名前で選んだ店 ~渋谷の夜、子ブタと旅する~
渋谷のヒカリエ、その一角に、その店はある。
「ワイン食堂 旅する子ブタ」。
この日、知人と夕食をどこにしようかと探していて、決め手になったのは味でも評判でもなく、この名前だった。
なんてかわいい名前だろう!

子ブタが列車に乗っている看板を見つけて、なんとなく、ここでいいような気がした。理由なんて、そのくらいでいい。
真っ赤な外観に、ずらりと並んだワインボトル。
ビルの中だというのに、ここだけ空気の色が違う。カジュアルな造りで、気取らない雰囲気。
それでいて、案内してくれた店員さんの物腰がやわらかく、肩の力がすっと抜けた。
賑やかな店は苦手なつもりでいたけれど、ここは違うらしい。

席に着いて、料理とワインを選ぶ。
最初に運ばれてきたのは、富山県産のホタルイカと春野菜のアンチョビマリネ。
アンチョビとガーリックの香りが鼻をくすぐって、まだ何も飲んでいないのに、もうワインが欲しくなる。
そういう料理があるのだと、あらためて思う。

次に来たのは、牛タンシチュー。
ナイフを入れる前に、もう崩れてしまいそうなほど、じっくり煮込まれている。
デミグラスソースをまとった一切れを口に運ぶと、噛むというより、ほどける。

ステーキも忘れがたい。部位の名前は、正直よく覚えていない。
でも、焼き加減がちょうどよかったことと、肉そのものの味が上質でしっかりしていたことだけは、はっきり覚えている。
臭みなど、どこにもなかった。添えられた塩は、結局使わなかった。

そこへ、頼んでおいたバゲットが届く。
ジョエル・ロブション――ヒカリエの中にあるパン屋さんのものらしい。
外側はパリッと歯切れがよく、中はもっちりとして、噛むほどに小麦の甘みがにじむ。
ホイップチーズと、メープルシロップ。ひとつのパンなのに、味わい方はいくつもあるのだと知る。

気づけば、グラスワインをもう一杯、頼んでいた。
話も、お酒も、止まらない夜だった。

料理が旅先の記憶を連れてくることが、ときどきある。
渋谷のビルの中にいながら、頭のどこかは、フランスの小さな食堂にいた。
名前に惹かれて選んだだけの店だったのに、味も、居心地も、思っていた以上だった。
そんな小さな寄り道も、悪くない。

✨いつもお世話になっております✨
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んで下さりありがとうございます。いただいた応援は、マンガや文章など、誰かの心がほっとする作品づくりに使わせていただきます。これからも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。