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【短編小説】真夏に鍋を売る女

朝の光が、河童を焼き照らしていた。 

包丁、鍋釜、ステンレスの厨房機器。無数の金属が、真夏の太陽を反射する。眩しい。まるで火花だ。祖父の工場を思い出す。

恵子はキャリーケースを引きながら、かっぱ橋の道具街を歩く。

路上のマスコット人形が日に褪せている。アスファルトの隙間から湯気が立ち上る。汗が止まらないのは、暑さのせいだけではなかった。

営業を始めて三ヶ月。彼女の足取りは、まだどこか頼りない。


「金田工房の鍋ですね。品質は確かに良いんですが…」

問屋の店主は恵子の持参したサンプルを手に取りながら、困った顔をした。

「メーカー品と比べると、やはり価格が…。検討させてください」

恵子は礼を言って店を出た。祖父の代から続く手打ち鍋の工房。職人の技術は確かだが、効率を重視する現代では、なかなか理解されない。

古道具店の軒先に古い包丁が並んでいる。使い込まれて、腹に小さな傷がある。それでも手入れされ、静かに光っている。それぞれが職人の手で生まれ、誰かの手で使われてきた。時代を重ねた道具たち。

道すがら、恵子は何軒かの店を回った。暑さのせいだろう、どこも客がまばらだ。

天丼屋では「間に合ってます」の一言で終わった。小気味良い油の音が、恵子には寂しく聞こえた。

蕎麦屋でも同じ。店主は湯気の立つ寸胴をかき混ぜながら、恵子のカタログには目もくれない。

売れない。
こんな真夏に、誰が鍋を買うのだろう。
そんな思いすらよぎる。


東武線の高架を抜けると、浅草だった。
瓦屋根と看板建築、近代的なビルが入り混じる。過去と現在が同居する、奇妙な街なみ。 

浅草寺の境内には静寂すら漂っていた。恵子は気温を確認する。三十九度。誰もいないはずだ。石畳に響く足音が、蝉の鳴き声に掻き消される。

境内を抜けると、商店街のアーケードが続いている。恵子は迷わずそこに向かった。

日陰ならマシかと思ったが、蒸し暑さは変わらない。アーケードの天井にはスターたちの写真が飾られている。古い時代の笑顔が、暑さに疲れた恵子を見下ろしている。


暑さに背中を押され、恵子は演芸ホール近くの食堂に入った。エアコンの効いた店内で、親子丼を注文する。汗ばんだ額を拭いながら、ひと息ついた。

隣の席では、落語家らしい男性たちが話していた。

「『道具屋』の与太郎って、なんで憎めないんだろうな」

和服姿の男性が箸を置きながら言った。

「あいつ、壊れた時計でも『1日2回は合う』って言うんだぜ」

「普通なら『役に立たない』で終わりなのに」

「与太郎って、ものの見方が面白いよな。なんか、ものを大事にしてる」

「そうそう。なあ、樹朝よ、お前もそう思うだろう?」

樹朝と呼ばれた男性が頷く。

「そういやぁ、こないだひいきの相撲部屋に行ったけど、やっぱもの扱い方が違うんだよ」

「どう違うの?」

「古い道具でも、手入れして大事に使ってる。傷だらけでも、愛着があるっていうかさ」

「最近の使い捨てとは違うなぁ」

相撲部屋。恵子の心に、小さな希望が灯った。


下町の路地を縫うように歩く。古い木の庇が、壁に深い影を落としている。洗濯物が風になびき、遠くから子供の声が聞こえてくる。

恵子は住宅街の奥にある相撲部屋を訪ねた。若嶽部屋とある。玄関で名刺を差し出すと、がっしりとした体格の親方が現れた。

「鍋の営業さん?いや、鍋は間に合ってるからなぁ」

「ちょっと試しに使ってもらえませんか」

恵子はサンプルの鍋を取り出した。親方が手に取り、軽く叩いてみる。金属の響きが廊下に響いた。

「ふむ…確かにものは良いな。おい、テツ、ちょっとこれ使ってやれ。あんたも食べてくか」

厨房では若い力士たちがちゃんこの準備をしていた。若鉄山と呼ばれた少年が新しい鍋を受け取る。

「あれ、これ良いっす。火の通りが違う」

若鉄山の手が、慣れた動きで野菜を刻んでいく。鍋に触れる指先に、静かな集中が宿っていた。湯気が立ち上がり、部屋に香りが広がる。

「熊、味見してみろ」

「うまいな、確かに」

若熊山と呼ばれた力士が箸を止めて首をかしげた。

「でも不思議だな。同じ材料、同じ作り方なのに、なんか違うの、なんでなんだろう」

「鍋のせいかな」

「鍋なんて、みんな同じじゃないの?」

「いや、違うよ」若鉄山が振り返る。「このお姉さんの鍋、手触りが違う」

その素朴な会話が、恵子の胸に響いた。確かに材質は同じアルミニウム。形も大きさも変わらない。でも、何かが違う。

「手で叩いて作ってるからでしょうか」

恵子は言った。

「機械じゃなくて、人の手で。一つ一つ時間をかけて」

若熊山は鍋を見つめた。

「時間、かぁ」

若鉄山が返す。

「土俵だって、呼出さんが丁寧に作ってるから、僕らが稽古できるんです」

親方が立ち上がった。

「何個か買っとくか。ちゃんとしたもんは、長く使える」

恵子は初めて売上を上げた。初めて。


東武線のホームから、恵子は夕暮れに染まる街並みを見つめた。朝のかっぱ橋で見た光。落語家の声。力士たちの問い。それらが重なって、何かが見えてくる。

「同じ鍋なのに、なんか違う」

「壊れた時計でも、一日二回は合う」

同じ材料、同じ形。でも違う。
作り方や、扱う人の目線で、ものの価値は変わる。

今日売れたのは大した金額ではない。会社に戻っても、褒められることはないだろう。
それでも、彼女にとっては。

電車が到着した。
扉が開き、暑さがやわらいだ。



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