「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館)その1:植物画?ペン画?アール・ブリュット?生計は?
長文になります。
なぜこの無名の西洋画家の展覧会を訪問したのか
私の場合、展覧会の訪問記事で西洋絵画を取り上げることはほとんどありません。なぜなら「線」の肥痩を意識して輪郭を描く「線スケッチ」の立場で訪問する展覧会を選んでいるからです。ですから、自然に輪郭線で描く東洋絵画、特に日本絵画の展覧会が中心になります。
実際2024年に投稿した西洋絵画の展覧会記事は次の二つしかありませんでした。
カナレット展は、1)西洋画における線遠近法描写、さらに西欧絵画と日本絵画における「地平線の位置」についての関心、さらには司馬江漢以前には日本絵画では決して描かれることがなかった青空に白い雲の描写の観点から訪問しました。
ロートレック展を訪問したのは、まさにジャポニスムの申し子のような魅力的な線で描かれたポスターは、線スケッチのお手本ともいえるので私がいつも生徒さんにお薦めしている画家だからです。
すると、読者は疑問に思われるでしょう。なぜ、無名の西洋の画家で、しかも「線スケッチ」とは無関係な抽象画の作品が主体の本展覧会をなぜ訪問したのかと。
きっかけは一つのnote記事
そのきっかけになったのは、次の一つの記事でした。
普段多くの展覧会の訪問記事を読んでいる中で、私はどうしても「線スケッチ」と同じく筆墨の線による輪郭線が主体の東洋絵画、日本絵画に関心が行きます。
ですから抽象画や現代芸術に関する記事は、筆者の方には申し訳ないのですが、時代の流れを知る目的で一通り目を通す程度になります。
ところが、上記薪さんの記事は冒頭からなぜか引き込まれてしまったのです。その理由の一つは、筆者のヒルマ・アフ・クリントの作品に対する新鮮な驚きを伝える文章に引き込まれたこと、二つ目の理由は、年代順に展示された作品の例を見ているうちに、ここ数年来気になっていた、なぜドラッカーのような典型的な西洋の知識人が、日本美術、特に室町水墨画や江戸の南画、禅画に近代西欧精神が持ちえなかった精神性と現代西欧抽象絵画と同質の抽象造形を指摘しているのかについて、本展覧会は何かを語っていると直感したことです。
私は、今は反省しているのですが、薪さんの記事に対し、読後の興奮が冷めぬうちにコメントを書いてしまいました。その言葉足らずのコメントに対し、薪さんは大変丁寧なコメントを返していただいたばかりか「ヒルマ・アフ・クリント展、是非ごらんください」と薦めていただいたのです。
私は作品の実物を見ず、拙速にコメントしたことを恥じました。そこで、是非実作品を見なければと思い訪問したという訳です。

出典 左:wikimedia commons, public domain 右:筆者撮影
さて、作品の感想に移る前に、読者に本記事の構成をお伝えしたいと思います。すなわち、感想は次の三段階に分けて記述します。
(1)感想:第一段階
私は、ヒルマ・アフ・クリントの名前も、その生涯や絵画のバックグラウンドも、まったく知りませんでした。会場は5章からなり、各章の入り口には大きな解説パネルがありますが、最初はそれらの解説文を読まずに、また題名も極力見ず作品のみを見ることにしました。すなわち前知識なし、作品と題名だけの感想です。それが第一段階です。
(2)感想:第二段階
第5章を見終わった後、最後の部屋では、壁にヒルマ・アフ・クリントの年表と関連資料を展示した部屋があり、私それらを頭に入れました。そして会場入り口に戻り、もう一度作品を見直して、第一段階の感想の修正を行いました。特にこの展覧会の副題「抽象絵画の先駆者」に関する「はたしてヒルマ・アフ・クリントは抽象絵画の先駆者と言えるのか」という問いに対する私の仮説を述べます。
(3)感想:第三段階
欧米ではヒルマ・アフ。クリントは、すでに2000年代初めから、注目されていることが分かったので、西欧美術史の中でどのような位置づけがなされてるのか、現在までの欧米での美術史学的議論の経過を知りたくなりました。ただし、私には欧米の学術論文や資料を直接読むのは無理なので、You Tubeに挙げられた美術専門家の講演、学芸員の解説、伝記作家の講演、宗教、オカルト、神秘思想の専門家の講演などから、欧米で現在確定している学説を知り、私自身の説を検証します。
それでは、以上の三段階の順に感想を述べてみましょう。
(1)感想:第一段階
ここでは、作品を示しながら、解説文も読まずに私が感じたそのままを記述していきます。
第一章 アカデミーでの教育から、職業画家へ
最初に眼に入ったのは、壁にまとめて展示された植物を描いた作品です(図2)。
最近、私は「植物画(ボタニカル・アート)」に関心を持ち、芸術と科学との関係、そして日本人の描く植物画と欧米人が描く植物画の描き方に関する思想的背景の違い、その結果出てくる作品の違いについてまとめている最中でしたので、薪さんの記事の中でポピーの作品を見た途端に「植物画(ボタニカル・アート)」ではないかと思い、勝手に推測したコメントを書いたのです。ですからこれらの作品を見つけて、すぐに駆け寄って確かめました(図2)。

