在宅勤務=「ラクな働き方」ではない。境界線が消えた1人目復帰の自戒と、守りたい「17時のお迎え」
SNSを開くと、こんな声をよく目にします。
「在宅勤務ってラクそうでいいよね」
「フルリモートなんだから、子どもの面倒を見ながら仕事すればいいのに」
「夫はずっと家で仕事しているのに、家事も育児も全然やらない!」
たしかに、通勤ラッシュの疲労から解放され、通勤にかかるはずだった時間を自分のために使える在宅勤務は、画期的でありがたい制度です。
けれど、「在宅勤務=ラクな働きかた」という一部のイメージには、どうしても大きな違和感を覚えてしまいます。
そもそも在宅勤務は、個人を甘やかすためのものではなく、多くの企業にとって、個人や組織が「仕事でパフォーマンスを最大限に発揮するため」の戦略のひとつであるはずです。
そして私自身にとっても、育児と両立しながら働き続けるための欠かせないひとつの手段でも大丈夫あり、疲弊への罠でもありました。
■ 在宅勤務で「サボる人」の裏で
私は入社以来、いわゆる日本の古きよき大企業で、中央省庁を中心とした顧客を担当するような部署で営業をしてきました。
もともと東京オリンピックに向けて少しずつ進んでいたリモートワークは、コロナ禍で一気に浸透しました。
しかし現在は、育児や介護などへの配慮は残しつつも「週に1、2回は顔を合わせてコミュニケーションを取ろう」というハイブリッドな風潮に落ち着きつつあります。
(国内外の有名企業の動向にならっている部分もありますが)
とある管理職からは、リモート勤務ができることにより、見えないところで上手くサボる人が問題になったからだと聞きました。
一方で、際限なく働きすぎて疲弊してしまう人もいます。
ちなみに、私は後者であり、1人目の復職時の自分の働き方は、今振り返っても決して良くなかったと強く自戒しています。
■ 「物理的にやれてしまう」罠と、私の弱さ
1人目の育休から復職する際、前の上司が昇進して異動することになり、引っ張ってもらう形で私も部署内異動をして、新たな担当を持ちました。
着任前からトラブルも抱えていた難易度の高い大規模プロジェクト。
相手もリモートワークが定着していたため、私の業務も大半がリモートになり、ありがたいことに営業でありながらほぼ在宅勤務が可能な環境でした。
復職時、通勤時間も考慮して「2時間の時短勤務」を選択しましたが、その見通しは甘かったと痛感しています。
会議から会議へと渡り歩き、その合間を縫って資料を作り、メールを返し、社内外の電話対応をし、必要な事務処理などを絶え間なくこなす日々。
会議中にそれらをこなすことも当たり前になっていきました。
出社の日は無理やり時間を区切って切り上げても、在宅勤務の日は、時短などあってないようなもの。
時短前の就業時間を超えて残業することも珍しくありませんでした。
では、なぜそこまでタスクを抱え込んでしまったのか。
それは、在宅だと「物理的にやれてしまう」ことに加え、私自身の「弱さ」が根本にあったからです。
家庭の事情で、どうしても周りに調整をお願いしなければならないことが発生する申し訳なさ。
頼まれると断れないイエスマンな気質。
「期待できない社員だとは思われたくない」という中途半端なプライド。
私が一人でどうこうできる規模のプロジェクトではありませんが、なんとかプロジェクトの立て直しに貢献したい。
チームや自身の業務がうまく回るような形を整えたい。できないやつだと思われたくない。
上司からの「若手の育成と、知識やノウハウのチームへの還元」という期待にも応えたい。
そんな思いが重なり、タスクはどんどん時間外、ときには夜中や休日へ持ち越されました。
娘は寝るのが苦手なタイプだったため、確実な作業時間を確保できるわけでもなく、本当に常に綱渡りでした。
ちなみに。
仮に1日30分でも時短勤務制度を利用するというだけで、裁量労働手当は一切なくなり、時短で減った時間よりも多くの給与と賞与が減ります。
時短を超えた残業代はもらえますが、成果に関係なく、フルタイムの場合より年収は大きく下がるのです。
だからと言って、フルタイムに戻せばいいかと言うと、そう簡単な話でもありませんでした。
■ 溶けていく生活と、奪われた余白
