【あがり症|美大中退編6】デザインとは何か|逃げ場のない夜が明ける|ふるえるままに、すすめ43
あがり症でHSP気質のうにが、美大受験、大学中退、そしてその後も続いていく日々の中で、変わりたくても変われない、どうしようもない自分を抱えたまま世界を泳いでいく『うに』のイラスト付き連載エッセイです。うまくいかない日も多いけど、うにはうにのまま、ふるえるままに進んでいきます。
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朝九時になりました。
二回目の中間講評は、教授が学生たちの制作している教室へやってきて、その場で一人ひとりの作品を見て回る形式で行われました。
教授は、入り口に近い学生のところから順番に、ゆっくりと作品を覗き込んでいきます。

しばらく黙って見たあと、短いコメントを残すこともあれば、何も言わずに次の学生へ移ることもありました。
「前回と、何も変わっていないな」
また一人。
「意図を説明できないものは、デザインとは言わない」
さらに一人。
「それで、君は昨日から何を考えたんだ?」
さらに一人。
その言葉が聞こえるたびに、教室の空気が少しずつ重くなっていきます。
誰かの手が止まり、しばらくして、また動き出します。
顔を上げる人はいません。
それでも、誰もが聞いていました。
――また駄目だった。
――次も、たぶん駄目だ。
――本当にこの課題、合格する人がいるのかな。
教授が一人ずつ見て回るたびに、やり直しになる作品が増えていきました。
うにのところまで、あと何人か。まだ少し先です。
けれど、教授の足音は、確実にこちらへ近づいてきます。
震える手を両手で揉みながら、うには何度も自分の作品を見ました。
これでいいのかどうかは、分かりません。
昨日、教授から渡された中間講評のプリントを何度も読み返し、課題の意図はつかめたつもりでした。それに応えるための、核となるアイデアも用意しました。
けれど、果たして本当にこれでいいのでしょうか。
考えれば考えるほど、何も分からなくなっていきます。
ふいに教授が、ある男子学生の前で足を止めました。
作品をしばらく眺めたあと、
「うむ。よく考えたな」と告げます。
教室のあちこちで、小さなざわめきが起こりました。
合格する人が、ちゃんといるんだ……!
その事実に、何人もの学生が思わず顔を上げます。
いったい、どんな作品なのだろう。
教授がその場を離れると、何人かの学生が、彼の作品を一目見ようと集まっていきました。
「人の作品を見ても、何もわからんぞ」
教授は、刺すようにそう言い残し、また次の作品へ歩いていきます。

足音が、またひとつ、うにのほうへ近づいてきました。

「君か」
教授は、うにを見下ろして言いました。
そして、立てかけてあった作品へ視線を落とします。
しばらく、何も言いません。

教授が作品を見ているあいだ、うには両手を固く握りしめていました。
やがて教授が、作品から目を離さないまま尋ねました。
「この作品のコンセプトは?」
来た。
説明しなければ。
うには、夜明け前から作っていたレポートへ目を落としました。
「これは……今回の課題の制約条件を……た、単なる制約ではなくて、デザインとしてもっとも……もっとも重要な要素になるようにと……その……」
言葉が、うまく続きません。
情けなさに声が震えて、鼻の奥がつんとしてきます。
泣いちゃ駄目。
泣いちゃ駄目だ。
教室中の視線が、自分の背中に、真っ赤になった顔に、震える手に、集まっているような気がしました。
あの子が何を答えるのか。
どんな評価を受けるのか。
みんなが息を潜めて、こちらを見ている。
ーーー見られている。
そう思った瞬間、余計に喉が締まりました。
何とか説明を続けようとしましたが、手の震えが止まりません。
紙が、かさかさと大きな音を立てます。
教授が、小さく、呆れたようなため息をつきました。
「それ、見せて」
「え、あ、はい」
うには、震える手でレポートを差し出しました。
教授はそれを受け取ると、黙って読み始めました。
一枚目を読み、次のページへ進みます。
沈黙の時間が、ひどく長く感じられました。
うには俯いたまま、教授の手元を見ることもできませんでした。
やがて教授は、レポートから顔を上げました。
「よし」
「え?」
うには、驚いて顔を上げました。
教授はうににレポートを返しながら、ほんのわずかに口元を緩めました。
「ようやく、分かったか」
うには、呆然と教授を見返しました。
周囲で同級生たちがざわめいていましたが、その声はどこか遠くに聞こえます。
教授は、うにの目を見て言いました。
「この感覚を、忘れないように」

