【あがり症|美大受験16】あの日、起こったことのすべては、なんだったの|ふるえるままに、すすめ36
あがり症でHSP気質のうにが、美大受験、大学中退、そしてその後も続いていく日々の中で、変わりたくても変われない、どうしようもない自分を抱えたまま世界を泳いでいく『うに』のイラスト付き連載エッセイです。うまくいかない日も多いけど、うにはうにのまま、ふるえるままに進んでいきます。
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制限時間の、ほぼ三分の二くらいは、夢中になって画面に向かって描き込みをしていました。
画面のどこにも手抜かりがないように。
画面いっぱいに、体育館が広がっているように。
ボールが美しく床に影を落とし、床が午後の光で、きらきらと輝いているように。
時々、他の受験生が手を上げて、監督官に声をかけていました。
「少し離れて見てもいいですか」
そんなふうに聞いているのだと思います。
後列の、背の高いイーゼルで描いている受験生は、比較的、画面から距離を取って全体の狂いを確認しやすいです。けれど、前列の、背の低いイーゼルで座り込んで描く席の受験生は、少し事情が違います。
立ち上がって、自分の絵を少し離れたところから見ようとすると、後列の人の邪魔にならないように気をつけなければなりません。
うにも、手を上げました。
監督官がやってきて、うなずきます。
うには席を立ち、後列の人たちのあいだを通って、自分の絵が見える位置まで下がりました。
そして、振り返りました。
そのときでした。
視界の隅に、ゆきちゃんの絵が入りました。
心臓が、大きく音を立てて鳴りました。
ゆきちゃんの絵のアイデアも、構図も、うにの絵と、まったく同じだったのです。
一瞬、わが目を疑いました。
血の気が引いて、こめかみのあたりが冷たくなりました。足元がほんの少しふらつきました。声は出ませんでした。心の中でさえ、何も言葉になりませんでした。
ただ、自分の席に戻るだけで精いっぱいでした。
椅子に座って、瞬きも、呼吸も忘れて、考え込みました。
なんで。
なんで。
なんで。
今、何が起こっているの。
ゆきちゃんの絵とうにの絵は、アイデアも構図も、まったく同じです。
体育館の床。
掃き出し窓から差し込む光。
右側からボールに当たる、午後の明るさ。
そこまで、一緒でした。
うにの席は、前列。
ゆきちゃんの席は、後列。
見える。
ゆきちゃんの席からなら、うにの画面は見える。
それに、描き込みの量が違いました。
うにの画面には、すでにもう床の光も、ボールの影も、体育館の奥行きも、かなり入っていました。試験スタートからフルスロットルで描いてきて、画面の端まで、必死に手を入れてきた跡がありました。
でもゆきちゃんの絵は、まだまだ白いところが多かった。
いま、この時点で同じ構図になったのだとしたら、先に描いていたのは、どう考えても、うにのほうでした。
でも。
でもでもでも。
試験で、同じアイデア、同じ構図の絵が、二枚並ぶのです。
審査する教授たちにとって、どちらがどちらを真似したのかなんて、わからないかもしれません。
いや。
でも。
うにの構図は、あまりにもオーソドックスでした。
体育館。
床。
光。
ボール。
だれだって、考えられる。
だれだって、そこに行き着くかもしれない。
ゆきちゃんだって、ゆきちゃんの頭の中に、まったく同じ構図が思い浮かんだのかもしれない。現役生同士、考えることが似てしまっただけかもしれない。
……盗んだなんて、決めつけてはいけない。
いけない、と思う。
……でも。
教授たちの前に、まったく同じ絵が、二枚並ぶのです。
その事実だけが、何度も何度も、頭の中で反響しました。
気がつくと、鉛筆を握る手が、小刻みに震えていました。
怖い。今も背中から見られているような気がして、怖い。
前から少しずつ症状が出てきていた手の震えが、
今、この瞬間に、顔を出そうとしていました。
ああ。お願い、手よ、震えないで。
ここで描くのをやめたら、終わる。
終わってしまう。
ゆきちゃんがどうとか、教授がどう見るとか、そんなことを考えている場合じゃない。
描かなきゃ。
とにかく、描かなきゃ。
体育館の床は、まだ描ける。
光も、まだ足せる。
ボールの影も、もっと美しくできる。
ボールの質感も、もっと出せる。
同じ構図なら、うにの画面のほうがいいと思わせるしかない。
私の絵が偽物にならないために、
今、走り切らなければ。
うには、震える手で鉛筆をもう一度強く握りしめて、画面に戻しました。

試験が終わりました。
うには、肩から大きく息を吐き出しました。
終わった……。
負けないくらい、描き込んだという感覚もありました。
でも、どうしても、後ろを振り返るのが怖い。
だから、できるだけゆっくりと荷物を片づけました。
背後では、受験生たちが、次々に部屋を出ていく気配がしました。
イーゼルの前を誰かが通る音。遠ざかっていく足音。
荷物を全部片づけ終わってしまって、それでも椅子に座ってじっとしていたら、試験監督さんに声をかけられました。
「終了ですよ。退室してください」
「……はい」
うには荷物を持って立ち上がり、ようやく振り返りました。
ゆきちゃんの席は、もう空っぽでした。


