アリバイ研修で説教しても現実が変わらない。じゃあ、どうする?
以前、「研修って、本当に意味があるの?」という記事を書きました。
これについてnoteの「質問箱」に質問をいただきました。
これは実に想像がつく状況ですね。
誰かがインシデントを起こしたときに、組織はガバナンスを効かせようと、ルールを厳しくしたり、全員に研修を受けさせたりします。
もちろん、こういう研修は少しは意味があって、意外に知らなかったルールやリスクについて学び、「明日は我が身」と気を引き締める機会にはなります。
しかしルールデザインの観点から言うと、インシデント対応のルールや研修というものは、破る人のコストを、真面目に守っている人が引き受ける構造になりやすい。
少人数の”違反者”を防ぐために、そもそもルールをちゃんと守っていた多数派が、面倒な書類を書き、厳しくなったチェックを通過しなければならなくなる。
今回の研修もまさにそうで、「言われなくても不祥事なんてしないよ」という人たちが、貴重な時間を差し出して受講させられているわけです。
そして何より、以前の記事でも書いた通り、こうした研修は「ちゃんと教えましたよね?だから守ってね」というアリバイづくりの装置になりやすい。
しかも皮肉なことに、コンプライアンス研修を真面目にやるほど、正義感の強い人が周囲のグレーゾーンに敏感になり、社内の監視圧力が高まって、これまで問題にならなかったグレーな行為まで摘発されるようになり、結果としてコンプライアンスエラーが増える──そんな研究報告すらあるのです。
説教では現実を変わらない。「問い」の立て方を変える
さて、ここからが本題です。ご質問は「ワークショップデザイン(WSD)の発想で、このやらされ研修を風土づくりの機会に転換できないか?」というものでした。
まず、物事をワークショップデザイン的に考えるための考え方として、
規範に基づく「説教」をしても、人は変わらない。
……という前提に立つ必要があります。
「朝早く起きましょう」「人に優しくしましょう」「犯罪はやめましょう」。こうした倫理観に訴えかけるお説教的なメッセージを、僕たちは学校教育のなかでずっと言われ続けてきました。そして、そういうことは、それなりに賢い人であればとっくに理解しています。
いまさら「地球環境のために、ゴミのポイ捨てはやめましょう」と言われて、ハッと目が覚める人はいるでしょうか。そんなことは、みんなわかっているのです。
では、どうすればいいか?
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