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【あがり症|美大中退編7】うに、電車に乗れない|ああ、なんて、矛盾した自分|ふるえるままに、すすめ44

あがり症でHSP気質のうにが、美大受験、大学中退、そしてその後も続いていく日々の中で、変わりたくても変われない、どうしようもない自分を抱えたまま世界を泳いでいく『うに』のイラスト付き連載エッセイです。うまくいかない日も多いけど、うにはうにのまま、ふるえるままに進んでいきます。

はじめてましての方はこちらからどうぞ】
★子供のころのあがり症は(1)こちら
★あがり症を抱えたまま働きだしたストーリーは(4)こちら
★美大受験期・美大中退編は(21)こちら

夜が明けました。

縁側に座ったまま、ぼんやりと空を見ていたうには、時計を見て立ち上がりました。

大学へ行かなきゃ。
とにかく、考えないで。

いつものように着替えて、洗顔と歯磨きをして、昨日持って帰ってきたままの鞄を持って家を出ました。

眠ったはずなのに、まるで昨日がそのまま地続きで今日につながっているみたいでした。

時計を見る。七時ちょっとすぎ。

駅へ向かうサラリーマンが、同じ方向へ歩いていきます。

さあ、行かなきゃ。
行かないと、基礎造形の単位を落としてしまう。
単位を落としたら、留年してしまう。
特に今日は、一分でも遅刻できない。

駅の階段をのぼり、定期を出して改札を通り、いつものホームに降ります。そして、たまたま空いていたベンチの一席に座って、電車を待ちました。

電車がホームに入ってきます。
停車した電車のドアが開き、通勤客が乗り込んでいきます。

さあ、立って。
うにも、あの電車に乗らなきゃ。

そう思って、目の前の電車を見つめました。

電車の発車の音楽が鳴り終わり、ドアが閉まりました。
電車はホームを出ていきました。

うには、ただ、その電車を見送りました。
身体が全く動きませんでした。

――大丈夫。
次の電車に乗れば、まだ間に合うから。


数分後、次の電車がホームに入ってきました。
ふたたび電車が停まってドアが開き、人が乗り込み、発車の音楽が流れーーー

うには、ただそのドアが閉まるのを見つめていました。

さらに、次の電車が来て、ドアが開いて、人が乗って、ドアが閉まる。
さらに、次の電車が来て、ドアが開いて、人が乗って、ドアが閉まる。

何本見送ったでしょうか。

まだ間に合う。
次に乗っても大丈夫。
その次でも大丈夫。
その次でもまだ――

そう思いながら、うにはベンチから立ち上がれませんでした。

どうして。

――行かなかったらどうなるのかも、ちゃんとわかっているのに。

でも、行ったら行ったで、
大教室の壇上に立って、自分がどうなるかも、わかっている。

どちらも選べない。もう、戻れない。

刻々と時間だけが、進んでいきました。

気づけば、時計の針は九時を過ぎていました。


ーーーーああ、ついに大教室で授業が始まった。
きっと教授が壇上に立ち、助手さんが出席を確認して
合格者三名が前に出てくるように呼ばれてーーーー
うには、そこにはいない。

何もかも、取り返しがつかなくなったんだ。

やがて、九時五分の電車が入ってきて、ドアが開きました。
通勤ラッシュはもう終わっていて、車内は少し空いていました。

うには立ち上がり、その電車に乗りました。

ドアが閉まり、電車がゆっくりとスタートしました。

何のために、今さら電車に乗るの?
今さらあの教室に入って行って、どうするというの?

今から行っても、確実に一時間以上の遅刻です。
強く叱責されるでしょう。
単位も落とされるでしょう。

なのにどうして。

今になって動けるの?

自分でも、自分がわかりませんでした。


大教室の扉を開けた瞬間、百人近い学生の視線が、一斉にうにに突き刺さりました。生徒たちが息を呑む音が、やけにはっきり聞こえました。

教室中央の通路を、うには歩いて降りていきました。

壇上の教授が、ゆっくりとうにを見下ろします。

「……今、何時だ」

低い声でした。

うには答えられませんでした。

「答えなさい」

「……十時三十分です」

「あれほど、遅刻は認めないといったはずだな」

「……はい」

「いいか」

教授の声が、大教室にいるすべての学生たちに聞かせるように響きました。

「遅刻というのは単に時間に遅れるという話じゃない。約束を守れないということだ。約束を守れない人間は信用されない。

たった一度の遅刻で評価は落ちる。そしてその評価は簡単には戻らない。なぜか。大事な場面で約束を守れない人間だ、と判断されるからだ。そういう人間に責任のあることは任せられない」

教室の空気が、完全に凍りつきました。

「つまり、君は今、自分で、信用できない人間だ、と証明したことになる。才能があるかどうか以前の問題だ。約束も守れない人間が何を作るんだ。作品以前に、人として、なってない。

