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【AOE2DE】手持ち?文明の戦術メモ(6)ブリトン

こちらのシリーズの第6弾。手持ちというほど使ってはいないけど某配信で見ていて気になる点がでてきたので一旦整理。
2025年7月、最新のテンプレートに沿って改稿しました。

AOK時代からの初期メンバーで間違いなく弓文明だが、初心者向きかと言われると微妙な面もある。後述のボーナスで城主からの内政拡大が有利なのと、時代進化で射手系統の射程が伸びるので帝王序盤までに勝ちきりたい。


文明特性と基本戦術

弓小屋の作業速度が速く、射手の射程も伸ばしやすい(最終的に他文明に比べ+3)。一方で騎兵と重騎士まではフルアップできるので局面によっては活用したい。
基本戦術は、羊のボーナスを活かしての早い進化から領主でしっかり射手を出す。城主では兵器小屋から投石機、学問所での弾道学研究、TC追加などを状況に応じて選択。相手が騎士なら長槍と聖職者を追加。帝王進化して遠投と重石弓で決めきりたい。重石弓(またはロングボウ)60~に遠投と矛を添えれば止められない。いっぽう、大砲が出せないため相手によっては帝王後半は苦戦しそう。砲撃手も出せないため、イーグル、ハスカールやグーラムといった歩兵対策で剣士、バトルエレファントやシュリヴァムシャには槍(矛)を用意しておく必要がある。後述の城主ユニテクで(精鋭)散兵の射程も伸びるため、象弓はそれほど脅威ではない。

ユニークユニットと天敵

ユニークユニットのロングボウ(35W40G)の詳細は射程のところで解説。訓練時間は18秒。EL化(850F850G)で射程防御+1、射程+1、命中率+10%等。
天敵は、精鋭散兵の他、近接ユニットのうち騎士やイーグル、ハスカール、グーラム等の移動速度と射程防御が高いユニット。それから、一部の兵器(上位の投石機や大砲)。

内政面

暗黒~ 羊を処理する農民の作業速度+25%。羊農民5人でTC回すことが可能
城主~ TC建築コストが138W100Sと破格。石を買ってでもTC追加して内政拡大するのが良い。

テクと出せないユニットのメモ

鉄工所テクと文明ボーナス

鉄工所テクは3兵種3段階全て乗る。

文明ボーナスは時代順に言うと……
領主~ (チームボーナスとして)弓小屋の作業速度+10%
射手系統の射程が時代進化ごとに伸びる。以下は各時代の鉄工所テク込み
通常文明の射程…… 射手4→5、石弓5→7、重石弓5→8

城主ユニテク: ヨーマン(750W450G)。更に射程が上乗せされる。
ブリトンの射程…… 射手4→5、石弓6→8→9重石弓7→10→11
ユニークユニットの(EL)ロングボウ(35W40G)は同様に射程6→8→9EL化で8→11→12。したがって通常文明の城の射程外からアウトレンジできてしまう。

帝王ユニテク: ウォーウルフ(800W400G)
遠投投石機の強化。範囲攻撃ダメージに加え、命中率100%化は遠投の撃ち合いになった時に効果絶大なので局面によっては必須(通常の遠投の命中率は15%)。

出せないユニット・使用不可テクノロジー

戦士小屋……剣士も槍もフルアップ可能
弓小屋……重石弓、重弓騎兵が出るが弓懸もパルティアン戦術もない。特に弓懸は命中率に関係するが、先述の長射程とのトレードオフ。また、砲撃手が出せない
馬小屋……ハサーと近衛騎士へのアップグレード不可。また、血統がないため最大HPが他文明に比べ低いとはいえ、相手の文明によっては重騎士をワンポイントで投入しても良い。
兵器小屋……白ラム、破城投石機が出ない。ヘビスコは出る
聖職者……贖い、償いがないため敵の兵器や建物、聖職者を転向できない。異端がない。
学問所……砲台以外のすべてのテクノロジーを研究可能なため防衛力は高い
内政テク……粉挽所の輪作、採掘所の石の掘削がないが、通常のプレイではほぼ影響なし
海軍……キャラック船と機動キャノンガリオン船以外すべて出る。焼夷兵器研究不可。詳細は割愛