そんな日々の中で、家事はひどい有様でした。
洗濯乾燥機にすべてを任せ、大人の服は畳まずに山積み。
ロボット掃除機はあるのに、床が散らかっているから動かせるのは週末だけ。
食事も出前やお惣菜に頼ってばかりでした。
何より辛かったのは、子どもとの時間が消えてしまったこと。
はじめこそ在宅のときは早く迎えにいっていたのに、気づけば「18時迎え」でもギリギリの日々。18時半を過ぎてしまったことも何度もありました。
夫婦の仕事のリズムにおされて、娘も遅寝遅起きになっていきました。
ただでさえ、遅い時間のお迎えで子どもに負担をかけているのに、子どもの帰宅後に一緒に遊ぶ余裕なんてありません。
それどころか、こっちの都合で「早く寝なさい!」と叱ってしまうこともよくありました。
こうして生活の余白がすべて仕事に塗りつぶされていく中で、皮肉なことに「出社」が恋しくなる瞬間がありました。
出社していれば、雑談レベルで相談ができ、電話応対を聞きながら学んだり、若手をさりげなくフォローしたりすることもできます。
同僚とのランチは息抜きにもなる。
通勤時間は、読書や自己研鑽にあてられる貴重な「ひとり時間」です。
(現実には、終わらない業務に追われ、出社した日は自腹でグリーン車に乗り、スマホで必死にチャットやメールをさばいて残りの仕事を片付ける時間になってしまっていましたが)
■ それぞれの「見えない大変さ」への想像力
こんなふうに、在宅勤務の罠にはまり、家事育児が回らなくなるほどの余裕のなさを身をもって体験したからこそ。
「在宅なんだから、家事も育児ももっとやってよ」
「フルリモートなら、自宅保育しながら働けるでしょ」
などという声を見ると、少しだけ立ち止まって考えてみてほしいと思ってしまいます。
SNSなどを見ていると、妻から夫へ、夫から妻へ、あるいは専業主婦からワーママへ、同じワーママ同士でさえも、立場の違いからこうした不平不満や羨望の声が飛び交っています。
もちろん、出社が必須の仕事をしている人や、ワンオペで家事育児を回している人からすれば、在宅勤務のほうがゆとりがあると感じるのも、不公平感から不満が溜まるのも至極真っ当な感覚だと思います。
でも、一日中家で仕事をしている人も(それが夫であれ妻であれ)、決してラクをしているわけではないかもしれません。
終わらない会議、途切れないチャット、顔が見えない孤独とプレッシャーの中で、画面から目を離せず、昼を食べたのかも忘れるくらいずっと働き続けている。
境界線がないからこそ、強制終了のスイッチがなく、逃げ場を失っている可能性があります。
それぞれが、それぞれの立場になってみないとまるで想像もできないような大変さを抱えていることがあります。
だからこそ、自分のあたりまえの基準や見えている景色だけで、不平不満や妬みをSNSや誰かの前で口にするのは、少し待ってみてほしいのです。
もしそれが家族に対してなら、相手を責めるのではなく、お互いの見直したい点を持ち寄り、「同じ家庭を良くする」というベクトルを見失わずに建設的な話し合いをしてみませんか。
■ 2人目復帰へ向けて、私が死守したいこと
1人目復帰時、あんな働き方になってしまったのは、私の弱さや自己責任が招いた結果であり、大きな反省点です。
だからこそ、2人目の復帰時には必ず働き方を見直さなければなりません。
出社時と在宅時でうまく時間を前後させて柔軟に調整しながら、次こそはなんとかして「在宅の日は遅くとも17時、出社の日でも17時台のお迎え」を目指したいと考えています。
子どもと向き合って笑い合う時間。
子どもの早寝早起きのリズム。
健康な食卓と、整った部屋。
在宅勤務は決してラクじゃない。
境界線が溶ける罠にはまれば、あっという間に生活が飲み込まれてしまいます。
それにしても、在宅勤務という手段があっても毎日ギリギリな私。
10〜12年ほど前の100%出社時代に、第一線で営業をやり遂げた当時の先輩ワーママたちは、一体どれほど極限まで効率化して戦っていたのか。
本当にすごすぎると心底尊敬します。
私には先輩たちと同じ働き方はできないけれど、だからこそ、次こそはこの「在宅」「時短」という働き方をうまく使って、家族の健やかな日常を守りたいと思っています。
みなさん今日も本当におつかれさまです。
