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【離島ICT#02】ドリル片手にLAN工事!離島教師のICT大作戦

離島での暮らしと学校の現状を知り、次に私が向き合ったのは「デジタルデバイド」の問題だった。
島の子どもたちにとって、情報環境の遅れはそのまま学びの機会の差につながってしまう──。
だからこそ、解消の第一歩は学校から。ドリル片手に、私は校内LANづくりに取りかかった。

勤務した離島とは 👇

離島の小学校で、一(いち)教師が当時のデジタルデバイド解消に挑戦しました。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)6月頃のお話です。

赴任当時の島のIT環境 👇👇

※注:本文中の一部地名や商品名等は仮名にしています。



1. ケーブル一本がつないだ教室の未来

赴任して約2ヶ月が経ったころ、小学校の職員室にはLANケーブルがHUBから各机に伸び、先生方がパソコンを接続できる環境が整っていた。
プリンタサーバーとなる学校のPCは、今では“骨董品級”とも言えるNECのPC-98シリーズ。
当時すでに現役引退級の古さだったが、追加ハードディスクを積んでファイルサーバーとしても活躍していた。

前任の教頭先生が技術・家庭科の専門だったこともあり、職員室のLANは整備済みだった。
ところが教室にはケーブルが届いておらず、児童用パソコンは6年教室に1台だけ。もちろんスタンドアローンで使っていた。
前任者からは「教室まではケーブルを引いていないので、やってほしい」との伝言を受けていた。

そこで一念発起し、自ら「ネットデイ」を始めた。
ドリルを手に職員室の壁に穴をあけ、廊下へケーブルを引き出した(もちろん校長先生の許可は取得済み)。
天井裏を這わせるのは難しいため、インターホンの配線と一緒にケーブルを通す工夫をした。

6年教室にHUBを設置し、無事に開通。さらにそこから5年教室、1・2年教室へとケーブルを伸ばした。
「PCさえあれば、どの教室でもLANにつながる」──これで最低限の校内LAN環境が完成したのだ。

ちょうどそのしばらく後、市内の校長先生方が集まる「校長会」が本校で開かれる予定だった。
授業参観も行われると聞き、せっかくならICT活用の姿を見てもらおうと準備を進めた。


2. キーボード練習の成果、校長先生の前で炸裂!

校長会とは、市内の小学校校長が月1回集まり、持ち回りで各校を会場に開く会議である。会場校では授業参観も行われる。
(余談だが、のちに私自身が校長をしていたときには教育委員会で会議のみを行っていた。もちろん各市町村によって違いはあるだろうが、授業参観まではしていなかった。時代の変化を感じる。)

当日、教室に常設の1台に加え、実家に眠っていたサーバー機と同じ機種であるPC-98を引っ張り出してきて教室に持ち込んだ。
今の感覚では「なぜそんな古いのを?」と思うかもしれないが、当時の私にとっては“まだまだ使える戦力”だったのだ。
さらに、自分が宿舎で使っていたIBMノートPCも投入し、児童3人で1人1台の割合で授業を展開した。

授業内容は、社会科のまとめとしての新聞づくりだった。
子どもたちはワークシートに記事の下書きを済ませており、ワープロソフトへの入力作業はスムーズに進んだ。
LANでプリンタにも接続済みで、印刷まで問題なく行えた。

さらに、赴任以来続けていた「放課後のキーボード練習」の成果も発揮された。
ゲーム形式で記録を残しながらホームポジションを徹底指導したところ、短期間で子どもたちは格段に上達した。
この日も、参観していた校長先生方の前で、子どもたちは見事にPCを使いこなしてくれた。


3. 週末は島を飛び出し、資格試験へ

学校のICT整備に奔走する一方で、自分自身のスキルアップも目指していた。
前年に挑戦した「ITCE(教育情報化推進コーディネータ)3級」の雪辱戦に挑むため、大阪の園田女子大学へ向かった。

試験はコンピュータで実施され、技術と学習の両分野から20問ずつ出題される。基準を満たせないと不合格となる。
前年は技術分野で基準未達となり、悔しい思いをした。

今回は──合格。
ただし有効期限は5年間で、次の2級に挑戦できる資格が得られたが、当時の自分には高いハードルに感じられ、受験はとりあえず少し保留することにした。

なお、この受験のため日曜の船に間に合わず、年休をもらって月曜朝の1便で島に戻ることになった。
資格試験に挑むために船便や休暇のやり繰りをするのも、離島勤務ならではの体験だった。


離島のデジタルデバイド編#3へ続く・・・👇👇

離島の小学校編はこちら 👇👇👇


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