他の弓文明との比較

重石弓を主力として使いうる中国、エチオピア、ポルトガル、ベトナム、バイキング、あとポーランド、サラセン……、みんな大砲持ってる。持ってないのマヤとアルメニアくらい。なので動き回る大砲で遠投を狙い撃ちにされると本当にキツい。また、相手が破城投石機やへビスコを溜めたときの対処が難しい。
対するにブリトンの強みは射程の長さ一点なので、早めに進化&城主ユニテクでアウトレンジを決めるのがセオリー。
他に、サブの軍としてハサーやラクダ、ELイーグルなどで後方を荒らされると苦しい。自陣に監視塔を建てておくか、いっそTC乱立で守るのも手かもしれない。

戦績・対策

(2024年8月時点)チーム戦前衛で6勝5敗(+不戦勝/不戦敗各1)、遊牧で2敗(不戦勝1)。1vs1では3敗。最近使っていないのでなんとも言えないが、プロのチーム戦トーナメント等を見ていると、単独で使うよりチームボーナス目当てで混ぜているケースが多いもよう。1vs1トーナメントでは弱点がはっきりしていて使いづらいのでは。

キャンペーンシナリオ等

エドワード1世(長脛王、在位1272-1307)の半生をモチーフにした全5戦のキャンペーンシナリオが存在する。単発ではリチャード獅子心王の十字軍遠征の一幕としてキプロス(1191)。百年戦争中のアジャンクールの戦い(1415)。「勝者と敗者」DLCで追加されたものとしてヴォーティガン(440)、スティーブン王(1135)、フランシス・ドレーク船長(1543頃-1596)の航海など幅広い時代にわたる。また、ウィリアム・ウォレス(ケルト、チュートリアル)やジャンヌ・ダルク(フランク)、それからサラディン(サラセン)では敵役筆頭。西の大公たち(ブルゴーニュ)では敵になったり味方になったりする。

参考動画

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歴史のうんちく

ブリテン島前史

「大英帝国の歴史はシーザーがブリタニアに上陸した紀元前55年より始まる」とチャーチルが言ったかどうか。しかしもちろんそこには先住民がずっと前からいたのである。ストーンヘンジに代表される巨石文化は紀元前2500~2000年ころの青銅器時代に盛期を迎えた。古くからが産出したため自分たちで青銅器を作るだけでなく、遠くギリシア人とも交易を盛んに行っていたという。シーザーがガリア遠征中に2度上陸した頃は、ブリテン島には身体を青く塗った戦士たちがおり、「馬に引かせた戦車で走り回るが戦闘時は下車し、また戦車に乗って引き揚げる」というトロイア戦争当時のような戦い方をしていたという。第4代皇帝クラウディウス(シーザーから見れば姉の玄孫にあたる)のときにおよそ20年にわたる征服行が開始され、時間はかかったが現スコットランドを除く地方までの属州化に成功した。ネロの時代に反乱を起こしたブーディカはこの頃の女傑。最終的に23万人という規模に発展した反乱軍は多くの都市を焼き払い数万人の犠牲者を出したが、1年足らずで鎮圧された。背景には属州からの収奪を目論むローマ高官たちによる苛政があったとされ、その後は統治方針が穏健化したという。五賢帝時代、ハドリアヌスアントニヌスがそれぞれ北方に長い城壁を築いたが、前者のものは特にイングランドとスコットランドの境界として長く影響を残した。帝政時代全体を通じて、スカンディナビアから渡海しての交流・侵攻を試みる(後の)ヴァイキングたちが絶えることはなく、ブリテン島北方は常に不穏であった。5世紀はじめにローマ帝国がブリタニアを放棄するとアングロ・サクソン人が渡来し、ケルトブリトン人の文化を大きく改変、または排除していった。七王国時代(409-825)のはじまりである。