出典:筆者撮影
図3に、代表的な縦長の作品を三つ選んで並べてみました。

出典:筆者撮影
さて、「植物画(ボタニカル・アート)」とは何か?、詳しくは今後書く記事を待っていただくとして、日本生まれのAI,「Felo」を用いて検索し、「まとめ」を自動生成した図4を見ていただければ、直感的にご理解できるのではないかと思います。

検索対象にしたソースはここでは省略します。
そして描写、すなわち絵画的表現に対して次の大きな制約が課せられます。
1.実物大に描く
2.背景を描かない(彩色も原則しない)
3.人工的なものを描かない
4.植物の持つ特性を変えずに描く
私は、つい最近まで1.実物大に描く、4.植物の持つ特性を変えずに描く について、甘く考えていました。1.については、きちんと計測までして描くのです。また、4.については、3月に訪問した「日本植物画倶楽部」の展覧会でメンバーの方にお伺いしたところ、すべての展示作品は、大学の植物学の専門家の鑑定を受けているというのです。それほど今でも科学的に厳密な正確さを重視しているのです。
さて、ヒルマ・アフ・クリントの作品ですが、私が「植物画」だと思ったのは無理もありません。上記制約をほとんど満たしているからです。しかし、一つだけ違いがありました。それは大きさです。私が想像していたよりもはるかに大きいのです。植物の実物大とは違います。
ですから、結論としては「植物画」の定義からはずれます。
しかし、よく作品をみてください。花を描いているにもかかわらず、そこには抒情の抒の字もありません。まるで解剖学の研究者のように、極めて冷静な目で見つめた観察の下に精密に描かれています。
このことは、欧米人が描く植物画と日本人が描く植物画の微妙な差と同じものを私は感じるのです。すなわち、長く深い西欧の伝統にどっぷりつかって育った西欧の人たちと、彼らの文化を俄かに学んだ日本人の描写の差です。
ヒルマ・アフ・クリントに戻ります。私は、この作品から彼女の科学者としての資質を感じます。今後の彼女の絵画の方向性を暗示するように感じたのです。
一方、私は次の彩色スケッチにも目を留めました(図4)。

出典:いずれも筆者撮影
ペン画ですし、線の表情、すなわちスピード、肥痩が良く出ていて「線スケッチ」の観点から興味深い作品です。右の拡大図から線の表情がよく読み取れます。
この絵を見て直感的に私が思い出したのは、エドヴァルド・ムンクやカール・ラーソンの絵です。両者ともヒルマ・アフ・クリントとほゞ同時代の北欧の画家です。
私はヒルマ・アフ・クリントの地平線を上部に大きく設定して、大地(おそらくスウェーデン)の面積を大きくとり、人物が活動している絵柄が、なぜかムンクが描く地平線と大地が似ているように思ったのです。さらに、今回wikimedia commons で風景が描かれた作品を調べた結果「叫び」だけでなく、多くの作品で、地平線を上部に据えた構図であることが判明しました。おそらくこの高く設定された地平線のからも連想したのでしょう(図6)。

