生きる意味
“生きる意味”とは何か。
“生きる意味”というものは、“生きる理由”と“生きる目的”で構成される。
“生きる理由”とは
⚪︎生きることに「〜したから」を求めること
⚪︎原因・理由が“過去”にある考え方(原因論)
⚪︎主に動物としての使命である“生存と繁殖”
(自然界における種の繁栄)
⚪︎傾向としては受動的・本能的
(きっかけを与えられて行動を起こす)
“生きる目的”とは
⚪︎生きることに「〜するため」を求めること
⚪︎目的・意義が“未来”にある考え方(目的論)
⚪︎主に人間としての使命である“生きがい”
(社会における自己の存在意義の追求)
⚪︎傾向としては能動的・理性的
(自らきっかけを作って行動を起こす)

大事なのは“生きる理由”より“生きる目的”。
なぜなら、前者は“過去”を見ることで、後者は“未来”を見ることだから。
「なぜ人は生きるのか」
とどれだけ“人間”としての生きる意味を探しても、その答えは“過去”には存在しない。
“過去”にあるのは“動物”としての生きる意味だけ。
動物の生きる意味(先天的な使命)は、“生存と繁殖”(自然界における種の繁栄)。
要は、生き延びて子孫を残すこと。
それが動物にとっての“生きる理由”となる。
人間の生きる意味(後天的な使命)は、“生きがい”(社会における自己の存在意義の追求)。
要は、社会的意義を追い求めること。
それが人間にとっての“生きる目的”となる。
「なんのために自分は生きるのか」
という人間としての生きる意味(生きる目的)。
それを自ら探し求める必要がある。
そもそも
「なぜ人は生きるのか」
「なんのために自分は生きるのか」
ということをなぜ人は考えるのか。
それは人間には“理性”があるから。
理性が求めるのは満足感(メリットや解決)
本能が求めるのは快感(心地良さや快さ)

「なぜ人は生きるのか」
「なんのために自分は生きるのか」
と自問自答すること自体が素晴らしい。
なぜなら
「この問題を解決したい」
「人や社会の為になることをしたい」
という意識の表れだから。
心の奥底にそういう思いが無意識にでもあるからこそ、生きる意味・目的がなんなのか、自分の役目・使命がなんなのかを問いたくなる。
つまり、
生きる目的や自分の使命を考えること自体が
『社会における自己の存在意義の追求』である
ということ。
だからもしあなたが
「自分は生きる価値があるのだろうか…」
「自分は社会の役に立っていないんじゃないか…」
のように悩んでいるなら、悩む必要なんてまったくない。
人と比べなくていいし、自分を責めなくていい。
人間の価値は
『いまどう生きようとしているか』
で決まる。
いま自分の置かれている状況で、
いま自分のできるかぎりのことをやればいい。
それこそが最も価値のある生き方。
何を選んで、何を選ばないか。
何をやって、何をやらないか。
自分の人生は自分で決められる。
環境を変えたっていい。
自分の花を咲かせやすい、自分に合う土を選べばいい。
生きる目的=生きがい
生きがいとは、“生きている手ごたえ”のこと。
人や社会への貢献による喜びこそが、生きている手ごたえになる。
貢献の対象は、愛する我が子でもいいし、自分のビジネスで関わるすべての人でもいい。
『人が喜んでくれていることが自分の喜び』
その利他的な精神が生まれる活動こそが、生きる目的(社会における自己の存在意義)になる。
とはいえ、生きる目的はそう簡単には見つからない。
半生をかけて自分にとって生きがいを探す。
そして、残りの半生で生きがいを使命として全うする。
これが人間らしい人間の生き方。
生きる理由(動物としての生きる意味)も、生きる目的(人間としての生きる意味)も、本質をひたすらに突き詰めていくと、
『次世代へバトンをつなぐこと』
この使命に辿り着く。
どんな人間も。どんな生き物も。
人は、生涯の最初の四十年間で本文を作り上げ、続く三十年間でその注釈を付け加える。
それによって、本文の真の意味と、その本文が道徳や美とどう繋がっているかを正しく理解できるようになる。
― アルトゥル・ショーペンハウアー
The first forty years of our life give the text, the next thirty furnish the commentary upon it, which enables us rightly to understand the true meaning and connection of the text with its moral and its beauties.
― Arthur Schopenhauer