AOE2キャンペーンシナリオ概説

ブリトン人諸侯の1人ヴォーティガンはケルト系諸部族に対抗するための傭兵としてサクソン人を呼び込み、結果的に七王国時代を招いた張本人とされる。FGOでいうオベロンのモデル。ゲーム内のシナリオは440~500年で、民族の象徴を防衛しつつ、裏切りが確定しているサクソン人の援軍を活用して北方のケルト人と戦うというもの。

七王国時代は最終的にウェセックス王国(西のサクソン、の意)が825年に統一して終わる。しかし前後してヴァイキングの侵攻が激しくなっておりアルフレッド大王が878年の会戦で辛うじて食い止めることに成功、デーン人の居住区域を設けることとなった(デーンロウ)。927年にアゼルスタン王がイングランド全土を統一してイングランド王国が成立する。しかし侵攻が止まることはなく、デンマーク・ノルウェー王であったクヌート1世が1016年に征服王朝であるデーン朝(北海帝国、~1042)を建てた。北海帝国が崩壊すると、エドワード懺悔王が即位してウェセックス王家が復活する。しかし彼が実質的に最後のアングロ・サクソン王となった。前後の経緯についてはヴァイキングの記事も参照。

ヘイスティングス(1066)はプレイヤー文明はフランクだが、ノルマンディー公ギヨーム2世(後のウィリアム1世)がイングランドを征服するシナリオ(ノルマン・コンクエストの始まり)。敵役はケルトではなくゴートになっている。ギヨーム2世は叔母がイングランド王に嫁いだ縁で、死去したエドワード懺悔王の従弟であった。エドワード懺悔王の義弟ハロルド・ゴドウィンソンが先に即位したためこれを打倒し、イングランド王位に就いた。ハロルドはノルウェー王ハーラル・シグルズソンの軍勢をスタンフォード・ブリッジの戦いで撃破した直後であったが、彼の武運もそこまでであった。ウィリアム1世の息子の代、ヘンリー1世(碩学王)は後継者の息子を海難事故で失ったため娘のマティルダを後継指名していたが、姉の子のスティーブンが割って入ったことで騒乱が起こる。

スティーブン王(シナリオは1135年)は、ウィリアム1世から見れば外孫に当たり、ヘンリー1世が死去すると素早く行動してイングランド王となった。ゲームでは、従妹にあたるマティルダとその息子アンリ(後のヘンリー2世)による挑戦を退けるミッション。最終的には妥協が成立してヘンリー2世からプランタジネット朝(あるいはアンジュー朝)となる。最初から遺言どおりにしていれば無用の争いであった。ヘンリー2世はフランスの大貴族である父親からアンジュー領も継承したため、英国王室が大陸にも広大な領土を持ち続けることとなった。これは後の百年戦争の火種となる。

ヘンリー2世の次代がリチャード獅子心王(1157-1199)である。彼は父王と対立しており、一時は父の眼前でフランス王フィリップ2世に臣従の誓いをしてみせるなどした。1189年に即位。第3回十字軍の一幕としてキプロス(1191)が単発キャンペーンとして存在する。東地中海で僚船が難破し、乗っていた妹や婚約者をキプロス島太守に捕らえられてしまう。リチャード獅子心王はこれを奇貨とし、彼女たちを奪還するだけでなくキプロス島全体を征服して十字軍の補給基地とした。サラディンのキャンペーン3・6戦目での敵方としての活躍は憎たらしいほどである。遠征中のアッコン包囲戦での遺恨から、帰国途次オーストリア公レオポルト5世に幽閉されてしまう。イングランドは15万マルク(10万ポンド)もの多額の身代金を支払って解放。その後、獅子心王はアキテーヌ公領シャリュでの攻城戦中の矢傷が元で41歳で死去。生前から策動していた王弟ジョン(いわゆる欠地王)が即位する。