出典:すべてwikimedia commons, pbulic domain
一方、カール・ラーソンは、家族や子供たちが戸外での日常生活をペンによる輪郭線を用いた描写で描いている点から(もしかすると、地平線も上部にある構図も含め)連想したのだと思います(図7)。

出典:すべてwikimedia commons, pbulic domain
なお、一枚のスケッチから、ムンクやラーソンの作品と関連付けるのは乱暴だということは理解しています。厳密に比較するためには、スケッチではなくアフ・クリントの風景画と比べなければなりません。会場では一枚風景画が展示されていた記憶があります。確かその作品の地平線は上部ではなく普通の位置だったと思います。
あくまで直感ですが、彼ら北欧出身の画家達には、北欧の文化圏に共通な、描写についてのある傾向を私は感じるのです。
なお今回ムンクの作品をwikimedia commons で調べて、ニーチェの肖像(図6の上段、左から2枚目)が出てきたのには驚きました(実はムンクはニーチェの崇拝者だったらしい)。これは、「神は死んだ」という言葉で示される西欧精神の行き詰まりをムンクが共有していたことを示しています。
ということは、ヒルマ・アフ・クリントも同じ時代精神を共有して生きていたことを示します(第2、第3段階の感想で改めて記します)。
同時代の精神と云えば、今回ムンクとラーソンの戸外の作品において、地平線がほとんどの作品で上部にあることを知って驚きました。
先に私の結論を言えば、二人ともジャポニスムの洗礼を受けていると考えます。
というのは地平線の位置については、アルル以降のゴッホの畑の風景画では、ゴッホは悉く地平線を上部に設定しています。そしてゴッホ自身が「ゴッホの手紙」の中で、それは日本の絵師(おそらく、北斎と広重を指している)の絵に倣ったと明言しているからです。それ以来、私は日本絵画(特に明治以降の日本画)の地平線の位置と、それと密接に関連する「青い空と白い雲」の描写に、西洋絵画との対比で関心を持ち続けています。
以上の地平線の位置についての議論に興味のある方は、下記の記事をご覧ください。
カール・ラーソンの輪郭線をペンで描く描写法は、日本の浮世絵の影響と考えられますから、地平線を上部に設置する構図と合わせてジャポニスムの影響であることは明らかです。
以上から、ヒルマ・アフ・クリントは西欧精神の行き詰まりだけでなく、西欧以外の世界、特に東洋に目を向ける時代に生きていたことも言えます。
第二章 精神世界の探求、第三章 神殿のための絵画
王立芸術アカデミー時代の古典的でオーソドックスな作品から、第2章以降いきなり訳の分からない造形の作品が続きます。
《神殿のための絵画シリーズ》



これらの作品を見た正直な感想は、何か得体のしれない不気味な感じです。誤解を恐れず言えば「アール・ブリュット」の作品を見た時に感じる印象と似ています。おそらく、人工的な直線や幾何学的造形が少なく、有機体を思わせる形状がそう思わせる原因だと思います。
また、全体に暗い印象で、図9、10では、黒ベタ塗りを多用していることも原因でしょう。なお、後に紹介する祭壇画シリーズ、《白鳥》シリーズでも、黒ベタを多用していることに私は気になりました。なぜなら、絵画における「黒ベタ」についても、私は永らく関心を寄せてきたからです。しかし、ここでは指摘するだけにとどめます。
ところで実は私は、作品のことはそっちのけで真っ先に当時の欧州の女性の地位を考えると、
「このような誰も買いそうにない絵を描いて画家として経済的に自立できるのか、アカデミー卒業後どのように生計をたてていたのだろうか」
という疑問が頭に浮かびました。そして最後の章まで、作品自身よりもこの疑問が頭から離れまず気になってしかたがありませんでした。(なんとなく彼女は生涯結婚していなさそうだったので)
以下、特に目を惹いた作品群について感想を述べます。
〈10の最大物〉



