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【50代】あと一歩届かなかった背番号10 ~1994アメリカワールドカップ〜

後半45分。

まるでスローモーションを見ているかのように、

今でも覚えている。

ショートコーナーから
簡単にカズがかわされ、

上げられたセンタリング。

そのボールに、イラクの選手が頭で合わせた。

私は、GK松永と同じように、

宙を舞うボールの軌道を目で追っていた。

次の瞬間、

松永は呆然と立ち尽くし、

井原をはじめ日本のDF陣は、その場に崩れ落ちる。

ほぼ掴みかけていた、

ワールドカップの切符が消えた瞬間だった。

あれから30年以上経った今でも、

ドーハの悲劇」

という言葉を聞くと、

あのボールの軌道が頭に浮かんでくる。

どうも、紅鮭の幻影です。

この、なんの意味もない名前が誕生したお話はこちらから。

日本対チュニジア

4-0。

怪我人が続出する中で、

誰が出ても、結果を出してしまう。今の日本代表の強さを感じる試合でした。

特に印象に残ったのが、

伊藤純也のゴール。

そして、

上田綺世の2点目。

後ろに下がりながら、

滞空時間の長いヘディングを叩き込む。

思わず、

「すご」

と声が出てしまいました。

このドーハから約30年。

私が感じるのは、

メンタルの強さです。

気負わない。
冷静。

そして、

決めるところで決め、
勝ち方を知っている。

そりゃあ、

ワールドカップ出場が目標だった時代から、

ワールドカップ優勝を目指す時代になったのだから、

当然なのかもしれません。

このワールドカップ期間中、

過去のワールドカップを、
50代の記憶を頼りに
旅しています。

86年メキシコワールドカップ


90年イタリアワールドカップ

日本はあと一歩で届かなかった。94アメリカワールドカップの切符

そして世界では、もう一人、

あと一歩のところで栄光を逃した背番号10がいた。

その男の名は、
ロベルト・バッジョ

1994年アメリカ大会

大会序盤のバッジョは決して
絶好調ではなかった。

イタリアも優勝候補らしい戦いぶりとは言えず、

決勝トーナメント進出すら危ぶまれていた。

そして迎えた

決勝トーナメント1回戦。

相手はナイジェリア

後半43分。

イタリアは1-0で負けていた。
しかも一人少ない10人。

ワールドカップは、あと数分で終わろうとしていた。
そんな絶体絶命の状況で、
ゴール前にこぼれたボールを、

背番号10が押し込む。

延長戦では、
自ら獲得したPKを冷静に決め、

イタリアをベスト8へ導いた。

まさに、
崖っぷちから救い出した救世主だった。

準々決勝の相手はスペイン

1-1のまま迎えた後半43分。

一瞬の抜け出し。

そして、

GKスビサレッタの脇を抜く冷静な一撃。

またしても、

ロベルト・バッジョ。

スペインの夢を打ち砕き、

イタリアをベスト4へ導く。

そして準決勝。

相手は、

ストイチコフ擁するブルガリア

前半だけで、

背番号10は二度輝いた。

2得点。

イタリアは2-1で勝利し、

決勝進出を決める。

もっとも、

その代償は小さくなかった。

バッジョは太ももを痛め、

万全の状態で決勝を迎えることはできなくなる。

1994年アメリカ大会には、
数多くの印象的な選手たち
がいた。

今のサッカーが、
悪いわけではない。

むしろ、

戦術も、
運動量も、
フィジカルも、

間違いなく進化している。

ただ、

あの頃はまだ、

背番号10が、
国の希望そのものだった。

ファンタジスタ。

司令塔。


少しくらい守備をサボっても、

「あいつにボールを預ければ何とかしてくれる」

