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時短勤務は、時短分より多くの「制裁」を受けている気がする。成果主義は一体どこへ?

私は第1子の育休から復職した際、2時間の時短勤務を取得しました。

けれど、時短が時短として機能しなくなり、あれこれと考えた結果、復職2年目は「1.5時間の時短勤務」としました。
時短在宅復職のあれこれについては、過去の投稿に綴っています。)

今回は、
・時短勤務という「看板」を背負うことで、いかに大きな割を食うのか。
・時短にした時間分以上と感じる、多くの制裁は何か。


私が向き合ってきたリアルを少しお話しさせていただきます。
きっと、同じように感じているワーママたちも多いのではないでしょうか。


■ 「成果主義」という名のポーズと、新人未満のおじさん


私の会社では、係長クラスの役職になると、特別な事情がない限り「裁量労働制」に切り替わります。
みなし残業手当がつき、毎月の給料とボーナスが一気に増える仕組みです。

ただし、「裁量労働制」と言いながら、あるいは会社は「ジョブ型」「成果主義」に移行すると言いながら、実際は決まった所定労働時間をクリアしていないとマイナス査定になります。

実際の働きや成果とは関係なしに、労働時間ありきで給料は減り、人事評価までマイナスとなってしまうのです。


そのどこが、裁量労働・ジョブ型・成果主義なのか――。


通勤時間や子どもの生活スタイルを考えると所定労働時間をクリアできなさそうな私は、やむなく時短勤務を取得することにしました。
時短勤務になると、裁量労働制の枠組みからは外れることになります。

あえて時短をとらず、仮に所定労働時間に届かなくても裁量労働のまま働く方が手取りが良い、という制度の歪みもあるのですが、

時短勤務を取得しているという「看板」により、残業をしないことや、急な子どもの体調不良等で休むときの精神的な「免罪符」にしたかった、という下心もありました。


時短を選んだ私の給料は、分かってはいたものの、実態に照らし合わせると少し理不尽な形で減っていきました。


まずはベースとなる裁量労働の上乗せ分(ここが一番大きい)がまるごと消えます
さらに、実際にマイナスとなった時間分も差し引かれます。

その上、ボーナスからも時短の割合(2時間なら20%、1.5時間なら15%)に応じて、業績の貢献度に関係なく掛け算のように引かれていくのです。

部署の業績によるところが大きいボーナスにおいて、よほど目立つ活躍をしない限り、個人評価でこのマイナスを跳ね返すことはほとんど不可能。

時短になることで給料が減るのは、労働時間が短い以上、当たり前です。

けれど、実際に短縮した時間やアウトプットの量以上に、受け取るお金はあまりにも大きく減る


これは、さすがに働くママへの「制裁」ではないでしょうか。


古い年功序列の恩恵をたっぷり受けた「働かないおじさん」は、今も一定数存在しています。
(最近になり制度上は、成果見合いで「減給・降格」もできるようになりましたが、今のところはまだしっかり機能してはいません。)

今日一日、何をしていたの? と思うようなことが多々あり、たまに出てくるアウトプットは新人未満。

そんな彼らを横目に、時短の幅を超えて実務をこなしていても、年次の壁の向こうにいるおじさんの方が、私のような時短勤務者より少なくとも200万や300万円以上の給料をもらっているのです。(それ以上かも?)


時短勤務者が、よっぽど手を動かして業務に貢献していても、です。


ジョブ型・成果主義に移行したと言いながら、まだまだそれは形ばかり。
これから先、次第に中身も伴ってくるのかもしれませんが、過渡期のしわ寄せを、私たち中堅や若手が受けている気がしてなりません。


■ 在宅勤務という「見えない孤立」が生む、もう一つの制裁


また、特に大企業のような多くの社員を抱える組織では、どうしても、仕事の中身以外、業務以外でも「目立つ人」のほうが評価に有利な気がしてしまいます。

飲み会や、ゴルフコンペ。あるいは、いつもオフィスに出社している姿が見えて、役職が上の人と廊下で気軽に雑談できるような、「顔のわかる人」のほうが有利になる。


当然と言えば当然のことかもしれません。


時間に制限のある私は、少しでも日々の業務量をこなすために、結果として在宅勤務ばかりを選択していました。

もちろん、なかなかプロジェクト外のメンバーや直属の上司(2つ上くらいまで)以外と、面と向かって顔を合わせる機会はありません。

相手にしてみれば、「あまり見かけないね、誰?」「いつも家で仕事しているよね?」という、あまりよくないイメージを持たれてしまっているのではないかと、不安になります。

