スペイン長屋2023春と台風「ブリジット」再び上陸
一昨日は朝から買い物に出かけた。
まだ日差しがそれほど強くなかったので、サングラスをかけていなかった。
「おい!君の仮装パーティーはもう終わったんか!?」
10メートル前ぐらいからこっちに向かって歩いてくる男性が叫んでいる。
「君、わしや!」
ピソの下の階に住むルイスだった。
仮装パーティーってなんだろうと思ったら、緑内障予防のためにいつもかけているゴーグルみたいなサングラスと、マスクのことだった。
今朝は人通りも多くないのでマスクを外していた。
「久しぶりに見たわ、君の顔!うれしいなあ!」
仮装、という言葉が頭の中をぐるぐるまわり、私のこれは仮装なのかと改めて考えるにいたった。
悪気のないルイスは続ける。
「まあ、あれよ。今また新しいウイルスが流行ってるっていうけどな、わしは鼻水や!はーなーみーず!でもな、元気やで。ははははは!」
近況を話し、じゃあまたと言って別れる。
最近知ったがルイスは御年83歳。私はてっきり60代前半だと思っていた。
毎日アスリートみたいな恰好で歩いているので、きっと日々のトレーニングを欠かさないのだろう。私も、アスリートになるのかと言われたゴーグルサングラスをかけているだけでなく、ルイスの行動を見習わなければ。

◆
買い物から戻ったら、下の階のペピが階段のところにいた。
「よかった!実は今ちょうどあなたの部屋を訪ねたところだったのよ!」
どうしたんですかと聞いてみれば、新しく購入したタブレットの登録ができないという。
「この機械、ずっと英語で話してくるのよ!スペイン語に変更したいんだけど、ちょっと見てくれない?」
私はタブレットや携帯の機種登録に明るい方ではない。
とりあえず来いと言われ、彼女の部屋に連れていかれる。
初めて入るリビングには、20枚以上の絵が飾ってあった。
タブレットを見せてもらう。
「ほら、英語でしょ?ずっとしゃべり続けてるんだけど、止まっちゃくれないのよ」
ロシア語だった。
「まあ、なんでもいいわ。とにかくスペイン語に変えたいのよ。じゃなきゃ使えないもの」
そのまま立ちっぱなしで画面と格闘していたら、なんとかスペイン語に戻すことができた。
次はユーザー登録だ。
メールアドレスを入力してくださいとある。
「ええとね、〇〇〇1234@ooo.comよ」
1234って大丈夫だろうか、と考えていたらパスワードを要求された。
「パスワードってあなたそんなの覚えてないわ。唐草、私のパスワードって何?」
彼女のメールのパスワードを私が知っているわけがない。知っていたら問題だ。
しばらくして、彼女がパスワードを書いた紙を持ってきた。
データを同期するかとタブレットが聞いている。
ペピは同期したいと言う。
接続の問題があるのか、何度やってもできない。
ひとまず保留にした。
とりあえず、新しいタブレットはスペイン語で使えるようになった。
お礼にといって、彼女は家の中を案内してくれた。
私は納期が数時間後に迫っていたので、それは是非また今度にお願いしたかったのだが、長屋暮らしではそんなことは通用しない。
5分で終わるだろうと思っていたら、1時間かかった。
台所、トイレ、浴室、リビング、寝室、息子さんの部屋、物置などをくまなく見せてくれた。塵ひとつない、ぴかぴかの部屋に感動し、趣味のいい家具や飾りに見とれる。
先日告白したが、私の家は、すぐに入ってくださいと言える状態ではない。
去年の秋に遊びに来てくれた東京の先輩は、次は断捨離に行くからと言ってくれている。夫の説得も含めて、是非お願いしたい。ペピの家のようにきれいにしたいものだ!
玄関前の傘立てにあった剣(なぜ?)やらアンティーク家具やらについてひととおり話を聞き、次はお茶にいらっしゃいねということでようやく帰ってよいことになった。
家の中を拝見し、改めて彼女がとてもきれい好きだということがわかった。
ここで面白いのが、自分の家はとってもきれいなのだけど、彼女は玄関のドアの前(階段のところ。他の部屋との共有場所)にこれから捨てに行く予定のごみ袋を何時間も置きっぱなしにすることだ。
外から帰ってきて、なんだかくさいぞと思うと、彼女のごみ袋がドアの前に置いてある。ほかの人がくさいと思うことや、ほかの部屋の住人のお客さんが来たときにごみ袋が廊下に置いてあったらちょっとな、というのは気にならないようだ。ときどき、そのごみ袋は口を結んでいなくて開いていることもある。中身も丸見えだ。
その彼女が「あそこの棟の人たちはいつもうるさい」、「あそこは無断で民泊をしている」などと話すたびに、私はごみ袋のことを思う。思うものの、長屋暮らしが長いため、彼女には言えないでいる。長屋での距離感と個々の権利の尊重は難しい。
◆
今朝は、外門を入ったところにあるパティオでルイスが水やりをしていた。ルイスは、このパティオでアーモンドの木やレモンの木などの世話をしている。いつも植物についていろいろ教えてくれるが、この人の話し方はどこまでが冗談で本気かわからないので、何回聞いてもよくわからない。最近は、顔を合わせると、微妙におじぎをしてくれるようになった。私も微妙におじぎを返している。
この日、ルイスはレモンの木の鉢にパプリカを植えていた。ここなら誰にも迷惑かけないやろ、できたらあげるからな!と言う。なすでもいいけど、まずはパプリカや!とルイス。木の鉢の中でパプリカ栽培、もはやなんでもありだ。