そんな個性あふれる男たちが、
彩っていた。

ブラジルと言えば、

ロマーリオ

少なくとも、

当時の私はそう思っていた。

しかし、

今になって振り返ると、

ベベット。
ドゥンガ。
マウロ・シルバ。
ジョルジーニョ。
ブランコ。
タファレル。

そして若きカフー。

各ポジションに世界トップクラスが揃う、

まるで世界選抜のようなチームだった。

もっとも、

ロマーリオは、

最初から主役だった
わけではない。

1993年の予選で苦しむ
ブラジル。

国中で巻き起こる、

「ロマーリオを呼べ」

という大合唱。

そして、

国民の声に押されるように復帰した男は、

運命のウルグアイ戦で2ゴール。

ブラジルをアメリカへ導く。

その相棒は、
ベベット。
二人のコンビは、
アメリカの夏を席巻した。

次に、

コロンビア、金髪アフロの
バルデラマ

デンマーク、鉄壁の守護神
シュマイケル、と
ラウドルップ兄弟


そして、

この1994年大会で印象に残っていることがもう一つある。

東欧勢の躍進だった。

ベスト8まで勝ち進んだ
ルーマニア
そこには、東欧のマラドーナーと呼ばれていた天才レフティー

背番号⑩ハジがいた。

左足から繰り出される
パスとシュート。
テクニックにすぐれ、意表をつくロングシュート
が鮮明に記憶にのこっている。

まさに、
国の希望そのものだった。

そして迎えた決勝トーナメント1回戦。

相手は、

マラドーナを失った
アルゼンチン。

ルーマニアは3-2で前回準優勝国を撃破する。
その中心にいたのも、
やはりハジだった。

そして、

もう一人、
強烈な輝きを放っていた
男がいた。
ブルガリア

ストイチコフ

気性は荒い。
審判にも噛みつく。

しかし、

左足の破壊力は世界屈指だった。
所属するバルセロナでは、
ヨハン・クライフ率いるドリームチームのエース。

この大会では6得点を挙げ、

ロシアのサレンコと並んで
得点王に輝く。

そして準々決勝。

前回王者ドイツを2-1で撃破。

ブルガリアを初の
ベスト4へ導いた。

ルーマニアにはハジ。
ブルガリアにはストイチコフ。

今振り返ると、

東欧勢がこれほど世界の頂点に近づいた大会は、

これが最初で、最後だったのかもしれない。

ただ、

その大躍進した東欧勢よりも、

強烈な個性を放つ、

忘れられない男がいた。

メキシコのGK、

ホルヘ・カンポス

公称身長は175cm。

しかし、

実際は168cmほどだったとも言われている。

当然、

GKというポジションは、
大きい方が有利だ。
現代サッカーでは、
180cm台でも、 
「少し小さいかな」
と思ってしまうのに

そんな中でも、

カンポスの存在感は、

誰よりも大きかった。

その驚異的な身体能力を武器に、ペナルティーエリアを飛び出し、スイーパーの役割までこなす。

今で言う、

「リベロ型GK」
の先駆けだった。

そして、

時にはFWとしてもプレーする。

国際Aマッチ130試合以上。
ワールドカップは、

1994年、
1998年、
2002年と、

3大会連続で選出された。

今振り返っても、

あれほど自由で、

あれほど個性的なGKは、
もう二度と、
現れないような気がする。

もっとも、

自由で個性的な男たちが輝く一方で、

その裏側には、

サッカーだけでは語り尽くせない、
もう一つの物語もあった。

コロンビア。

私の記憶の中では、
まず最初に浮かぶのは、
金髪アフロのバルデラマ。
そして、
アスプリージャ。
リンコン。

南米屈指のタレントを揃え、
優勝候補の一角とも言われて
いた。
ほんとは、もう一人、
1990年イタリア大会
で活躍した
長髪をなびかせ、
ゴールを飛び出しては
ドリブルを始める。
そんな破天荒な守護神、