エドワード長脛王

エドワード1世(長脛王、在位1272-1307)はジョン欠地王からみて孫にあたる。即位前には改革派諸侯との争いに敗れて父王ともども虜囚となることもあったが、最終的に勝利して貴族権の抑制を進めた。1戦目は1265年のイーヴシャムの戦いでの貴族連合軍に対する勝利がモチーフ。北アフリカへ向かった第8回十字軍にも参戦している。2戦目は第9回十字軍アッコを拠点にアレッポ攻略戦を扱う。マムルーク朝スルターンのバイバルスに対しては勝利を収めたものの十字軍内の対立が収まらず1272年までに撤退(1291年のアッコ陥落を持って十字軍国家の終焉とする)。3戦目は1277年からのウェールズ侵攻がモチーフ。味方の農民が城を建てて基地を作るのを守った後に、河や峻険な地形で防備されたウェールズの基地を撃破していく。ここは敵方をケルト文明にしてほしかったところだが、ロングボウ自体がそもそもウェールズの戦法由来なので敵文明もブリトンなのは仕方ない。ついでスコットランド侵攻が始まる。1296年のダンバーの戦い(英語版wikipedia)が4戦目のモチーフ。ここで、反旗を翻した傀儡王ジョン・ベイリャルを廃位する。5戦目ではウィリアム・ウォレスの反乱を(未然に)潰しつつスターリング城を攻略。この時に使用された遠投投石機の名前がウォーウルフ(帝王ユニテクの由来)であるという。その後は海軍も活用しつつロバート・ブルース(後のスコットランド王ロバート1世)を打倒するミッション。エドワード1世は当時の水準からみてもかなり残酷な処刑方法と強権的な統治でウェールズ、スコットランドの支配を図ったが後者は早々に破綻。後代に統合が成るまでは時間を要した(ケルトの記事も参照)。並行して1294年からはアキテーヌ地方の領有権を巡る争いでフランスへも出兵を開始しており、これが実質的な百年戦争の始まりとも解釈できる。

城主ユニテクに名を残すヨーマンとはこの時期から有力になり始める独立自営農民のことであり、射手の射程が伸びるのはロングボウがイングランド軍の戦術に取り入れられたのがこの時期だからでもあろう。ロングボウ射手は若い頃からの鍛錬の結果として左右の腕の太さ・長さが違う、等といわれた。伝説的な弓の名手、ロビン・フッドの物語もこの時代に仮託される。本来はノルマン・コンクエスト時代のサクソン人抵抗者・ヨーマンであったのが、時代下ってエドワード1世時代のお話に改変され、再度遡ってリチャード獅子心王時代の物語になったという。

その後のシナリオ2篇(アジャンクール~フランシス・ドレーク)

百年戦争前期にはクレシーの戦い(1376)でエドワード黒太子がロングボウを活かして劇的な勝利を収めている。しかしエドワード黒太子の息子リチャード2世の代に従兄弟にあたるヘンリー(後のヘンリー4世ランカスター朝を創始)との間で内戦が起こり敗北(1399)。単発キャンペーンシナリオのアジャンクールの戦い(1415)はクレシーの再現とも言われた戦いで、ヘンリー4世の息子ヘンリー5世が登場。同様にロングボウと野戦陣地を活用したイングランド軍の前にフランスの重装騎士団が壊滅した。特に後者はアルマニャック派が壊滅したことでブルゴーニュ派が勢いづく契機にもなった(ブルゴーニュの記事も参照)。