野菜のてんぷら。
買ってみた。期待が高まる。
◆
先週、見慣れない電話番号からメッセージが来た。
ブリジットだった。
1年ちょっと前に台風のようにこの町に上陸し、「この町特に何にもないじゃない、とってもさみしいわ」と言って去っていった人だ。
なんと、またスペインに来ているという。
明日からしばらくそっちに行くから、会いましょうときた。
こないだみたいなめちゃくちゃは勘弁だと思い、具体的な日を提案した。
今回は共通の友人が一緒だからか、ブリジットも柔軟な姿勢をみせた。
約束当日、フランスの風をまとったブリジットはホテルのロビーにいた。隣にはスイス系イスラエル人のクレアがいる。この人はとびきりおしゃれで、いつみてもとにかくかっこいい。エルサレムで自分のお店を開いており、店内にはスイスやフランスなどで買い付けた洋服がところせましと飾られている。70代ぐらいだろうか。日本文学が好きで、日本にも行ったことがあるという。二人とも全然変わっていない!
ブリジットとクレアはフランス語またはヘブライ語で会話している。というか、ブリジットが一方的に話して、それをクレアが適当に聞いている。エルサレム時代によく見かけた、懐かしい光景だ。
近所だからということで、適当な格好で出てきた私を二人は上から下まで見て、まあ元気そうじゃないのと、服にはコメントせずにいてくれた。

最近訪れた町にて。
「もうね、決めたのよ。やりたいときにやりたいことをやるの。待たないの!」
ブリジットが言う。
今、イスラエルはちょっと大変なことになっていて、友人たちから聞く内容は決して明るくはない。先日電話で話した友人も、気が滅入るので今は外に出かけたくないのだと言っていた。
ブリジットとクレアの子どもの頃を想像する。
今から60年以上前のエルサレムはどんなだっただろうか。
「今よ、今!」
いつか話を聞いてみたいなと、60年前のエルサレムに思いを馳せていたら、クレアの声で現実に引き戻された。
「どうしてもこのカフェに行きたいのよ!」
そうだ、二人は今を生きている。
もしかすると今年は用事でフランスに行かなければならないかもしれないと言うと、二人はフランス語を少し私に教えてくれた。
コマンタレブー
私は唐草です。
メルシー
彼女たちみたいにセクシーに発音できず、少しすねる。
彼女たちが笑うと、フランスの風、スイスの風、イスラエルの風が吹きまくる。
彼女たちが歩くだけで、いつものアンダルシア田舎に彩りが加わる。
かっこいいなあ!
私は小走りで二人を追いかける。
「この町、気に入ったわ」
「え?」
「この町、気に入ったわ」
「え?」
「しつこいわよ!」
わざと聞こえないふりをしているのがブリジットにばれた。
こないだは「この町特に何にもないじゃない、とってもさみしいわ」と彼女が言ったからだ。
前回ブリジットが来たのは、小雨降る、お店も何も開いていない日曜日。
今回はお気に召して頂けたようでよかった。
また帰ってくるわと言うブリジットとクレアを前に、エルサレムを離れてもう8年になろうかという今、めちゃくちゃなやり方ではあるけれど、こうやって連絡をくれるのはありがたいことだなあと思った。
次はエルサレムよね?
冬ごろ行こうかなと言う私に、あなたそんな先のことみんな何してるかわからないじゃない、先すぎるわと呆れる二人がいる。
「そうそう、こないだもお願いしたんだけど、今度はもうちょっと早めに連絡ちょうだい。そしたら、私ももう少し時間とれるから」
そう言ったら、誰も聞いていなかった。もう一度繰り返したが、ブリジットはウィンドウショッピングに忙しく、クレアは携帯で誰かと話していた。所詮私の存在などそんなもんだ。
ああ、エルサレム。
みんなで写真を撮ると、今すぐに携帯に送れという。エルサレムにいる友人たちに送るらしい。彼女たちはひとときも休まない。
その日の夜、写真を見たらしいエルサレムの友人からメッセージが来た。スペイン語の試験翌日に会いにきてくれたアンディだ。
明日、電話で話せるかと書いてある。
もちろん!と返事をしてベッドに入る。
その夜は、朝まで一度も起きずにぐっすり寝られた。
台風「ブリジット」のおかげだろう。
台風が来ると大変だけど、ポジティブなエネルギーをもらうことも事実だ。
私も、そんな風になりたいなあ。台風にはなるのを除いては!
その日、二人は投げキッスをしてシティセンターの人混みの中に消えていった。
またね、かわいいお二人!

