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はじめまして!あきやましずえです。
現在65歳の私と出会った方は、内気な性格には見えないかもしれません。
でも子どもの頃は、引っ込み思案だったのです。
神戸で生まれ育った私の子ども時代のエピソードをまとめてみました。


神戸生まれ神戸育ち、引っ込み思案だった子ども時代

私は神戸で生まれました。

生まれた家は父方の本家。大きな古い家でした。
祖父母や両親と年子の兄、そのほかにも叔母やその子供たち(いとこたち)と大家族で4歳まで育ちます。

幼稚園の年中さんを終える頃、母の本家脱出計画で、一戸建ての家に引っ越しました。
幼かった私は、引っ越しで幼稚園の友だちとお別れすることに心を痛めていました。

あの頃の私は、自分の意見をはっきり口にできない引っ込み思案娘。

兄やいとこからの小さな意地悪や、叔母のいけずにも何も言えず、人前に出ると赤面して下を向いてしまうような子どもでした。
自分の父親と思って知らないおじさんのスラックスを握りしめていることに気づいて大泣きしたこともありました。

引越することはとても寂しいと思っていたけれど、誰にも心の中を打ち明けられない子どもだったのです。

ただ、引っ越したのも神戸市内。
神戸で生まれた私は、結婚するまでずっと神戸で育ったのです。

兄の威光に照らされて? 学級委員になりました

年子の兄は学業優秀で、小学校で私は、いつも「あいつの妹」という扱いを受けていました。
自分は引っ込み思案だと思いこんだ要因は、ここにあったのかもしれません。
自分はこういう人間だと、外側から決めつけられているような、そんな感覚がありました。

ところがそんな私が、小学5年生の時、学級委員に選ばれたのです。
選ばれた私自身が一番意外でした。
その時、初めて思ったのです。
「私のこと見てくれてる人がいるんだ」って。

「え?あんたが?(お兄ちゃんじゃなくて!?)」
というのが、学級委員長になったと報告をした時の母のリアクションでした。

それからは、母の評価もなんのその、
だんだんと自分らしく動けるようになってきたのです。

中学時代は、ソフトボール部で主将をつとめ、捕手で4番打者でした。
手塚治虫先生にあこがれて、授業中にも隠れて漫画を描いているような、ヘンな女子でした。

高校は自由な校風で。
「今日は雨が降ってるから」と学校を休んだり、所属していた放送部の部室に隠れて授業をサボったりすることもありました。
私は、放送部では副部長になり、生徒会役員も兼任していました。

あんまり面白く過ごしすぎて、大学の受験勉強にトンと身が入らなかった私。
担任から推薦入試をすすめられたことが、さらなるトランスフォーメーションの始まりでした。

大学で演劇との出会い→「違う自分」の発見

ショートカットで、おしゃれというものに興味がなかった私。
女子大の入学式に出席してあまりの女子の多さにクラクラ。
(女子大だから当たり前なんですが…)
それが私の女子大コトはじめ、でありました。

国文学部に所属して、日本書紀や万葉集の世界を学びました。
お化粧の仕方からはじまり、服の選び方、ブランド物の名前など、学友には、たくさんのことを教えてもらいました。

私に大きな転機が訪れたのは、ぼちぼち4回生、大学もあと一年というある日のこと。
神戸新聞に劇団の研究生の募集記事をみつけたのです。

演劇に特別興味があったわけではありません。
それは劇団の予備軍のようなものでした。
タップダンス、声楽、日舞、芝居 といったレッスンを、プロの講師から受けながら、本団員をめざすというプログラム。
「習い事をはしごできるじゃない?」みたいな感覚でした。

泣き顔の演技はカンタンにできるようになったものの、大笑いするのは至難の業。
壁をとっぱらって劇団員や同期生の前で「わっははは」と大笑いした時、自分の中で何かがカチリと音を立てて変化した気がしたのを、よく覚えています。

さらに、研究生の中間発表の舞台に立った時のことです。

たまたまアナウンサー役のセリフがあり、舞台中央でスポットライトを浴びました。
暗い客席から伸びるスポットライトに一人照らされてセリフを言う。
その時の快感といったら!

あれだけ引っ込み思案だと言われていた自分が、
「こういうこともできるんだ」という大発見!

こうして、私は、演劇を通じて、「自分がどういう人間か」を外側から、他人の尺度で決めていた部分から、解放されていったのです。

夫との出会い

そんな中で、後に夫となる人に出会います。
大学で演劇同好会として、「芝居をやるんだ」という男子3人と知り合ったのです。

「劇団の研究生をしている女子」として稽古~発表会に参加。芝居の稽古以外にも4人で遊びに行ったり飲んだり食べたりしました。
「人生最高!」と思うほどに楽しい時間でした。

大学卒業後、私は就職。大学で研究を続けていた彼らとは、しばし疎遠になりました。

就職して2年と少し。
今でいうウェディングプランナーのような仕事や受付の仕事が面白く、ご機嫌で勤務していました。

ところが「嫁入り」ということを全く考えない私に対して、
親戚の叔母から忠告を受けた母から、退職するよう言われたのです。

今では考えられないことですが、その頃は、母の推しが強くて、「言うことを聞かない」という選択肢がありませんでした。
言われるがままに退職し、「花嫁修業します」ということになりました。
お茶、お花、着付けを習う日々が始まります。

さて、これからお見合い三昧だぞ!!
と意気込んで退職報告を暑中見舞いに書いて出したところ…

意外や意外、
先に書いた男子3名劇団の中の一人が
「お見合いなんか、しなくていいんやん?」と私の人生に再登場し、トントンと結婚まで話が進んだのです。

もあれから、もうすぐ40年。あきやま27歳の出来事でした。

夫の夢についていく

「しなくていいやん?」のお見合いも、実は3回は経験しました。
でもお見合いで結婚相手を決めてしまったら、あの楽しかった連中とは一生のお別れだなぁ、という思いがあって。

「しなくていいやん?」と彼が再登場してくれなかったら、
私の人生どうなってたことか?
「しなくていいやん?」と思うなら、もっとずっと早くに
その気持ち知りたかったわ…。


その夫には、海外で研究をしたいという夢がありました。
結婚して初めての手土産はNHKラジオ英語会話の本だった、のです。
(マジです。ええ、ええ、ちょっと引きましたよ、モチロン)

私たちいつか「英語の国」で暮らすんだ?と思っていたら、見つけた先の研究室は、ドイツのマールブルグという見知らぬ町。

まずは2年の研究生活、と言われました。
生まれて2歳にならない娘を連れ、人生初の13時間フライトにメゲそうになりながら、先にドイツ入りしていた夫の元へ。

一体どんな生活が待っているのか!?

大学で一年間文法を学んだだけのドイツ語は通じたのか!?

2年の予定がなんで5年半もいたのか?

さらなる冒険の物語は続きます。


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