大学東京の応用化学科に引っかかり、そのまま入学。

大学の授業は、

「いま、なにを言われた?」

『M-1グランプリ2025決勝』たくろうの漫才

くらい、全く理解できませんでした。

4年生になり、研究室に所属した後は、
先生や先輩が喜ぶような実験データを取れた時も、
安心はしても、ワクワクはしませんでした。

そもそも、化学の実験に付いて回る
マイクロ単位粉や溶液の計量が、とても苦手でした。

それでも、周りに流されて大学院へ内部進学。

大学院1年の夏、
「企業のR&Dは、大学の研究と違うかもしれない」
とコニカミノルタのインターンシップに参加しました。

社員の皆さんは、親切で気の良い方ばかりでしたが、
仕事は研究室と大きな違いを見い出せず

「やっぱり向いてないかも…」

こうして、研究から逃げました。


日揮:エンジニアからドロップアウト

就活では、

「研究室の細かな作業ではなく、海外の僻地に巨大設備を建てられる」
「プロジェクトマネジメントが生業らしい」

と、プラント建設の日揮を志望。

無事に内定をもらい、
「これで理系から足を洗える」と思いました。

しかし、入社から2~3年経った頃に気づきました。

「この会社、技術知識の豊富さが、いちばん尊敬される?」

これは考えてみれば当然で、
プラントは流体・配管・電気・土木など、
技術要素の集合体。

プロジェクトで生じる多くの問題は、複数の技術要素が絡み合う。

そして、問題解決が遅れると
数億〜数十億円が、あっという間に吹き飛ぶ。
だから、技術知識の豊富な人が、頼りにされます。

僕にとって、日揮の仕事は、
いろんな専門のエンジニアや、
いろんな国籍の人たちと
ワイワイガヤガヤして、それなりに楽しかったです。

しかし、
「理系から逃げた自分が、ここで突出した存在になるのはムリ」
と気が付き、入社5年目の秋に退職。

こうして、エンジニアリングから逃げました。


プロレド:転職先からドロップアウト

しかし、
自分は何がしたいのか、何ができるのか、
わかりませんでした。

そこで、
「とりあえず、経営コンサルに行けば、将来やれることも広がるだろう」
という理由で、コンサルへの転職を決めました。

しかし、
入った会社がやっていたのは、
総務部の代わりに、相見積もりを取って、
単価交渉をするような仕事でした。

入社前の理想とのギャップは大きく、
上司からも評価されませんでした。

一方、同じ部署に3人いた、
僕より年下のメンバー達は、
その上司に認められ、マネージャーに昇格。

僕の中では、焦りと不安が充満していました。

そして、
自分の何が悪いのか、
何を改善したらいいのか、
なにもわからなくなり、
休職しました。

これは、僕のキャリアの中でも、
かなりハッキリした挫折だったと思います。

ふと気がつくと、手の中には、何も残っていないように感じました。


KPMG FAS初期:キャリアの危機から逃げる

休職期間、転職サイトを使って、
手あたり次第に応募しました。

約50社に応募して、
約10社と面接して、続々と不合格。

しかし、なぜかKPMG FASから内定をもらい、
転がり込むように入社しました。

配属されたチームは、
PMOのようなTo Do管理の仕事が中心。
贅沢を言える立場じゃないけど、これはかなり退屈でした。

内定をもらえたのも、
「本当に、誰でも良かったんだろうなぁ」
と、しみじみ実感しました。

あまりに暇なため、
業務時間内に関わらず、カフェで本を読んだりしながら、ぼんやり過ごす毎日。

そうして入社から半年が経ち、
31歳になっていた僕は、思いました。

「このままでは、何もできないおじさんになってしまう」


KPMG FAS後期:ラットレースからドロップアウト

当時、同じ部署内であれば、
希望すれば所属チームを異動できました。

僕は、激務で知られる
Strategyチームに手を挙げます。

それまで、リサーチもスライド作成もほとんど経験なかったので、

「また休職することになるかもな…」

と、半ばやけくそでした。

ところが、スキル面で色々とご指導を受けながらも、これが意外にハマりました。

最初のプロジェクトから評価され、メンバーからも頼られるようになりました。

「オレ⋯⋯なんか上手くなってきた⋯⋯」

井上雄彦『スラムダンク 11巻』(集英社)
翔陽戦の後、桜木花道のセリフ

一方、Strategyチームは、
1~3か月の調査→分析→資料作成

をグルグル回し続けられる人が、
偉くなれる世界でした。

僕は、
「これ、本当のところ、誰の何の役に立ってるんだ?」
という違和感が、日に日に増していき、

外資コンサルの王道キャリアからドロップアウトしました。


逃げ続けた結果

いまは、組織変革に伴走する中で、
人や組織が変わる瞬間に立ち会うことに、面白さを感じています。

これまで、
研究から逃げ、
エンジニアから逃げ、
外資コンサルからも逃げました。

この手の話にありがちな、
「回り道したけど、振り返るとすべての経験がつながっていた」
という側面も、あると思います。

ただ、僕の実感は少し違います。
「ここではない」という違和感に従って、居られない場所から、逃げ続けてきました。

研究では、細かな計量や実験にワクワクしない。

日揮では、技術知識が中心にある世界で、勝ち筋が見えない。

プロレドでは、仕事が理想とズレているうえ、自分の改善点も見えない。

KPMG FASでは、仕事はできるようになったのに、意味が感じられない。

毎回、異なる種類の違和感から、逃げていました。

だから僕にとってのキャリアは、
点と点がつながった美しい物語というより、
世界と折り合える場所を探し続けた跡に思えます。

だから、キャリアは点と点をうまくつなぐことではなく、
何かがズレている違和感から離れる中で、自分にとっての線が浮かび上がってくる長い旅なのだと思います。



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