気持ちのいい上の空 ── ごま油に火を入れる五分
※これは「わたしのディナチャリア」シリーズの一本です。ディナチャリアって何?という方はこちら
※アーユルヴェーダを知らない人にこそ読んでほしい連載です。カタカナは意味を都度そえるので、わからなければ飛ばして、気楽にどうぞ。
うちの台所には、ときどき、温度計が刺さったままの鍋が置いてあります。
中身は油です。火はもう止まっていて、ただ冷めるのを待っている。
温度計を刺しっぱなしにしているのには、理由があります。
これまでアビヤンガ(体のオイルマッサージ)の回でも、シロビヤンガ(頭のオイルマッサージ)の回でも、「キュアリング済みのオイルを使っています」とだけ書いてきました。
その中身を、一度も書いていませんでした。
キュアリングって、なに
日本語だと火入れです。
使う前のごま油を、一度、火にかけて温める。それだけの作業です。
材料は太白ごま油。焙煎していない、生の白いごま油のことです。
料理でおなじみの茶色くて香ばしいごま油とは別物なので、ここだけ間違えないでください。
あちらでマッサージすると、たぶん中華屋さんの匂いになります。
なぜ、ごま油に火を入れるのか
この記事を書くにあたって、習ったときの資料を引っぱり出してきました。
まず、なぜごま油なのか。
アーユルヴェーダのマッサージでごま油が使われるのは、植物油のなかでも抗酸化力が抜群だから、と書いてあります。
そして、なぜ火を入れるのか。
生のごま油を100度に加熱して熱処理すると、成分が皮膚から吸収されやすくなり、体内組織の細部まで浸透するようになる。
だから塗る前に、一度火を通しておく。
ただし、なぜ100度なのか(90度でも110度でもなく)までは、資料にも書かれていません。四年半やっていて、そこはいまだに知らないままです。
資料の余白に、わたしの字で走り書きが残っていました。
「ごま油 → 浸透し骨髄まで」
授業中に先生が言ったのを、そのまま書き取ったんだと思います。
やり方(五分)
鍋に太白ごま油を入れる。わたしは一度に1リットル作ります
中火にかける
料理用の温度計を刺しておく
100度を超えたら火を止める
鍋のまま、冷めるまで置いておく
冷めたら容器に移す
以上です。時間にして五分くらい。
温度計は、お菓子作りに使うようなふつうのやつで十分です。
四年半で、失敗したことは一度もありません。それくらい簡単な作業です。
眺めていて好きなのは、だんだん油が緩んでいくところ。
温度が上がるにつれて、とろっとしていたものが、さらさらになっていく。あれを見るのが、なんだかいいんです。
温度計を刺したままにしておく理由
ここで、冒頭の話に戻ります。
以前、冷ましている途中のオイルを、家族に全部捨てられたことがあります。
台所に、油の入った鍋が放置されている。
使い終わった出し汁か何かに見えたんだと思います。親切心でした。
そのときの気持ちが、われながら複雑でした。
「地球にごめん!」と、「わたしのオイル〜」が、同時に来たんです。
1リットルの油を排水に流してしまったことへの申し訳なさと、これから使うはずだったものが消えた喪失感。
どちらも取り返しがつかなくて、二重にへこみました。
その、かなり落胆しているわたしを、家族は見ていたわけです。
それ以来、温度計が刺さったままの鍋は、アビヤンガ用のオイル、というのが家の共通認識になりました。
誰も触りません。そっとしておいてくれます。
このシリーズでは、わたしの習慣で家族に迷惑をかける話ばかり書いてきました。お風呂場をギトギトにするとか、壁に泥をはねさせるとか。
今回は、めずらしく守ってもらっている話です。
この五分に、なにを考えているか
火にかけている五分のあいだ、わたしはいつも同じことを考えています。
この油が、毛穴を通って、体の奥へ入っていく。骨髄まで届いて、体じゅうに散らばっているアーマ(未消化の毒素)を絡め取りながら、汗になって出ていく。
それを、四年半、毎回考えています。
なんでだろうね、と自分でも思います。
もう手順は完全に覚えているし、考えなくても作業はできる。
それでも毎回、鍋の前で同じ映像を追いかけている。
ここで、ちょっと線を引いておきます。
「浸透して骨髄まで」までが、教わったことです。
さっきの走り書きの一行。
その先は、たぶんわたしが勝手に足しました。
骨髄に届いた油が毒素を絡め取って、汗になって出ていく——というところまでは、資料のどこにも書いてありません。
なので、ここは事実として書いているのではなくて、わたしが鍋の前で考えていることとして読んでください。