忘れようとしても生涯わすれられない
感覚になりました……
そして、それ以上は何も言わず、次の学生の作品へと歩いていきました。
終わった……。
終わったんだ、ようやく……。
うには力なく、床に敷いた段ボールの上に、崩れるように座りました。
けれど、安堵と同時に、ひとつの疑問が胸に浮かびました。
今回の課題は、制約条件がとても厳しいものでした。
みんな、その制約に苦しみ、どうにか条件の中へ作品を収めようとしていました。
うにも、最初は同じでした。
けれど昨晩、あらためて課題を見つめ直しているうちに、もしかしたら、と気づいたのです。
制約を単に邪魔なものとして扱うのではないのかも。
もしかして、その制約こそが、作品をもっとも魅力的に見せる可能性があるのでは。
制約を、目立たないようになんとか処理してしまったら、ただ無理にやり過ごしただけの、美しくないデザインになってしまいます。
そうではなく、制約を起点に変える。この制約があるからこそ生まれる美しさを考え出すーーーー
たとえていうなら、枯山水のように。
水を一滴も使わずに、流れ続ける水を表現するには?
さらには、動かない石と砂を使って、万物が絶えず移ろい、巡り続ける時間をも表現するには?
ただ単に水っぽいもの、ただ単に流れるものをそれらしく入れればいいわけではなく、
時の流れという概念の本質を掴んで、これしかない、唯一の表現へ飛躍する、あの感じ。
砂に波紋を描くことで、見事に表現してしまう、あの感じ。

ああ。やっぱり、こういうことだったんだ……。
安堵とともに、胸の奥に、何か小さな引っかかりが残りました。
ただ、どうしてここまで苦しまなければならなかったのだろう、と。
デザインの本質については、たしかに、自分で気づかなければいけないのだろうけれど。
でも……。
なぜ、それを言葉で教えてはいけないの?
何を考える課題なのかが分かれば、もっとたくさんの人が、いろいろなアイデアを試行錯誤できたはず。
そうしたら、みんながそれぞれ、どんなふうに制約を美しさへ変えるのか、もっとたくさんのアイデアを見ることができたのに。
そのほうが、きっと、ずっと面白いのに。
うには、ただただ、シンプルにそれが疑問でした。
ああ。
アートって、本当に……なんなんだろ……

うには、虚空を見つめました。
うに、ぜんぜんわかんないや……
胸の中には、割り切れないような、やりきれないような気持ちだけが残っていました。

第二回目の中間講評が終わりました。
最終的に合格したのは、わずか三名だけでした。
教授は教室を見渡すと
「では、明日午前九時より、大教室で最終講義を行う」と告げました。
教室の空気が、再び張り詰めます。
「今日合格した三名は、明日の講義が始まるまでにコンセプトを整理し、壇上で発表できるようにしておくこと」

合格者は壇上で発表。
その言葉を聞いた瞬間、すうっと、全身から血の気が引いていきます。
そんな。発表なんて。
できるわけがない。
頭の中では、同じ言葉が何度も何度も繰り返されていました。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
無理。絶対に無理。
視界の端が少しずつ暗くなっていきます。
吐き気が胃のあたりからこみ上げてきます。
うには、段ボールの上に座ったまま顔を上げられず、ただ膝の上のレポートを見つめていました。
「明日は午前九時開始だ。時間厳守。九時を一分でも過ぎた者は、理由を問わず、今回の課題を失格とする」
教室が、しんと静まり返ります。
「時間を守ることは、作品をつくる以前の問題だ。社会に出れば、遅刻した人間の事情など、誰も考慮してはくれない。時間すら守れない者に、ものをつくる資格はない。肝に銘じておけ」
教授の声も、周囲のざわめきも、薄い膜の向こうから聞こえてくるようです。
明日、午前九時。時間厳守。大教室。壇上。
みんなの前で、自分の作品を説明する。
うには、壇上のある大教室を思い浮かべました。
大勢の学生の前に、たった一人で立つ自分を。