どれだけチームで数十億規模の大型案件に奔走し、現場で業務をこなしていても、その動きは画面の向こうに隠れて見えません。


より効率よく働くための在宅勤務を採ることで、「いつも家にいる、よく顔のわからない人」と一括りにされてしまうこともまた、ある種の「見えない制裁」のように感じてしまうのです。


■ それでも私が、この大企業にしがみつく理由


そんなに不満なら、「転職すれば?」と思われるでしょう、。

実際、私は独身のときも、結婚してからも、子どもができてからも、何度も転職を考えました。実際に他社の面接に足を運んだことだってあります。


けれど、動いてみて至ったのは、「自分には、やっぱりこの会社が合っているのではないか」という、これまた「矛盾」した結論でした。


やはり、大企業ならではの充実した環境があります。
数は少ないけれど実際に働き続けているママの先輩もいますし、在宅勤務やフレックス制度も使えます。
給料だって決して悪くはありません。

同じような好条件で他を探しても、かなり選択肢が絞られるのが現実です。

また、日常の業務に追われていると、会社が語る立派な理念や、外に発信しているような事業内容からは遠いなと感じることも多々あります。
けれど、会社が向かおうとしている方向や語っていること自体には共感できますし、周りにも同じ思いを抱いて働く人がいます。


この良い環境を自ら手放すのはなかなか勇気がいることですし、一度辞めてしまっては簡単には手に入らないものだと思っています。


だからこそ私は、今のところ、この場所に留まるという選択をしています。


なお、2人目復職後の働きかたについては、改めて転職も含めて考え中。
けどやっぱり、今より良い環境はなかなかないと思ってしまいます。
本当に矛盾でしかないのですが……。

それは会社というより、『社会』そのものが、選択肢があるようでいて、実は八方塞がりな構造なのかな、とも思います。


(働かないおじさんでも長く椅子に座り続けることで、高い給与と退職金を手にするのに、女性が一度辞めて元に戻れないのが不安なのは「自己責任」、そういう会社に転職しない「自分が悪い」と言われてしまうのは、やはり少しモヤモヤしてしまいますよね……。)


■ 厳しいプロジェクトでの「光」と、在宅勤務の「罠」


振り返れば、復職してからの約2年間は、私にとって実は必要な経験でもありました。

育休中で心穏やかな今だからこそ、完全に過去を美化できているのかもしれませんが、なんだかんだで楽しかったかもな、とさえ思います。


自分の希望で産休入り時点とは異なるチームに異動し、理不尽さに悩みながらも、「自分もまだまだ成長できる」という伸びしろを感じることができました。

それまでと全く別の業界・領域を経験して、厳しい顧客(厳しい・細かいと担当する前から言われていました)を前にして、社内には優秀で見習いたいと思える先輩もいて、良い面も悪い面も多くのことを吸収させてもらいました。


一方で、「あの過酷な環境にもう一度戻りたいか」と言われれば、正直そうではありません

そのプロジェクトはお客さんの会議が他に比べても異常に多く、その間に資料作成や事務処理, 電話やメール、研修をこなす日々は本当に大変でした。

さらに、偉い人を呼んだ急な会議ほど、私の時短勤務外である「朝早く」や「夕方以降」に入ってくるのです。
会議に出られず、後から共有してもらう(時にはまともに共有すらされないのに、手を動かす必要のある一部を切り出して振られる)働きにくさの中で、私は「在宅勤務の罠」の負のスパイラルにハマっていきました。


在宅勤務であれば移動時間がない分、もっと早く子どもを迎えに行けたはずでした。
自分が納得のいくまでやりたかった、というのはもちろんあります。

ただ、それに加えて、組織からの無言の圧力を勝手に感じ取り、私の弱さもあって、お迎えの時間を出社前提の時間に固定したまま画面に向かい続けてしまいました。
(出社しないことの不安はお構いなしに「出社しなくていいよ」「その方が時間とれるでしょ」と。気遣いだったのかもしれませんが…)


