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正しい英語学習法を求める心理

前回の記事で僕は、正しい語学学習法なるものを求めてゾンビのようにそこらじゅうを徘徊する行為は、何の役にも立たないし無意味であることを説明しました:

ただ、頭でわかっていながらもついついそれをしてしまのが人間の性です。今回の記事では、なぜ「人々はなぜそこまでして世間が持ってくる『正しい学習法』にしがみついてしまうのか」に関する考察を新たにしてみます。前回の記事の続編的位置づけです。

足並みをそろえないといけないという妄想

正解にしがみついてしまう心理の原因は複数あるはずなのですが、大きなものに、「みんなと合わせないといけない」という勝手な妄想があるはずです。世間と足並みをそろえてなかよしの語学学習をしないといけない、という妄想が人々の心理にあるのでは、というのが僕の仮説です。

集団や組織のなかで活動する際には周りに合わせることが重要になりますし、また、その組織やコミュニティのなかのルールに従うことも求められます。そのような状況下で自分勝手にふるまうのはたんなる「ヤバい人」であり、それはよくないことです。

その一方で、「そうじゃない」シーンもあります。僕はよく、語学とは芸術、音楽、創作、探検などといった活動に似ていると述べているのですが、それらはいずれも、「なにかルールに従ってさえすればそれでいい」というわけではないことが共通しています。何が言いたいかというと、「よそ様と足並みをそろえる必要がまったくない活動」である語学学習を、なぜか、世間様やよそ様の意向を伺い、これと緻密な連絡調整を行いながらやっていく、やっていこうとする人がいる、ということです。

これは僕がいつも言っていることなのですが、語学学習というのは主体的にやる活動です。絵描きが何の絵を書こうが世間はしったこっちゃないわけですが、それとまったく同じ理由で、ひとりの個人が語学学習で何をどうしようが、世間の人からしてみれば心底どうでもいいことなわけです。「語学学習で他人の目線をチラチラ気にする」必要はまったくありません。

誰の課題か

世間があなたの語学学習にまったく興味ないのと同じ話で、あなたも、世間がこちらめがけて言ってくることをいちいち気をかける必要は毛頭ありません。「その学習法間違っているかも!?」というタイトルのYouTube動画やネット記事は履いて捨てるほどありますが、そのすべてに返せる言葉は、「余計なお世話」という言葉です。情報は、情報を見たいと思った人がその人の意思でのぞいたり見に行ったりするものであり、赤の他人が鳴り物入りでドンチャカ持ってくるようなものではありません。

また、別の記事で僕は課題設定能力の話をしたのですが、赤の他人が勝手にはしゃぎながらこちらに持ってくる話は総じて、「自分の課題」ではありません。その人にとって、その局面でなにが重要になるか、なりそうかというのはその人自身にしかわからないことですから、「会ったこともない赤の他人」に課題をもってきてもらうなど、まずできません。

このnote記事を読んでいる方にとって「そっちゃそ」は会ったこともない赤の他人なわけですが、僕自身、「読者にとってまったくの赤の他人である」という立場でいつもnoteを書いています。「僕はこのように考えていますよ、気になる方は読んでみてね」というスタンスが僕の基本であり、「これが正解です!」のようなことは、確定的に断言できる場合を除き言いません。

いままでできなかったという蓄積の呪縛

正しい学習法にしがみついてしまう人が後を絶たないという本題の話について、「コンプレックス」というキーワードを使い別の角度から考察することもできそうです。つまり、いままでうまくできなかった、いかなかったという過去の負債のようなものがあり、そのことが、「正解」へと人々を引き付ける誘引剤になっているのでは、ということです。「学校英語でウン年間勉強したのに~」みたいなのも、それです。

ただ、いままでやってきたのに、ではなく、いままでほとんどしてこなかった、のほうが表現としては正確な気が僕はします。学校を出て大人になった人の多くは学校英語を理解していません。「学校英語を何年もやってきた」というのは誰もが枕詞のように多用しますが、それは「学校英語をやったのにダメだった」ではなく、「学校英語をうまく理解しないまま卒業しちゃった」になるはずです。「学校英語について説明してよ」といざ質問したときに、人々から実りある回答がほとんどでてこないだろう、というのは容易に想像できます。

多くの人はまだほとんど何もしてないし、まだ何も失敗してないはずなんですよ。道端の小石につまづいて転んだ程度の出来事をたいそうな大失敗のように勝手に解釈しているだけで、「何もしていない」というのが多くの人にとっての事実なはずです。

変な考えや悩み、コンプレックスがあると、安心材料をもとめてそれにしがみつきだす、ということをやってしまいがちです。自分が何をどうしたいのかというのは、やはり、その人自身が定めていく必要があります。

さいごに

みんなと足並みをそろえたくなる心理の背景にも、「蓄積の呪縛」があるはずです。赤信号みんなで渡れば怖くないの心理と同じで、それが理にかなっているかどうかではなく、「それをみんながしているか」が優先されてしまう、ということです。

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▼この記事を書いた人▼

そっちゃそ
フリーランス英日翻訳者。本業で培った知識や経験をもとに、発音指導をはじめとした語学指導もやっています。noteは、僕の思想や考えをひろく公開するために使用しています。僕の思想や考え方については、考察と思想哲学のマガジンにまとめているのでこちらをぜひご覧ください。詳しいプロフィールはこちらから。

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主な著作:「自分の意見を言うことは『役に立つ』」、「外国語を学習すると決めたときに読む本」、「英語発音学習の第一歩」。既刊一覧はこちらから

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さいごに

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