百年戦争自体は、最終的にイングランドが大陸側の領土を喪失して終わる(1453)。イングランドでは薔薇戦争と呼ばれる内乱が始まり、ヨーク朝が一時優勢となるもヘンリー7世が勝利してテューダー朝を興した。息子のヘンリー8世(在位1509-47)は自身の離婚・再婚のためにローマ・カトリックから離脱し英国国教会を創設(1534)したことで知られる。ハプスブルク家のカール5世(甥にあたる)と連携、自ら軍を率いてフランスに度々侵攻したが戦果は上がらなかった。またそれまでのアイルランド卿に代えてアイルランド王を名乗るようになり、当地の支配を強化した。ヘンリー8世の娘で1558年に即位したエリザベス1世は海外進出を積極的に進めた。フランシス・ドレーク(1543頃-1596)の航海もこの時代。キャンペーンシナリオであるようにカリブ海や北米大陸沿岸のスペイン植民地を積極的に荒らして回った。

エリザベス1世を最後にテューダー朝の後継者が絶えたため、ヘンリー8世の姉の孫にあたるスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世(在位1603-25)として迎えられイングランド王位についた(ステュアート朝)。清教徒革命(1642-49)・名誉革命(1688)等を経て、諸外国に先駆けて立憲君主制となった。1707年に至ってスコットランド議会が解散しグレートブリテン王国が成立する。

民族の象徴のモチーフはチチェスターの大聖堂(英語版wikipedia)。サセックス王国時代からの主要都市であり、12世紀に建設された。下記の旅行記を参照。

イギリスにはもうひとつ、シャガールのステンドグラスがある教会があります。イギリス南部の小さな町チチェスターにある、チチェスター大聖堂です。今回の旅の最大の目的は、ここでシャガールのステンドグラスを見ることでした。

イギリス旅ーチチェスター|かよ|

その後の英国王朝

1714年以降はハノーファー選帝侯家からジョージ1世が迎えられてハノーヴァー朝となる。1901年以降は王配となったザクセン公アルバートの血筋からウィンザー朝(現王室)。2025年現在、ウィリアム王太子(1982-)は母親の故ダイアナ妃を通じて17世紀発祥の名門英国貴族スペンサー伯爵家の血を引いている。

産業革命と植民地支配・戦後

AOE2から離れすぎるので概略のみ。1760年代~の産業革命で飛躍的に国力が増大。17世紀初頭からニューイングランド等、北米大陸東岸の植民地化が始まっていた。七年戦争(1756-63)の戦費捻出のための重税への不満から、1775-83年の独立戦争でアメリカ合衆国が成立。植民地支配はインドへ重点を移していく。1803~ムガル帝国を保護下に。1858年にインド帝国成立、1877年以降は同君連合の形をとる。インド(&パキスタン)は最終的に1947年に独立。ヒンドゥスタンの記事も参照。

19世紀には中国(清朝)との間でアヘン戦争、アロー戦争を起こしている。植民地時代の北米や南アフリカ、インド、中国沿岸部等、世界中でオランダやフランス等との小競り合いは続いていた。しかし19世紀半ば以降はドイツ帝国が脅威であると見定め、あらゆる局面でフランスに譲歩して友好関係を樹立。それが第一次世界大戦での辛勝につながったとされる。また、中東でオスマン帝国に対する工作の一環として現地住民やユダヤ人にそれぞれ有利な空手形を切ったことは、パレスチナ紛争の根源として現代まで禍根を残した。

第二次世界大戦でも米国・ソ連と共同してナチス・ドイツを打倒したものの、シンガポールで艦隊が大打撃を受けるなど海外植民地を維持し続ける余力はなくなり、インドを筆頭に独立が進む。それでもスエズ運河(1956年、エジプトが国有化)やジブラルタル海峡など海運の要衝は維持しようとし続けた。1982年にはアルゼンチンとの間でフォークランド紛争が起こり、長らくこれが「現代兵器を使った最後の対称戦」などと言われることもあったがロシアによるウクライナ侵攻でそれもなくなった。1997年には香港の租借が終了。北アイルランドの分離独立運動も続いている他、21世紀にはEU・ユーロ圏からの離脱やスコットランド議会の復活、再独立論などで国論が揺らぐ。また主に旧植民地からの移民が存在感を増したための体感治安の悪化など、旧帝国の負の遺産に悩まされている。

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