初期の作品群をわけが分からないまま見終わり、天井の照明が消された四角い部屋に入りました。すると壁一面に、それぞれがスポットライトで照らされた巨大な絵8枚が展示されていて、部屋の各々の隅には長いベンチが設置されています。
人々は壁の前の通路を行き来し、あるいはベンチに座って、これらの巨大な絵を眺め、連れの人々と話しています(図11)。
私はこの部屋に入るまでに見た絵とかなり異なる印象を持ちました。
一つはその巨大さです。次に油彩とは違うあっさりとした色感です。画材は何かとみるとキャプションに「テンペラ」とあります。
私は驚きました。ルネサンス時代の大壁画で使われたこの技法は、扱いがとても難しいことで知られています。素早く描かなければならず、大画面には向いていないと読んだ記憶があります。
最初の部屋で見た写真の、あの華奢な身体の女性に、いったいどこに一枚ならず8枚も巨大な絵を描いた力が潜んでいたのだろうかと驚くばかりです。
さらに印象に残ったのは、画面の構成力です。比較的単純な造形の組み合わせからなるのに弛緩したところがないのです。観る者を飽きさせません。
さらに、配色がピンクやオレンジ、白、ペールブルーの明るいパステル調で、ところどころ黒をアクセントに使い、そのまま商業デザインとして使っても不思議ではない感じです。
去年、私は「村上隆もののけ京都」展の訪問記事を6回にわたって投稿しました。
以上、読者にご迷惑をかけることを承知で、長々と「村上隆もののけ京都」展の投稿記事のタイトル全てを紹介したのは、第一回の題名にあるように、「線スケッチ」と一見無関係の現代美術家である村上隆氏の作品および彼の考え方を知ることで、却って日本絵画の特徴、西洋絵画および西洋の現代美術の本質について知ることが出来たことをお伝えしたかったからです。
私は、今回のヒルマ・アフ・クリントの一見「線スケッチ」に無関係な作品を通して、新たな日本絵画や西洋絵画の見方が出てくるのではないかと、今この記事を書き進めているなかで期待が湧いてきました。
少し、話が横道にそれました、私が村上隆氏の記事を出したのは、記事をきっかけに村上隆氏自身が発信しているSNSを見るようになったのですが、そのなかで次の言葉(要旨です)が印象に残っているからです。
西洋美術の文脈で戦っていくには、大画面の絵画を制作していかなければならない。特に現代美術の取引は資本主義システムの中で動いており、作品を飾るのは近代美術館や大富豪の邸宅の壁である。だから私はそれを意識して大画面の作品を創り続けている。
多くの日本の人々(日本の画家?)が誤解しているが、「サイズの小さな作品や下絵をそのまま拡大すれば大画面の作品を制作できる」という単純なものではない。大画面になるほど密度が荒くなるし、目線の誘導がまったく異なってくる。従って高度な構成力が必要で、それは日本人の画家に不足しているものである。それは世界で戦うために身に付けなければならないものである。
村上氏のSNSや著作で、いつも出てくるのは「西洋美術の文脈」という言葉です。すなわち西洋美術史的には大きな流れが有り、西欧で生まれ育たない限り、日本人の画家はよほどそれを意識しないと現代美術の世界で戦えないというわけです。
ですからこれらの《10の最大物》の作品群が、もしヒルマ・アフ・クリントが何らかの建物の壁を飾るために制作したものならば、それほど大変なことではなく自然の流れだったのかもしれません。
(以下余談です):
なお、日本人女性画家による巨大画面制作について、昨年末に私は記事を書いたことを今思い出しました。
その画家の名は小西真奈氏です。彼女は、米国の美術大学で学び、米国人画家に師事します。すなわち、高校卒業後とは言え、画業はどっぷりと西欧美術史の流れに沿っているのです。
事実、帰国後現代美術家の登竜門である「VOA賞」を受賞し、新進気鋭の若手現代美術家として歩みを始めますが、当時の作品はいずれも美術館の壁を覆うほどの大画面の作品です。
ところが興味深いことに年月を経るごとに、油彩のサイズは小さくなり、しかも油彩にも関わらず、線描(ドローイング)主体の描写法(東洋絵画、日本絵画の描写)に変化していくのです。まさに日本人の遺伝子がさせる日本美術への回帰というのでしょうか? 村上隆氏によれば、だから日本人はどうしても西欧美術史の流れから外れるということになるのかもしれません(小西真奈氏からすると、村上隆氏とは考え方が違うと答えるでしょうが・・)。
《祭壇画シリーズ》
次に、《祭壇画》と名付けられたシリーズを見てみましょう。

