「生育」と「教育」。紙とデジタルの認知機能の違いとホモ・サピエンスという遺伝子プログラムから、大人達、社会が「育成」に必要なこととは?
ようやくデジタルと紙の違いに、「教育従事者達」は気づき始めたのだろうか?
本来国家社会が、ホモ・サピエンスのその生命に対して新たな生命に意識を向ける大前提・最優先事項は「生育」であって「教育」ではない。
「アップデート」「最適化」が未来社会環境へと「されてゆく」事とホモ・サピエンスの遺伝子プログラムに宿っている「感性」「性質」を「生育する事」と社会の都合に合わせて「教育する事」との間にある価値観には比べ物にならぬほどの「齟齬」が存在する。
私は大人になってからでも「タイピング」や「PC」を学び利用する事は可能だった。
ただ「音感」に代表される「五感」や「身体機能」は、生育・発達段階においてしか「獲得不能」である。
つまり「生育最優先の未成年の発達機関」を社会が用意する事が主目的として「教育」は「手段・方法」として捉えればこの様なことにはならなかっただろう。
恐らく「シンギュラリティ世界線」の最先端を生きている人々は、「遺伝子プログラム・ホモ・サピエンス」と「非生命体知能」の違いを、相対的に認知しているだろう。
何故なら、それはホモ・サピエンスのニューラルネットワークや感覚、行動学習モデルからインスパイヤーされたものだからだ。
私たちにとって驚愕に値するもとは、「皮膚の表裏とつながるもの」や「ニューラルネットワークの自動最適化構造」の様なものであって、「記憶」や「1つの正解」を「100%」に近づけることよりも、むしろ「μの誤差適合」を最適解を揺らぎから果たしえる瞬間的な不自然なまでの自然現象の可能性にある。
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手指を使い、木材から生成された紙に物を描き、読む事は、シリコーンや製鉄によってデバイスによって形成され、電子によって記号化されるそれとの情報交換にあるそれと、「生育」として遺伝子プログラムが学習する回路は大幅に違ってくる。
それは盆栽など「園芸」で「植物達の違い」を見ている人であれば、ホモ・サピエンスの遺伝子プログラムの違いも理解できるはずだ。
欧米型の教育を盲信してきた日本国政府・社会は特に、そのアップデートされてゆく事実に、自ら「アップデートを果たす意識」から生きる覚悟を持たぬ限り、間も無く全人類から取り残され、元々日本社会に備わっていたはずの文化や資質は、他国の民族や社会文化に対して繁栄をもたらす事になる。
かつて「日本文明」というものが存在していた。となる日もそう遠くないのではないか?
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「義務教育」という言葉が嫌いだ。教育は義務であれば、それは国家による自由意志剥奪や洗脳教育の両親・家族への使役になる。
子供だちは国家の未来存続への宝だ。全ての国民の子供達の未来への希望だ。
「必須生育」に変えたらどうだろうか?
正直、いつも私の「独り言」に過ぎない。
私の人生において人間関係はいつも「退屈」だ。
ある意味、誰も私を気づかせ、未来に誘うような「ワクワクさせる事ができる」真の存在・人物に出会った事は無いのだろう。
その事を、今自覚出来ているだけで幸いかもしれない。
私の過去は、未来への差異を見出すためにある今にとっての必須条件だったのだろう。
だからこそ、「放擲から生きること」を日々確かめながら生きる事が実存している。
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地球人類は、既に「シンギュラリティ」への最終局面に突入している。
この後に及んで、「デジタル教育」が何の意味を成すのだろうか?
個人的には「不毛地帯」としか言いようが無い。
そう遠く無い未来に、人類は自分達が「ホモ・サピエンスであること」による様々な「自覚・自認」に向き合わざるを得なくなる。
そのホモ・サピエンスとしての超越的な最適化が齎す現実と、己が哺乳類の遺伝子プログラムとして生息している事実の間にある時空現象を「生きること」との「異次元を旧人類達は知る」事になる。
既に「新人類への遺伝子的アップデート」は誕生して、始まっている。
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シンギュラリティ以前の、旧人類の成人たちが果たすべきとこは「生育が適合を果たすあるがままを阻害しないこと」だ。
己の頭の中にある、盲信・執着を手放せない旧人類が、この社会を停滞させて、崩壊・滅亡へと誘う存在であることに、もうそろそろ真摯に向き合う必要があるのではないか?
私たちは今「西暦2025年12月」に実存している。私が「note」しているのは「今だから」であり、数年後の未来においてこれを「note」する必要など既に無くなっている。
あなたが、これに今触れた事は幸いだろう。
その時が来た時、比べ物にならぬほどの変革によって、その人生の中に起こる事象は違っているはずだ。
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貴方は、子供の頃何に興味があっただろうか?
私は、子供の頃、畑や公園・空き地にある「蟻の巣」を眺める事が好きだった。
そして、山椒の木に卵を産む、アゲハ蝶の生態を観察することが好きだった。
そして、その「生育体験・環境」が己にとって「最も尊い意識」だった事にようやくつながった。
他の「義務教育」はただ、「方法論・実用的スキル」に過ぎなかった。
この「区別・違い」を自覚したところから生きているかどうか?
それが未来に向かってホモ・サピエンス社会に、生態における巨大な意味・違いを産む様に感じているが、貴方の中にあるそれは、どう感じて生きているだろうか?
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「哲学」「神学」を「思考・知性」として「男性的に」極めたのもは「西洋」にあったかもしれない。
ただ地球全生命或いは哺乳類としてのホモ・サピエンス・「生命の本質」は「母性」にある。
全ては「母から生まれる」。
男性たちによる、「母性的絶望への問い」は、無駄でも無意味でもなく未来への「希望」を「作品」や「メタファー」「カタルシス」として「共感・共有化」の「Occupation」を、「創造物・構造・循環」が果たしている。
私たち、今を生きる就職氷河期世代にとって、或いは「失われた30年」の被害者たちにとって、「日本人遅過ぎた日本人世代の新春への芽吹き」が始まろうとしている。
私は「最大限」ではもなく「最低限」でもない。「中庸」であるあり方を、恐らくこの生涯において果たしていたと、私自身に客観的評価を与えたいと思う。
ある意味幼少期から、この狂った洗脳社会日本国の教育と情報漬けである、意味不明な人為的絶望・地獄を実感しながら、「普通って何だろう?」を常に探し求めてきたことへの解答がそれだったのかもしれない。
こうして、この人生が認知してきたことを「アウトプット」して「残してきた事」、それが「果たされたこと」に、誰も理解せずとも私は、私自身として「評価」を与えようと思う。
この「note」において、私の遺伝子的存在が果たした事を、未来を生きるホモ・サピエンスたち、或いはこの世につながる「量子生命・意識」は認識して、何らかのメタ・レラティブ・スペクトラムとしてのあり方が、自然現象の中に作用していく事になる。
この生き方自体が、「ホモ・サピエンスとしての現世での未来永劫への投資」になっている。
今、私が肉体を離れたとしても、それは貴方の先にある何かへと、無意識の領域を通じて継承されていく。
私たちは未来にある量子生命と繋がっている。
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ご愛読、いつもありがとうございます。
これからも、そしてこれからも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆくための、明日への静寂、安寧なる心の棲家に融合し合うこと。
この地球で、真核細胞生物・哺乳類・人類として、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出す、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあることを、いつもいつも願っております。
共に、今ここから、未来への未知の変容を描いていける事を嬉しく感じています。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。