後日、合否がわかりました。
うには、合格。
そして、ゆきちゃんも、合格していました。
同じ大学でした。
最終的に、波多野先生が通っている同じ大学、同じデザイン学科に、うにとゆきちゃんは行くことになりました。
なつめとふうこは、一年浪人することになりました。
その結果を聞いたとき、うには、何も感じられませんでした。
うれしいはずなのに。
合格したのに。
一年間、ずっと目指してきた場所に、届いたのに。
でも、胸の中は、ぐちゃぐちゃ。
二人とも合格って、いったい、何なの?
いったい、どういう評価基準なの?
わからない。
何一つ、わからないことばかり。
あの日、試験会場で起こったことは、なんだったの。
あの絵は、なんだったの。
最後まで走り切ったうにの覚悟は、なんだったの。
正しさって、何。
努力って、何。
芸術って、何!
何が評価されて、何が落とされたの。
わたしたちは、何を信じればよかったの。
一年間、同じ塾に通って、同じ教室で描いて、同じ先生に見てもらって、同じように不安に耐えて、試験へ向かったはずでした。
でも、最後に残った結果が、これでは、
あまりにも、あまりにも。
あまりにも。
なにもかも、どう受け止めればいいのかが、わかりませんでした。
このことを知っているのも、うにだけ。
うにだけなんです。
ふうこにもなつめにも言えない。
塾の先生にも言えない。
誰にも言えない。
心の中で、同じ問いだけが何度も繰り返されました。
なんだったの。
あの日、起こったことのすべては、なんだったの。
一年間、ずっと一緒に同じ塾に通って、積み重ねてきた時間は、いったい、なんだったの。

受験が終わり、塾では、再び春期講習会が始まろうとしていました。
ある日、塾の大森先生から、留守番電話が入っていました。
ーーーーうに、塾においで、と。
あの日以来、塾に行けていませんでした。
本当は、もっと早く行って、お世話になりました、本当にありがとうございましたって、挨拶しなくてはいけなかったのに。
ずっと不義理をしてしまっていました。
高校の卒業式が終わったあと、うには高校の友人たち五人で、卒業旅行に金沢へ行きました。
旅行中も、正直、あまり元気が出ませんでした。友人たちは、きっと気をつかってくれていたと思います。せっかくの卒業旅行だったのに、悪いことをしてしまったな、と今でも思います。
旅から帰ったら、塾に挨拶に行かなければ。
旅行の間中、そのことが頭から離れなくて。
でも、怖かったのです。
塾には、参考作品というものがありました。
その年、合格した受験生に、実際の試験で描いた作品を、もう一度、塾で再現してもらうことがあるのです。来年以降の受験生たちのためです。
もしも、ゆきちゃんが先に先生に頼まれて、あの絵を描いていたら。
それはもう、ゆきちゃんの参考作品になってしまうのではないか。
先生たちも、それを見て、「ゆきちゃんはこういう絵を描いたんだ」と思うし、来年の受験生たちも参考にするし。
うにの絵は、どこにも残らない。
今のうにには、「もう一度、描いて」と言われても、描ける気がしませんでした。受験が終わってから、書痙がさらにひどくなって、人前でペンを握ることが、できなくなっていたのです。
試験会場では、震える手をどうにか画面に戻し、最後まで何とか走り切りました。でも、今はもう、同じことができるかわかりませんでした。
もしも、ゆきちゃんが先に描いていたら。もしも、それがもう、参考作品として扱われていたら。
うには、何も言えない。何も証明できない。
このままずっと、永遠に、誰にも言えないまま、あの日のことを、自分の中だけに抱えていくしかない。
だから、塾に行くのが怖かったのです。


この3日間、ここまで一気に書き上げてしまおうと思っていました。
そのために、コメントにあまりお返事ができなくてすみませんでした。
落ち着きましたら、ひとつひとつ拝見して、お返事させてください。
17歳だったうにの、この忘れられない1年間のことを、
いつか作品として形にしたいと
何年も何年も、長い間、考えてきました。
でもどうしてもうまく表現できなくて。
でもこれを書かないことには悔いが残ります。
このnoteを書くことを一念発起して約1年。
ここまでたどりつくのに、1年かかってしまいした。苦笑。
そして、このあとも、うにの人生は続き、ゆきちゃんも、波多野先生も、なつめも、不思議な縁で、ゆるやかにつながっていきます。
ああ、本当に、みんな、ただただ必死でした。
そして、事実がひとつでも、それを経験した人によって事実の解釈は異なる。
うににはうにの取り方があるように
ゆきちゃんにはゆきちゃんの取り方がある、きっと。
世の中は、納得できないことなんか山ほどある。
知らない方が良いことも山ほどある。
うにの物語はまだまだ続きます!
今後ともどうぞよろしくお願いします^^

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※本作は実体験をもとに再構成した創作エッセイです。
大切なお知らせ
本作は実体験に着想を得たエッセイですが、プライバシー配慮のため登場人物・団体・時系列・場所等に創作・合成・編集を含みます。特定を意図していません。ただし、うにが感じた気持ちと気づきは本物です。

