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相手を嫌いになる前に、境界線を引く

人間関係でつらいのは、最初から苦手な相手と関わることではないのかもしれない。

むしろ、大切にしたかった相手、助けたいと思った相手、できれば嫌いになりたくなかった相手との関係の中で、自分が少しずつ削られていくことの方が、ずっと苦しいだろう。

最初は、少し話を聞くつもりだった。少し相談に乗るつもりだった。少し支えられたらいいと思っていた。

けれど、それが何度も続いていくうちに、いつの間にか相手の不安を受け止める役になっている。相手の怒りをなだめる役になっている。相手の混乱を整理する役になっている。

そして気づけば、自分の睡眠が削られている。勉強や仕事に集中できない。生活のリズムが乱れている。スマホの通知を見るだけで、心が少し身構えるようになっている。

このあたりで、一度立ち止まる必要があるのだと思う。

境界線とは、相手を拒絶するための線ではない。難しく言えば、バウンダリーという言葉になる。けれど、もう少し普通の言葉で言えば、

「ここから先は、私が背負えない」

という線のことである。

人の話を聞くことはできる。心配することもできる。一緒に考えることもできる。けれど、相手の感情をすべてこちらが処理することはできない。

相手の寂しさも、怒りも、不安も、人生の選択も、本来は相手自身のものだ。

もちろん、人は一人で生きているわけではない。つらい時には誰かに頼っていいし、助けを求めてもいい。人間関係には、支え合いが必要な場面がある。

ただ、頼ることと、相手にすべてを預けてしまうことは違う。

優しい人ほど、この違いに悩む。

相手がつらそうだから聞いてあげたい。ここで距離を置いたら、冷たい人間だと思われるかもしれない。自分が受け止めなければ、相手はもっと苦しくなるかもしれない。

そう考えて、限界を超えてまで関わり続けてしまう。

けれど、人間関係にも間合いがある。近ければ近いほどよい、というものではない。近すぎることで見えなくなることもあるし、少し距離を置くことで、かえって相手を落ち着いて見られることもある。

距離を置くことは、必ずしも冷たさではない。

むしろ、嫌いになる前の予防線である。

本当は嫌いになりたくなかった。大切にしたかった。できれば、良い関係でいたかった。

それでも無理を続けていると、相手の名前を見るだけで重くなる。連絡が来るだけで疲れる。話を聞く前から、心が逃げたくなる。

そこまで進んでしまうと、関係を整えることは難しくなる。

だから、少し早めに線を引く。これは相手を切り捨てる一手ではなく、関係を壊しきらないための一手である。

優しさと責任は、似ているようで違う。

相手を大切にすることは、相手の人生を全部背負うことではない。自分にできるのは、話を聞くこと。自分の気持ちを伝えること。必要なら、信頼できる人や専門家につなぐこと。

そこまでで十分なこともある。

それ以上を抱え込もうとすると、助けているつもりで、自分の方が動けなくなってしまう。人を支えるためには、自分自身の足場も必要である。

自分の睡眠、勉強、仕事、生活が崩れているなら、それは限界のサインかもしれない。相手を責める前に、自分の持ち時間や心の余白を守ることを考えてもいい。

人を大切にすることと、自分を壊さないことは、本来は対立しない。

優しさだけで人間関係を続けると、いつか自分の方が壊れてしまうことがある。

だから、相手を嫌いになる前に、境界線を引いていい。

それは冷たさではなく、自分と相手の両方を守るための、静かな知恵である。




ジェミニ版のイラスト

人間関係にも、近すぎない間合いがある。


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