気づけば時短の枠を超え、ときには標準の労働時間すら超えて仕事をしてしまう日々。
夜中にPCを開くことも、体調不良の子どもの横でチャットを返すことも、せっかくの家族の休日に仕事を片付けることも、たくさんありました。

もっと早く迎えに行けたはずの我が子を、保育園で最後の一人二人になるまで待たせていたこと。
子どもには、本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。


一度残業をしてしまったら、周りからは「時短だけどこれだけできるんだ」と思われてしまったような気がして、なかなかそのスパイラルから抜け出せませんでした。


■ 抱え込むこだわりを手放す「覚悟」


ただ、その負のスパイラルは自分のなかにも原因がありました。

業務の内容、重い軽いに関係なく、私自身の中に「納得のいく形で、自分の手でやりたかった」という変なこだわりや美学もあったと思います。

もっと周りに振ればよいようなことも、そこまでのアウトプットを出さなくても前に進めそうなことも、つい自分の手の中に収めて、高い完成度を求めてしまっていた部分もありました。
(「そんなんだから、ボーナスが少なくて当たり前だ」ということなら、自分でも納得のいく評価です。)


けれど、今の会社は単純な業務をどんどん外に出そうとしていますし、AIを使って効率化しようという方向にあります。
自分も、より重要で、難易度の高い、自分がやる価値のある、本質的な業務に集中していかないといけない立場になってきています。


これからは、半端なこだわりやプライドは捨てる必要があります。
自分の中でも、やりやすい仕事に逃げない覚悟が必要だと思っています。


「時短勤務」とは、ラクとは真逆で、自分を甘やかしてラクな仕事に逃げるのではなく、短時間で成果を出さないといけない、本当に大変な働き方だと思います。

だからこそ、限られた時間のなかで、周りとも役割分担をしながら、便利なツールを使いながら、人にも振りながら、助けも求めながらやっていかなければいけない、と思うのです。


ただし。

高島ちさ子さんが言っていてグサっときたのですが、
あくまで「本業は母親」
ということを、これからはしっかり肝に銘じておきたいです。


■ 後輩たちに、無理すべきという「ため息」を遺さないために


「本業は母親」と面と向かっていうのには、さすがにためらいがあります。

ただ、今後母親になるかもしれない後輩たちに対して、

「母親はなんだから無理や我慢をしなきゃいけない」
「夜中に働かなきゃいけないし、体調不良の子供の隣で、子どもへの同僚へも罪悪感を抱えながら画面に向かわなきゃいけない」

そんな風な暗いため息のリレーを、残したくない、そう思います。


会社も、社会も、私たちにとって、理不尽な部分はまだまだありますが、
だからこそ、私たちはその構造にただ潰されるのではなく、この場所でしたたかに、賢く立ち回る必要があります。


「難易度の高い仕事に挑戦する覚悟を持つこと」と、
「限られた時間までと割り切ること」は、決して二項対立ではありません。

むしろ、限られた時間だからこそ本質を見極めるという、ある意味では攻めの選択なのかもしれません……。


自分への戒めも込めて。
これから復職するみなさん、今戦っているみなさんに伝えたいです。

今は「子どもとの時間を大事にする時だ」と“前向きに”割り切って、
時短の範囲内でしか働けないことに「申し訳ない」と縮こまるのではなく、感謝の気持ちを持ちながら、ぜひ時間内で潔く仕事を終わらせましょう。

そして、その限られた時間の中で最大限の成果を出して、「自分は今日もしっかりやったぞ」と胸を張る。それで十分だと思うのです。

もし、今の働き方に少しでも疑問があるなら、後輩たちに同じような思いをしてほしくないと思うなら、ほんの少しでもそれを改善する行動をしてみる。上司に相談してみるのも大きな一手です。


今の私たちの選択や言動が、これからの未来を作っていく
そんな思いで、一緒に頑張っていきましょう。


……でも、やっぱり。本音を言えば。

業務をこなした分、成果を出した分、
働かないおじさんよりもちゃんと給料は欲しいですよね!!!

真っ当な評価が当たり前の世の中になりますように!


みなさん今日も本当におつかれさまです✨️


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