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京都歴史ミステリー「後院通が斜めになっている理由について調べてみた」


京都歴史ミステリーシリーズ
謎の白い小石が置いてある家
出町ふたばの秘密
武田五一のミステリー
後院通が斜めになっている理由
フランス語と漢文で刻まれた顕彰碑の謎

《目次》


四条大宮駅北側の斜めに伸びてる道って
後院通こういんどおりって呼ぶのね





はじめに


©Googleマップ
(ちなみに角度は43度)

京都の通りは、よく知られているように碁盤の目状になっていて、斜めに走る大きな道はほとんど存在しません。そんななかで、後院通はかなり異色の通りとなっています。



京都人にも知られていない後院通


後院通は、京都市営バスも頻繁に行き交う主要な大通りです。

しかし、不思議なことに「後院通」と書かれた看板やバス停がないため、その名称を知る機会はほとんどありません。京都に住んでいる人でさえ、「斜めの道」と呼んだり、「千本通」や「大宮通」と勘違いしていたりするほどです。こうした状況を背景に、知名度向上を目的としたキャンペーンが実施されました。


ウィキペディアの情報によると、1928年(昭和三年)の路線名改称までは「車庫前通」と呼ばれていました。その後は現在の「後院通」となり、今に至ります。

百年弱という比較的新しい歴史を持ち、大宮通と千本通をつなぐ短い通りであるため、地元の人にそれほど馴染みがないのも無理はないのかもしれません。



そもそも後院ってなに?


後院ごいんとは、天皇が譲位されたあとに移り住んだ御所のことです。

平安時代末期、現在の善想寺がある周辺には「四条後院」と呼ばれる御所が存在していました。平安京の記録をもとに、「車庫前通」から「後院通こういんどおり」へと名称が改められたと考えられています。

ちなみに、後院と後院通は読み方が異なります。前者は「ごいん」、後者は「こういんどおり」です。



後院通が斜めのワケ


明治時代に京都市三大事業の一環として路面電車敷設と同時に街路建設を行う際、四条大宮以南の大宮通りを拡張、その連絡道路として斜めに道路を建設、1912年(明治四十五年)、京都市電気軌道事務所(後の京都市交通局)発足及び千本線、大宮線を開通させ運行を開始した。

ウィキペディアより引用

大まかな経緯はウィキペディアに記載されていますが、四条千本交差点まで路面電車(京都市電)の路線を南下させなかった理由については触れられていません。連絡道路として、なぜあえて斜めの道路を建設したのでしょうか。


「後院通」で検索してみると、その謎について非常に興味深い考察がなされている数寄舎さんの記事が上位に表示されました。ネタバレを避けるため詳しい内容には触れませんが、大変興味深い内容となっていますので、気になる方はぜひ一度ご覧になってみてください。



むすび


・材木商の反発があった
・当時の千本通周辺には農地が広がっており、採算が見込めなかった

後院通の誕生にはさまざまな説が存在します。そのなかでも、数寄舎さんの提示する説は非常に説得力があり、深く納得させられるものでした。

現在の街並みを基準に考えると、碁盤の目を破ってまで、なぜあえて斜めに新しい道路を建設したのか、その意図を読み解くことは容易ではありません。


・当時の後院周辺には田園風景が広がっていたこと
・すでにJR嵯峨野線が開通していたこと
・1928年(昭和三年)まで「車庫前通」と呼ばれていたこと

三つの要素を踏まえて考えてみたところ、なぜ後院通が生まれたのか、その答えは自ずと見えてきました。

つまり、京都市電の車庫をつくるのに都合のいい土地。それが、斜めの道を造成した理由だったのではないかということです。

車庫の敷地は必ずしも四角である必要はなく、台形でも十分にその役割を果たすことができますからね。さらに、田園地帯だったことから、用地の買収も容易だったと考えられます。


◇ ◇ ◇


以前にも触れたことですが、地名は歴史を指し示してくれます。

「後院通」「車庫前通」という名称があったからこそ、今回深く探求することができました。もし道路名が「◯号線」だったとしたら、ここまで好奇心が湧くことはなかったでしょう。

京都の通りについてはまだまだ勉強中なので、由来や歴史をこれからさらに深く知っていければと思っています。以上です。ご精読ありがとうございました。



追記

2026/07/09

『日本史がすき』応募作品の中でスキの週間一位を獲得しました。皆様ありがとうございます。感謝!!



《了》

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