子どもが生まれて、本当に「人生は加点方式」だと思った
私は、自分の中にどこか妙なプライドがある一方で、根底には自分に自信がないという、矛盾したねじ曲がった気持ちを抱えている人間です。
小学生の頃から、学校の勉強や生活態度という意味で、いわゆる「優等生」と呼ばれるタイプだったこともあり、特に中学生以降に順位がつくようになってからは「自分は優秀でなければいけない」「人と比べて何か輝くものがなければいけない」と、そんな風に思い込んでいるところがありました。
「あの人はこうなのに自分はこうだ」と人と比べたり、自分はあれができないこれもできないなどと「減点方式」で自分を苦しめるような、そんな生き方をしていた時期が、私には長くありました。
◼️「生きているだけで100点満点」にたどり着いた人生の先輩
社会人になり数年が経ったころ、ある動画を目にしました。
少し下の世代のLGBTQの方々が対談している動画。
そのなかで、「人生は加点方式。生きてるだけで100点満点。学校に行けば加点、ご飯を食べれば加点」という、素敵でポジティブな考え方が語られていたのです。
当時の私は、その言葉を聞いて「きっとこれまでに多くの苦しい経験をされたからこそ、こういう境地に行き着いたのだろうな。とても好きな考え方をされる方だな」と、どこか羨むような、自分はそんな器はないと諦めも含みつつ、深く心に刺さっていました。
その「加点方式」という言葉の本当の意味を、頭での理解ではなく、圧倒的な体感を伴って心から実感することになったのは、それからかなりあと、自分が母になってからのことでした。
◼️毎日思わずにはおれない「生きててくれてありがとう」
1人目の娘を出産した直後は、決して「加点!」「花まる!」なんて優雅なものを感じられる日々ではありませんでした。
とにかくSIDS(乳幼児突然死症候群)などのリスクが怖くてたまらず、夜まともに眠ることもできない日々。
簡単に壊れてしまうこの小さな命を、とにかく自分の手で守らなければという、張り詰めた気持ちが勝っていました。
そんな日々のピークをどうにか乗り越え、少しずつ心に余白が生まれ始めていた頃のことです。
娘が1歳を迎える前、ちょうど復職を控えていた時期だったかと思います。
主人が部下の女性から聞いてきた、母の思いを私に話してくれました。
その女性も私と同じような時期に産休に入り、復職を果たしたばかりだったのですが、彼女は毎日、我が子に対してこう思っているのだと言います。
「毎日、生きててくれてありがとう、って思うんです」
その言葉を主人から聞いたとき、私の心の中で、何かがストンと腑に落ちる感覚がありました。
ああ、私が毎晩求めていた安堵感や、我が子への切実な思いは、まさにこの言葉の通りだったんだな、と。
生きてるだけで、100点満点どころじゃない。そこに体があって、呼吸をして、今日も元気で生きていてくれるだけで、本当に、心からありがとう。
それは100点を大きく超えた価値のある、奇跡の連続そのものです。
◼️2人目の誕生と少しのゆとり、小さいようで大きな後悔
その後、2人目の息子が生まれたとき、やはり不安はどこかにつきまとっていたものの、1人目のときよりは少し心にゆとりを持って接することができました。
「なんて新生児は尊いんだろう」「赤ちゃんって本当にかわいいな」と。
それと同時に、ひとつの切ない後悔も頭をよぎりました。
「娘が生まれたばかりのころも、これくらい心の余裕が持てていたら。もっともっと、あの頃の娘をただ純粋に愛でることができたのに」と。
けれど、そんな風に迷ったり後悔したりしながらも、目の前で子どもたちが今、笑ってくれている。
その事実こそが、私の人生にとって何よりの大加点なのだと、日々の暮らしのなかで実感しています。
◼️ママたちは、無意識に、減点方式の自己採点をしてしまう
我が子に対してはこれほど純粋に「生きてるだけで120点!」と思えるのに、不思議なことに、私たち母親は、自分自身の評価になると、周りと比較して急に厳しい「減点方式」の罠にハマり込んでしまいます。
「もっと自分が頑張らなきゃ」
「ママっていうのは、みんな苦しいものなんだから」
「育児と仕事の両立(あるいは専業主婦)を選択したのは自分なんだから」
「夫のほうが稼いでるんだから、育児と家事は私がやらないと」
「なんで自分はこんなにダメな母親なんだろう」
そうやって、多くのママたちが自分を責め、より厳しい目を自分に向けて、気づかぬうちにひとりで何もかもを抱え込もうとしてしまっているように見えます。
できるだけ子どもに良い家庭環境をあげたい、良い教育をしてあげたい、良い母親でありたいと願う、その強い責任感と愛情の深さゆえに、母親自身にかかるプレッシャーが重くなりすぎてはいないでしょうか。
無意識のうちに、自分を自分で縛ったり、苦しめたりしてしまってはいないでしょうか。
◼️はかなくもまばゆい一瞬を、笑っている側で
正直に言えば、私自身、いまだに自分に対して上手に加点できているわけではありません。
自己嫌悪に陥ることだって、今でもたくさんあります。
けれど……。
今、私たちが直面しているこの苦しさや悩み、目が回るようなバタバタの日々は、長い人生の全体から見れば、本当に「ほんの一瞬」の出来事です。
そして同時に、自分にとっても、子どもにとっても、これからの人生の土台を形作る、相当に重要で、かけがえのない時間でもあります。
だからこそ悩んだり、責任感に押しつぶされそうになるのでしょうけれど。
はかなくもまばゆいこの一瞬の、だけど決定的に大事な時間であるならば、「だめだだめだ」と自分を減点して過ごすよりも、なるべく前向きな気持ちで、「できた」「嬉しい」「楽しい」に変えていった方が、ずっといい。
言霊の力はあると思うし、口角をあげることで笑顔はつくれます。
それなら、少しでも前向きな言葉を唱えられる、笑っている側でありたい。
◼️自分にも120点を与えていい
今日も、必死に尊い命を生かし、生きているママたちへ。
私たちは、お腹に宿ってくれただけで100点満点、生きているだけで計り知れない価値を持っている子どもたちを、毎日守り抜いています。
ご飯を作り、お風呂に入れ、寝かしつけをし、さらには、子どもたちを笑顔にして、自分なりに目一杯愛している。
そんな私たちの毎日は、100点や120点なんて平気で飛び越えて、とんでもない「大加点」の連続のはずです。
だから、自分で自分を責めないで、肯定しまくってほしいと思います。
今私たちが子どもたちに注いでいる「生まれてきてくれてありがとう」。
それは、子どもたちだけに向けられた言葉でも、今この瞬間で消えてしまう言葉でもありません。
あなた自身に向けられた言葉でもあることを、忘れないでください。
そして、いつか私たちのように愛しい子どもたちが大きくなって、社会に出て、人生のどこかで壁にぶつかったとき。
「ああ、自分はあのとき、ただ生きているだけで、全肯定されていたんだ」
という感覚が、彼らの心の底に静かに残っていれば、それがもう一度前を向くための、ささやかな、けれど確かな力になるかもしれない。
そう思っています。
みなさん、今日も本当におつかれさまです🍵🍙❁⃘*.゚