出典:筆者撮影
得体のしれない感じの作品の中にあって、《祭壇画シリーズ》は、比較的分かりやすい作品です(図13)。
題名から推測すると、キリスト教の教会祭壇画のように何らかの神殿の中に設置するものでしょう。注目したいのはどの作品に共通して現れる「金」と「黒ベタ」です(図13)。
「金」と「黒ベタ」を使った祭壇画と云えば、キリスト教の祭壇画、もっと絞っていえば東方キリスト正教会の「イコン」が思い浮かびます。
確かに「イコン」も影響している可能性は十分ありますが、私は日本絵画の影響を受けたというクリムトの「金箔」と「黒ベタ」の装飾的絵画(図14)の影響ではないかと思いたいのです。

出典:すべてwikimedia commons, public domain.
というのは、グスタフ・クリムトの生没年(1862-1918)をご覧ください。偶然にもヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の生誕と重なります。
クリムトが図14の「金箔」と「黒ベタ」の絵を描いたのが1900年~1907年頃、ヒルマ・アフ・クリントの祭壇画シリーズは1915年の制作ですから、ヒルマ・アフ・クリントが、ウィーン分離派を起こしたクリムトの活動を知らないはずはないと思います。
ヒルマ・アフ・クリントの作品は人物こそ描かれていませんが、クリムトと同様に配色は「金箔」と「黒ベタ」の構成を基調としている点が共通しているので影響を受けていることは間違いないでしょう。
《白鳥》シリーズ
次に《白鳥シリーズ》を見てみます(図14)。
解説文を読まずに見ると、最初の2枚を除けば、白とベタ黒、赤の三色を基調とする、幾何学象形による抽象画を見ている気分です。そして、それ以下、それ以上の解釈はでてきません。
ただ、なんとなく白鳥の具象形がだんだんと形を失って変化していくのだなということは推測できます。
そして、「後年のエッシャーならメタモルフォーゼで描くのになぁー」という無関係な言葉が頭に浮かびました。

出典:筆者撮影
第四章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅、第五章 体系の完成へ向けて
第四章、第五章の部屋に展示された作品は、もはや絵画というよりは、ある種の魔法、秘教のための資料を見るという感じで、通常の鑑賞行為が成り立ちませんでした。
以下、作品の様子ををご覧ください。