君のような人間はどこへ行っても同じことをする。時間を守れない、約束を守れない、言い訳だけが増える。……それでも来たのか。

一体君は大学に何を学びに来ているのかね」

うには、何も言えませんでした。

違う、と言いたかった。
でも、何を言っても、きっとすべてが言い訳になる。

「いいだろう」

教授の声が、わずかに変化しました。

「せっかく来たんだ。今から発表しなさい」

え。うには思わず顔を上げました。

「君の作品には、合格した理由がある。だから今日、発表して、皆で検討する予定だったんだ。ここでやらなければ、何のための合格だ。今日の遅刻については、しっかりと評価に入れる。だが、来たからには、やるべきことは、やりなさい」

――教授が言いたいことは、はっきり伝わってきました。

発表すれば、単位は出そう。
最低評価ではあるが。
でも、終わりではない。

……終わらない。
……終わらせても、もらえないんだ。

そのつぶやきが胸に広がったとき、うには気づきました。

ああ、そうか。
自分は、誰かに引導を渡してもらいたかったのだ、と。


君はここには向いていない、と言ってほしかった。
もう終わりだと、はっきり切ってほしかった。

なぜって、

自分からこの道を降りることが、
どうしても、どうしても、できなかったから。


全力をかけた受験の一年間。
盗作されたかもしれない、あのデッサン。
予備校の先生たちの励ましと喜びの顔。
「ひとつくらいくれたらいいのに」と言わせてしまった友達の顔。
父の誇らしそうな顔。母の花のような笑顔。
ハオユーと一緒の現役合格。
祖母と桜の下で撮った写真。
波多野先輩の心配する顔。
ゆきちゃんの、何事もなかったかのようなあの笑顔。

風に舞う桜の花びらが、ふっと脳裏をかすめます。

――ここで、自分から降りたら。

全部が嘘だったことになってしまいそうで。

ゆきちゃんではなく、
うにのほうが偽物だったと、
自分で証明してしまいそうで。

でも、もうとっくに、心が限界を超えていました。

だれかに、言ってほしかった。
絵を描くことがこんなにも苦しいなら
もう終わりにしていいよ、と。

だから、九時が過ぎてから、ようやく電車に乗れたんだ。




――ああ、なんて、矛盾した自分。


たくさんの生徒が息を呑み、うにの様子を見ていました。静まり返った教室に教授の声だけが響きます。

「ほら、始めなさい」

息がうまく吸えません。
喉が絞まって、喘ぐようになってしまいます。

心臓が、耳のすぐそばで鳴っているみたい。
手が、全身が、震えて止まりません。
立っているだけで、精一杯でした。

「……どうした、説明してみろ」

声を出そうとしても、喉が閉じて、何も出てきません。

息がうまく入らない。
そのあとで、冷や汗が背中を伝い落ちていきました。

『なんで今更来るんだよ、いい迷惑だ』
『あんなんで合格かよ、ありえね~』
『とても見ていられないわ~早く終わって~』
――誰もそんなことは口に出して言ってはいないのに、

重い空気が、見えない圧になって、
背後からじわりと覆いかぶさってきます。

きっと教授も引けない。
うにも動けない。
――誰も、止められない。

そのとき、

「教授、ここまでにしましょう」

助手さんの声が入りました。

「ちょっと、様子が……おかしいですよ」

教室の張りつめた空気が、わずかに緩みました。

助手さんが、うにの横にやってきて、そっとうにの腕に触れました。

「大丈夫? ちょっと外、出ようね?」

支えられるようにして壇上を降り、教室の外の廊下に出ました。


助手さんが、背中を支えながら、静かに聞いてくれました。

「一時間半も遅刻するっていうことは、単なる遅刻じゃないよね? 何かあった? 話せたらでいいけど……」

うには、ただ、首を振りました。

違う。そうじゃないんです。
全部、うにが悪いんです。
うにが、電車に乗らなかったから……
誰かに終わらせてほしいって思ったから……
自分のことなのに、自分で決断しなかったから……

そう言いたかったのに、声にはなりませんでした。

「……授業を、止めてしまって……すみませんでした……」

それしか、言えませんでした。


つづく。

👇今回のBGMはこちら!

痺れちゃうくらいに怖くてさ
足が竦んで竦んでいた
その時 落ちた涙が 今も忘れらんないよな


おまけ

今、限界でやめようと悩んでいるあなたへ

心が限界に近づくと、まず体にブレーキがかかるので、そのサインをどうか見過ごさないで。無理をしてはいけません。すべてを保留にして、心身を安全な場所へ。

この物語が、今まさに「もう無理。でも自分で終わらせるのも怖い」と思っている誰かに届いて、今日すぐ人生を確定しなくても大丈夫だよ、と伝わったら本当にうれしいです。

長い人生です。数か月や数年、遠回りしても大丈夫です。
「いったん止まって。決めるのは元気になってから」


👇本編続きはこちら

👇閑話休題 700フォロワー御礼


大切なお知らせ
本作は実体験に着想を得たエッセイですが、プライバシー配慮のため登場人物・団体・時系列・場所等に創作・合成・編集を含みます。特定を意図していません。ただし、うにが感じた気持ちと気づきは本物です。

~今までの物語が読みたい!~
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※本作は実体験をもとに再構成した創作エッセイです。


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