「いつも私ばかり」と思ってしまう 過度な一般化のはなし
友人にメッセージを送って、返事がそっけなかった。ただそれだけの出来事なのに、氣づけば頭の中がこんな言葉でいっぱいになっていた、という経験はありませんか。
「やっぱり私は嫌われている」
「いつも私ばかりが氣をつかっている」
「絶対人と深く関われない人間なんだ」
たった一通のメッセージが、いつのまにか「私という人間の結論」にすり替わってしまう。
この心の動きを、心理学では「過度な一般化」と呼びます。
一つの出来事から、「いつも」「みんな」「絶対」という大きな結論を作り出してしまう思考のことです。
ここで少しだけ、からだの側からもお話しさせてください。
わたしたちの脳には、危険をすばやく学習して、次に同じ目に遭わないように身を守る仕組みがあります。
一度痛い思いをしたら、似た場面を丸ごと警戒する。
生きのびるためには、とても優秀な機能です。
過度な一般化は、自分自身を守ろうとして働きすぎている状態でもあります。
とくに、人との関係で傷ついた経験を重ねてきた方ほど、この警報はていねいに、そして早く鳴るようになります。
ただ、守るための警報が鳴りつづけると、こんどはその音のほうが苦しくなってきます。
相手はただ忙しかっただけかもしれないのに、あなたの中ではもう「関係が終わった」ことになっている。
そうやって先回りして距離をとってしまい、本当は続けられたはずのつながりが細くなっていく。
これが、過度な一般化のいちばん切ないところだと感じています。
氣づくための手がかりは、あなたが使っている言葉の中にあります。
「いつも」「どうせ」「みんな」「絶対」「私なんて」。
この言葉が心の中に浮かんだとき、それは出来事そのものではなく、警報のほうが話している合図です。
まずは、その言葉に氣づけただけで十分です。止めなくてかまいません。
そのうえで、もし少し余裕があるときは、二つのことを試してみてください。
一つめは、たった一つでいいので例外を探してみることです。
「本当にいつもだっただろうか」。
去年、あの人が長い返信をくれたことがあったな。
あのとき、こちらから誘って会えたな。
そんな小さな記憶が一つ見つかれば、「いつも」は「いつも」ではなくなります。
無理にたくさん探さなくていいのです。一つで、結論はもう揺らぎます。
二つめは、「それはいつのことなのか」をはっきりさせて言い直すことです。
「私は嫌われている」ではなく、「今日のあのやりとりは、少しさびしかった」。
前者は自分という人間そのものの話になっていますが、後者は今日起きた一つの出来事の話です。
同じ出来事なのに、抱える大きさがまったく変わります。
前向きに考え直す必要はありません。
ただ、大きくなりすぎた結論を、もとの大きさにたたみ直すだけで十分です。
ここで大切なのは、過度な一般化そのものを「悪いクセだから直そう」としないことです。それはあなたを守るために育ってきた力ですから、取りあげてしまう必要はありません。
わたしたちが困っているのは、この力があること自体ではなく、警報が鳴りっぱなしになって、目の前の相手まで見えなくなってしまうことのほうです。
ですから、やることはとてもシンプルでいいのです。「いつも」「どうせ」という言葉が浮かんだら、さきほどの二つ、―例外を一つだけ探してみる、「今日のこと」として言い直してみる、を思い出す。
それだけで、「私はいつもこうだ」が「今日は、こうだった」に戻ります。
この、大きくなりすぎた結論をもとの大きさにたたみ直す作業を、何度かくり返してみてください。
すぐに氣持ちが軽くなるわけではありません。
けれど少しずつ、警報が鳴ったあとに立ち止まれる時間が生まれてきます。
そっけない返事が返ってきた日も、それは「今日のそっけない返事」のままで置いておいていいのです。
あなたという人間への評価にまで、広げなくてかまいません。
そうやって結論を急がずにいられると、相手との間には「まだ確かめていないこと」が残ります。
もしかしたら、ただ忙しかっただけかもしれない。
その余白がひとつ残っているだけで、人との関係は、今よりずいぶん続けやすくなります。




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