神殿シリーズや祭壇画を描いてから1944年に亡くなるまで、数十年間ありますから、その長い年月に制作した膨大な作品、資料が残されているはずで、第四章、第五章で展示された作品はごくごく一部にすぎません。
また、ここで展示されたものの印象は、いわゆるスポンサー、あるいは展覧会の鑑賞者のための作品というよりも、文字あり、図像あり、几帳面に文字がつづられたノートや本の形式ありなど、自分のための資料、あるいは将来体系化した書物にするための制作物ではないかとの印象を受けました。
ですから、絵とも図像ともつかない作品については、ノートの膨大な記述群の中からその意味を探し出さないと理解できないのではないかと思いました。
特に、第四章のタイトルの中に「人智学への旅」とあり、おそらく、ノートに書かれているのは、耳慣れない「人智学」に関することで、それを知ることなく作品は語れないと思わざるを得ません。
なお、几帳面に肉筆でつづられたノートを見るとその中に何が書かれているのかを知りたいと思うのは人情です。残念ながら、今回の展覧会では、ヒルマ・アフ・クリントが残した文章の中身については分からないままでした。
最後に:記事その1のまとめと次回について
感想の第一段階のまとめを以下に記します。
まとめ
1.王立芸術アカデミー時代の植物を描いた作品から、ヒルマ・アフ・クリントの科学者としての資質を感じる。
2.《子供たちのいる農場》スケッチと同年代の北欧画家、エドヴァルド・ムンクやカール・ラーソンの絵と同質のものを感じた。おそらく、北欧の風土に共通のものであろう。なお、エドヴァルド・ムンクやカール・ラーソンの風景画の地平線が上部に設定されていることを今回気が付いた。ゴッホ同様これもジャポニスムの影響か、それとも両者ともに地上をモチーフにしたかっただけなのか、今後の課題である。また、ヒルマ・エフ・クリントの風景画も知る必要がある。
3.ヒルマ・アフ・クリントは、アカデミー卒業後何で生計を立てていたのか、について知りたい。当時のヨーロッパの女性画家の位置とスウェーデンの女性画家の位置の違いも。
4.《神殿のための絵画シリーズ》以降の作品について、前知識のないまま見た結果、《アール・ブリュット》の作品と同じ感じを持った。特に、幾何学的形状ではない、有機体の造形には何と形容したらよいのか、得体のしれないものを見た感じで必ずしも好ましいものではなかった。
5.《10の最大物》では、そのサイズの大きさと構成力が印象的で、西欧美術史の大壁画の流れを感じた。その造形と配色は現代の商業デザインとしても通用するのではないか。
6.《祭壇画シリーズ》の「金」と「黒ベタ」、そして「赤」との組み合わせは、「イコン」の影響を思わせるが、むしろ同年代生まれのウィーン分離派を起こしたグスタフ・クリムトの「金箔」と「黒ベタ」作品の影響を考えたい。
7.第四章、第五章以降の展示作品は、通常の絵画作品と考えられない。「人智学」について知り、かつヒルマ・アフ・クリントが遺したノートの文章を読まなければ理解できないだろうと推測する。
次回の記事その2.の予定
次回の記事の内容は次のように予定しています。
1.第5章の部屋の次、出口につながる最後の部屋のヒルマ・アフ・クリントの年表と関連資料を頭に入れ、もう一度作品を見直して、第一段階の感想の修正を行う。
2.この展覧会の副題は「抽象絵画の先駆者」とあり、それに対する問「はたしてヒルマ・アフ・クリントは抽象絵画の先駆者と言えるのか」に対する私の仮説を述べる。その際、ヒルマ・アフ・クリントの生い立ち、人間関係、仕事への取組み、宗教観、絵画を描く時の行動、姿勢を考慮する。
3.西欧美術史の中でどのような位置づけがなされてるのか、可能な限り、現在までの欧米での美術史学的議論の経過を知る。ただし学術論文や資料を直接読むのは無理なので、You Tubeに挙げられた美術専門家の講演、学芸員の解説、伝記作家の講演、宗教、オカルト、神秘思想の専門家の講演などから、欧米で現在確定している学説を知る。
4.以上の作業では、これまで抽象絵画の先駆者と云われる、カンディンスキーやモンドリアンの思想的背景の確認と、当時のヨーロッパの時代精神の動き、その中での「人智学」のアートにおける位置づけを把握をする。また、これまで記事にしたアンリ・マティスの生涯の最高傑作「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」についての記事を参考にヒルマ・アフ・クリントとの違いを明確にする。以上の3,4,から仮説の妥当性を検証する。
5.最後にドラッカーが指摘する日本絵画の特質について、ヒルマ・アフ・クリントについての上記知見と比較して、西欧、東洋問わず横断的な立場で抽象絵画とは何かについて考えてみる(ここまで拡大してよいか分かりませんが試みてみます)
(記事その2.に続く)
前回の記事は下記をご覧ください。