レネ・イギータ

がいるはずだった。

ただ、

アメリカの地に、
彼の姿はなかった。

なんと、
誘拐事件の仲介役を務めたことで、この時のイギータは服役中だった。

まるで映画のような話だが、

これもまた、

当時のコロンビアだった。

そして、

優勝候補と呼ばれた
コロンビアは、まさかのグループリーグ敗退。

さらに、

悲劇はその後に起こる。

アメリカ戦で、
不運なオウンゴールを記録したDF、

アンドレス・エスコバル。

帰国からわずか数日後、

彼は銃弾に倒れる。

事件の背景には、

サッカー賭博や、
当時のコロンビア社会を覆っていた、裏社会の存在が指摘されていた。

もちろん、

「オウンゴールをしたから殺された」という単純な話ではない。
しかし、
サッカーが単なるスポーツではなく、

巨大な金と、

時には命さえ左右する、

そんな時代だったことを、
世界中に知らしめた事件でもあった。

そして、もう一人

世界中が注目する
背番号10にも・・・


1986年。
メキシコの地で、

神の手、5人抜き

世界を支配した神の子も、

8年後、

終わりの時が近づいていた。

ギリシャ戦。

鮮やかな左足でゴールを決め、

カメラに向かって駆け寄る、

あの狂気にも似た表情。

今でも忘れられない。

それが、

マラドーナにとって最後の輝きとなった。

大会期間中、

ドーピング検査で陽性反応。
アルゼンチン代表から
追放され、

チームも決勝トーナメント1回戦で、

ハジ率いるルーマニアに
敗れる。

このアメリカ大会は、

一つの時代の終わりを告げる
大会だったのかもしれない。

しかし、

ワールドカップそのものは、

まだ終わっていない

決勝の舞台で、

イタリアをここまで
導いたのは、
ロベルト・バッジョだった。

そして、

ブラジルの期待は、
ロマーリオに集まっていた。

二人の主役。

しかし、

アメリカの夏、
最後の戦いは、
意外な展開を迎える。

120分。
スコアは、
0-0。

ロマーリオにも、
バッジョにも、

ゴールは生まれなかった。

まるで、

両国の希望を背負った
二人の天才が、

最後の力を振り絞り、
互いに譲らなかったかの
ようだった。

そして、

ワールドカップ史上初めて、
決勝戦はPK戦にもつれ込む。

一人目は、
キャプテンの
フランコ・バレージ。
負傷を乗り越え、
決勝の舞台に戻ってきた
男だった。

しかし、

そのシュートは、
クロスバーの上へ。

もっとも、

ブラジル一人目のマルシオ・サントスも失敗。
勝負はまだ動かなかった。

アルベルティーニ。
エバーニ。
イタリアは二人が成功。

ブラジルも、

ロマーリオ、
ブランコが決める。

そして、

四人目。
マッサーロのシュートを、

タファレルが止める。

続くブラジルは、
キャプテンのドゥンガが、
ゴールネットを揺らした。

ブラジル、3-2。

次を外せば、

イタリアの敗北が決まる。

ロベルト・バッジョの
シュートは、

無情にも、
ゴールの上へ消えていった。

次の瞬間、

ブラジルの4度目の優勝が
決まった。

歓喜するロマーリオ。
ピッチに倒れ込むブラジルの選手たち。

そして、

一人、

うつむいたまま立ち尽くす、
背番号10。
その姿を見た瞬間、

私は泣いた。

ここまでイタリアを
導いたのは、間違いなく
ロベルト・バッジョ
だった。

決して万全ではない身体で、

あの猛暑のアメリカで、
120分戦い抜いた

両国優勝でいいじゃないか。

本気でそう思った。
そんな結末があってもいいはずだった。

しかし、

サッカーには、

PK戦というルールがある。

その姿に、

歩み寄った男がいた。

ブラジルの守護神、
タファレルだった。

「それでも、あなたは偉大だ」

そんな言葉を掛けたと
言われている。

あれから30年以上経った
今でも、1994年ワールドカップ
と聞くと、
真っ先に思い浮かぶのは、

優勝したブラジルでも、

MVPのロマーリオでもない。

静かに歩き去る、

ロベルト・バッジョの
後ろ姿だ。


運命は、

時に残酷だ。

日本は、

あと一歩で届かなかった。

そして世界にもまた、

あと一歩のところで、

栄光を逃した背番号10がいた。

そんな1994年アメリカワールドカップでした。

1994 アメリカワールドカップ結果

優勝

ブラジル(4回目)

決勝

ブラジル 0-0 イタリア
(PK 3-2)


- 開催地:パサデナ・ローズボウル
- 観客数:94,194人

得点王

フリスト・ストイチコフ
(ブルガリア)

オレグ・サレンコ
(ロシア)

6得点

MVP

ロマーリオ
(ブラジル)

紅鮭の幻影的ベストイレブン

GK
ホルヘ・カンポス(メキシコ)
DF
- ジョルジーニョ(ブラジル)
- フランコ・バレージ(イタリア)
- パオロ・マルディーニ(イタリア)
- トーマス・ベルティ(ドイツ)
MF
- ゲオルゲ・ハジ(ルーマニア)
- フリスト・ストイチコフ(ブルガリア)
- トーマス・ブロリン(スウェーデン)
FW
- ロマーリオ(ブラジル)
- ベベット(ブラジル)
- ロベルト・バッジョ(イタリア)

監督

カルロス・アルベルト・パレイラ(ブラジル)

4年後。

世界は再び、

新たな主役たちを迎えることになる。

フランスの若き司令塔。

怪物と呼ばれたブラジル
のエース。

そして

あの頃の少年たちが、

ようやく世界への切符を
手にする。

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