教わったことと、わたしが継ぎ足した想像が、もう自分でも分かちがたく混ざっています。
そのうえで言うと、この五分は気持ちのいい上の空です。
集中している、というのとはちょっと違う。
むしろ意識は、目の前の鍋から離れて、油が体の中を旅していく話のほうへ行っている。夢想しているという言い方がいちばん近い。
やることは温度計を見ているだけ。それなのに、この五分はどこか特別です。
一度、こう思ったことがあります。本当なら、専用の鍋でやりたい。
同じ台所です。同じコンロで、同じ中火で、五分。
ゆうべ天ぷらを揚げた鍋かもしれない。
それでも、作っているものが違うという感じが、どうしても抜けないんです。
でも、専用の鍋は買いませんでした。
理由はものすごく現実的です。
1リットル作れば、だいたい一ヶ月もつ。 つまり使うのは月に一回くらい。月一回しか出番のない鍋に、大事な台所の場所を取られたくないんです。
気持ちのほうは「専用の鍋でやりたい」とおもうのに、台所を管理している自分が却下している。こういうとき、いつも調理師の意見のほうが勝ちます。
できたオイルを、どう使うか
火を止めたら、自然に冷まします。 急がない。
冷めたら、密閉できる容器に移して、直射日光の当たらない涼しい場所へ。
常温で大丈夫です。冷蔵庫に入れる必要はありません。
体用(アビヤンガ):500mlのプッシュボトルに入れて、お風呂の壁にくっつけています。アビヤンガ10〜15回くらいで、なくなるペース
頭用(シロビヤンガ):こちらは手で持てる小さなプッシュボトル。使う直前に、湯船のお湯を手桶に取って、ボトルごと入れて温めます (*温め方が雑なのは、わざとです。簡単じゃないと続かないので。)
鼻用(ナスヤ):スポイト瓶に。鼻から吸い込むので、体や頭に使うのとは別容器にしています(鼻の回に書きました)私は鼻うがいの後にやるのでキッチンにネティポットと一緒に置いてます。
こうして並べてみると、この鍋ひとつで、頭と鼻と全身をまかなっていることになります。一ヶ月に一回、五分。それでうちのオイルは足りている。
そしてもうひとつ、オイルを使う人みんなに関わる大事なこと。
塗るときは、髪も肌も、必ず乾いた状態で。
濡れているとオイルが入っていきません。お風呂場でやるので、つい先に体を濡らしたくなるんですが、順番は「乾いた体に塗る → ほぐす → 湯船 → それから洗う」です。ここはアビヤンガもシロビヤンガも同じです。
体質によって、油を変える
ここは古典と、いまの自分の場所の話です。
アーユルヴェーダでごま油が基本とされているのは、もともと北インドの、乾いて冷える土地での話です。ごま油は温める性質のものとして扱われてきました。
わたしがいるのは、暑くて湿気の多い南の島です。同じ油が、同じように働くとは限らない。
習ったときの資料にも、まれにごま油でアレルギーを起こす人がいて、ピッタ(火)体質に多いと書かれていました。その場合は、ココナッツオイルかオリーブオイルに替えるとよい、と。
理由は、たぶんこれです。
ココナッツオイルとオリーブオイルは、体を冷やす側の油。
火の体質に、温める油を塗り込んでいたら、そりゃ荒れる。
(オリーブオイルを使うなら、オーガニックのエキストラバージンを、と教わりました。ただしココナッツオイルは、かなり匂いが残ります)
*冬場はココナッツオイルは固まります。湯煎(手桶に60度のお湯をいれて温めると楽です)で溶かす必要があります。
万一、塗っていて赤みやかゆみが出たら、その場で洗い流してください。
体質にかかわらず、必ず腕などでパッチテストをしてから使ってください。 肌に湿疹やかゆみ、痛みがある方は、自己流の前にまず皮膚科へ。ここに書いているのはわたし個人の記録で、効果を保証するものではありません。
五分の使い道
キュアリングは、たぶん、アーユルヴェーダの習慣の中でもいちばん地味な作業です。
ただ油を温めて、冷ますだけ。準備の、そのまた準備。
でもわたしは、この作業が好きです。
すぐ終わるし、失敗しないし、油がさらさらに緩んでいくのを見るのが気持ちいい。そして何より、五分だけ、頭が体の中を旅している。
理屈を先に渡してくれた先生には、感謝しています。
手順だけ教わっていたら、たぶん四年半も続いていない。
作業に意味の物語がくっついていたから、面倒だと思う日が来なかったんだと思います。
今日も、鍋に温度計が刺さっています。
誰も触りません。
わたしは90日間のアーユルヴェーダ実験もやっています。よかったらこちらも
