いつも通りの夜|鬼死骸食堂
この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)
岩手県、旧・鬼死骸村。
小さな食堂に、今夜も怒鳴り声が響いている。
それが、いつも通りだった。
暖簾をくぐると、また怒鳴り合っていた。
「だから、それじゃ味が違うって言ってんだろ」
「同じだよ、どこが違うの」
「違う」
「どこが」
「全部だ」
映美は、いつもの席に座った。
カウンターの端、写真の女性から二つ分離れた場所。
厨房から湯気が流れてきた。
醤油と、甘い匂いが混ざっていた。
テレビが、誰も見ていない天気予報を喋っている。
隅の冷蔵庫が、低く振動していた。
箸立ての縁に、古い傷があった。
いつからあるのか、誰も知らないだろう。
大将の怒鳴り声は、厨房の奥から聞こえてくる。
娘の声は、そこへ向かって飛んでいく。
常連の二人は、味噌汁を啜りながら、
何も聞こえていないような顔をしていた。
いつも通りだった。
「お疲れさん」
娘が、水を置いていく。
「お疲れさまです」
それだけで、注文は要らない。
しばらくすると、いつものものが出てくる。
映美がこの店に通い始めてから、ずっとそうだった。
カウンターの小さな写真が、斜めから光を受けていた。
古い写真だった。
映美はこの席に座るたびに、その写真が目に入る。
最初に来たとき、すぐに分かった。
でも、何も言わなかった。
娘は、知っているだろうか。
厨房の怒鳴り合いが、少し静かになった。
娘が何かを言って、大将が鼻を鳴らした。
それで終わりだった。
また、始まることもある。
それがいつかは、誰にも分からない。
映美は、箸を持った。
外では、風が鳴っていた。
山の方から来る風で、夜になると少し湿っている。
都会にいた頃は、こういう風を忘れていた。
忘れていたことも、忘れていた。
表を、軽トラが通り過ぎた。
暖簾が、少し揺れた。
「おかわりは」
「いただきます」
娘が、何も言わずにご飯を盛る。
写真の女性は、笑っていた。
聞かなくても、なんとなく分かることがある。
分かったからといって、何かが変わるわけでもない。
いつも通りの夜だった。
たぶん、母親がいた頃から。
この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。
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