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なぜ「オリジナルな課題」が必要なのか

僕はよく、「その人自身のオリジナルな課題を設定すること」が重要であると述べています。論理的思考力のような解決スキル・能力はあるに越したことはないがクリティカルではないということ、手足を動かしたり頭を使いウンウン考える能力それそのものは、決定的要因にはならないということです。今回は、なぜ「オリジナルな課題」が誰にとっても大事になるのか、という話をします。

論点整理の重要性

オリジナルな課題を設定する個人の力は、「課題設定能力」と呼ばれます。その局面、文脈、立場で、「何が論点か」をダイナミックに感じ取り、それを文や文章の形で外に表現する能力が、課題設定能力です。問題意識とか、違和とか言ったりしますが、そのような言葉からもわかるように、問題というのは個人が感じ取るものです。

なぜ、「個人」なのかというと、問題というのは概して文脈依存、人依存だらです。地元ローカルな情報をネットで見つけることがなかなか難しいのと同じ理由で、その人依存の個人的な論点というのは、ネットやAIに質問してもわかりません。ある人にとってはとても問題になるが、他の人にとってはまったくもってどうでもいい話になるというのは往々にしてあります。人生の選択をどうすべきかというのはその人自身にとっては大きな問題ですが、それ以外の、その人を知らない赤の他人にとっては心底どうでもいい話です。

課題や問題の設定には常に、「誰にとっての」という但し書きが入ります。ステークホルダーが複数いる場合は、その人たちにとっての共通の課題がなにかある、ということになりますが、いずれにせよ、課題とは個人の持ち物である、と言う点は変わりません。

なぜ世間は課題を用意してくれるのか

オリジナルな課題とは何か、それは、世間や他人が用意したオリジナルではない課題と対比すればわかるはずです。世間が用意する課題というのはたとえば、「これからは英語力が重要になるぞ!」とか、「プログラミングなどのITスキルが重宝される!」みたいな、世間の潮流を色濃く反映して出てくる言葉のことです。

さて、「世間が用意する課題」についてなのですが、誰がどのような人に向けて話しかけているのでしょうか。また、なぜ世間はわざわざ課題を私たちに向けて用意してくれるのでしょうか。

僕の見解を先に言ってしまうと、それは、「世間の課題に個人が取り組んでくれれば、その人らにとっておいしい状況になるから」になります。英語力が重要と叫ぶ人たちやプログラミングが大事と言う人たちはスクールなど、それをしてもらうとおいしい立ち回りができるような立場の人であることが多いです。

これは前に別の記事でした話なのですが、なぜみんながこぞってシャドーイングや瞬間英作文をオススメしてくるのか、なぜみんながそろいもそろって似たような言葉遣いでこちらにやってくるのか、その話とも共通します。それをやりましょう!と声高にこちらにやってくる人がなぜそれをするのかというと、それをするとその人たちにとって都合のいい状況になるからです。親切だからそれをしているわけではいありません。

ここまでの説明から、この記事でメインに触れたい、「なぜオリジナルな課題が重要になるのか」がわかるはずです。それがないと、他人に振り回される、世間に振り回される、トレンドや流行りを無限に追いかけないといけなくなるからであり、それをしないと自分の時間や体力などのリソースが奪われてしまうからです。

何が重要で、何が重要にならないかというのは、すでに述べましたが文脈依存です。世間が、「これが大事になるぞ!」と鳴り物入りで持ってくるものが、その人にとっては心底どうでもいいものである、なんてことは当然あります。「課題は個人の持ち物」と言いましたが、それを持っておくと自分の身を守る盾になります。

考えることから逃げない

人のいうことを聞いたが自分はなにも得られなかった、という経験は誰もが一度はしているはずなのですが、それでも人々は、「他人から与えられる正解」を求めさまよい続けています。「で、結局どうすればいいんですか」が口癖のようになっている人はいますが、そのような人たちはまさに、「他人から与えられる正解」を無意識的に求めています。

なぜ痛い思いをした経験があるにもかかわらず他人の正解をほしがるかというと、それは、自分で考える手間を省けるからです。オススメ、定番などの言葉で形容される他人から来る正解には、とりあえず大失敗することはないだろうな、というある種の安心感があります。課題設定を自分でやるのがしんどいから、他人にやってもらう、というシンプルな理屈です。

思考停止というとなんだかネガティブな響きがありますが、僕は、別に思考停止は状況によってはよいことであると考えます。Googleマップのレビューが高いカフェを選んでそこに行くとか、Google検索の一番上に来るページを信頼するとか、そのようなヒューリスティックなアプローチ、思考停止のアプローチはだれもがやりますし、それを非難するのはちょっと変です。

僕がここで説明したいのはそのような話ではなく、人生のなかでわりと重要になるであろう決断で、「他人がくれる正解」にすがってありがたがらないようにする、ということです。「わりとどうでもいいこと」には思考停止アプローチでよいが、「だいじなこと」にもそれを適用するのはよくないのでは、という話です。

正解ばかりおいかけるとつまらない人になります。常識や定番とはみんなが考えていること、つまり、みんなが知っているような貴重でもなんでもない凡庸な情報です。また、みんながやっていることと同じことをしたら、みんなと同じ結果が生まれますし、それは何も面白くありません。

さいごに

世間や他人が求めていることをやるのはある意味でラクです。言われた通りにキビキビと動けば、「頑張っているよいこ」であるとみなされますし、世間からの風当たりもよくなるはずです。

ただ、「努力」というきれいな言葉のもとで他人の課題にせっせと取り組むすがたは、あまりおだやかではありません。モーレツに頑張る人は勤勉で頑張っている人ではなく、課題設定能力のない他人依存な人、と解釈したほうが、よさそうな気がしませんか。

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課題設定や解決の能力などに関するネタは、「問題解決能力」のマガジンにまとめています。肩の力を抜いて気楽に楽しめる内容であるはずです:


▼この記事を書いた人▼

そっちゃそ
フリーランス英日翻訳者。本業で培った知識や経験をもとに、発音指導をはじめとした語学指導もやっています。noteは、僕の思想や考えをひろく公開するために使用しています。

僕の思想や考え方については、考察と思想哲学のマガジンにまとめているのでこちらをぜひご覧ください。語学学習に関するお悩み相談やお問い合わせなどはこちらのLINEからお願いいたします。詳しいプロフィールはこちらから。

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🔵amazon music, 🟣Apple Podcast で楽しむ場合はこちら。

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主な著作:「自分の意見を言うことは『役に立つ』」、「外国語を学習すると決めたときに読む本」、「英語発音学習の第一歩」。既刊一覧はこちらから

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さいごに

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