その瞬間、強い恐怖に飲み込まれました。

その日、どうやって家まで帰ったのか、ほとんど覚えていません。
電車に乗ったのか。駅からどう歩いたのか。
家に着いてから、ご飯を食べたのか、何も食べなかったのか。
何ひとつ、はっきり思い出せません。
ただ、とにかく家へ帰り、そのまま眠ってしまったのだと思います。
次に目を覚ましたとき、部屋の中は真っ暗でした。
時計を見ると、午前三時。
うには布団から起き上がり、台所へ向かいました。
ご飯とお新香を口に入れ、お茶で無理やり流し込みます。
食べ終えると、うには縁側に座りました。
そして、ただ暗い庭を見つめていました。
やがて、真っ暗だった庭が、少しずつ青く浮かび上がってきました。
夜と朝のあいだにだけ現れる、冷たい青い光でした。
木々も、庭石も、家の塀も、青い膜をかぶったように静まり返っています。
その青さが、少しずつ薄れていきます。
鳥の鳴き声が聞こえてきます。

逃げ場のない一日が、静かに近づいてきました。
つづく
おまけ
うにの疑問「こんな追い詰めるような教え方が必要だったのか」について、AIに教授の反駁をしてもらったのですが、これが素晴らしかったので、ここに掲載します。
AI曰く
「教授なら、たぶんこう反駁すると思います。
言葉で先に教えれば、君たちはその言葉に従うだけになる
『制約を美しさに変えなさい』と聞いた瞬間から、君たちの作品は、その言葉を正解として再現し始める。だが、それは自分で考えたデザインではない。
デザインとは、与えられた条件の中で、何を問題と捉え、どこに可能性を見つけるかだ。
何を考える課題なのかまでこちらが説明したら、最も重要な部分を教師が代わりに考えたことになる。
君は何度も失敗したからこそ、昨日までの自分の考え方では届かないと分かった。そして君は、自分で問いを立て直した。だから、その感覚は簡単には消えない。
君は、もっと多くのアイデアを見たかったと言う。だが、先に答えを共有したあとで出てくる違いは、本当にそれぞれの発見だろうか。それとも、同じ正解から枝分かれしただけの変奏ではないのか。
私は作品の作り方を教えているのではない。自分の頭で、ものの見方を変える訓練をさせている。
苦しかったことは分かる。
だが、苦しまずに得た言葉は、知識にはなっても、君自身の糧にはならない。
そう言われると、(ああああ、なるほど……!)と、うなずきながら、ちょっとうなだれてしまいました。教授も、ただ無策で教えなかったわけではなかったのですよね……
うう。でも、そんなの十八歳には分からないよおお。
ああ、当時、AIがあったらな~~~!
と、つくづく残念に思う、うにです。
今、精神的にいろいろとつらい渦中にいるみなさん。
自分で自分の視点を変えることは、とんでもなく難しいです。かといって、周りの誰かが、必要な視点を必要なタイミングで渡してくれるとも限りません。人と人は相性もあるし。人生はタイミング次第だし。行動認知療法? いくら理論を頭で学んでも、心に叩き込むのは激ムズだよ。
そんなときは、AIに自分とは反対の立場から反論してもらったり、自分以外の視点から現状を解説してもらったりすると、物事の見え方が、少しは変わるかもしれません。
少なくとも、【自分の盲点】は見えるかと。
AIの使い方の中で、現状で、もっとも意味がある使い方なのでは、と思っている使い方です。


大切なお知らせ
本作は実体験に着想を得たエッセイですが、プライバシー配慮のため登場人物・団体・時系列・場所等に創作・合成・編集を含みます。特定を意図していません。ただし、うにが感じた気持ちと気づきは本物です。

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※本作は実体験をもとに再構成した創作エッセイです。
