【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-102話 群青の密約1 -深い川は静かに流れる-
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永遠が松任椛から「青龍」の予兆を突きつけられていた頃、一週間の眠りから覚めた柊は、自らの脚に刻まれた「未知の印」とその異変に直面する。澪が複雑な想いを抱えて病室を去り、その印を目の当たりにした美鶴が戦慄に包まれる中、柊の様態を確かめに来ていた芝山が静かに姿を現した。その顔には、組織を束ねる本部長としての鋭さよりも、一人の少女の安否を案じる大人としての疲労が色濃く滲んでいる。
「……茅野、体調はどうだ」
「本部長、わざわざすみません……ご報告したいことが」
白地のシーツに身を預けながらも、柊は真っ直ぐに芝山を見据えた。その瞳には、目覚めたばかりの病人とは思えない、鋭い光が宿っている。
「おい、俺は茅野の状態を確かめにここに寄っただけだ。1週間意識が戻らなかったんだぞ。その報告は、今すぐしなければならないほど緊急なのか?」
芝山は宥めるように声を落としたが、柊は躊躇うことなく無言で頷いた。その揺るぎない意志に圧された芝山は、小さく息を吐き、ベッド脇の丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。それを見届けた美鶴は、音を立てずに病室を後にし、二人だけの空間が作られた。
「分かった。話を聞こう」
「実は――」
柊の口から語られたのは、文化祭に出現した“試作品”の特異な構造だった。神官という人間と怨霊の魂が、不可分なまでに一体化していたこと。そして、その最期。
「神官と怨霊の魂が一体化した新たな怨霊……それで、結果はどうなった」
「私の浄化を受け、“試作品”は塵となって消えました。人間だった時の体も残っておらず、存在が消滅したと思われます」
込み上げる感情を静かに心の奥へと押し留め、自らの使命を全うしようと言葉を紡ぐ柊。凄惨な報告を揺るぎない覚悟で口にするそのあまりの冷静さに、芝山はかえって痛々しさを覚え、思わず頭を抱えた。
「お前は大丈夫なのか?」
「澪さんが生気を分けてくださったので体調は安定しています。強制解放をしたのでその代償で両足は動きませんが……」
「――そうじゃない」
柊の淀みのない回答を遮るように、芝山は低く断じた。静まり返った病室に、彼の押し殺したような声が硬く響き渡る。
「そうじゃない……と言いますと?」
芝山の低く押し殺したような声に、柊は怪訝そうに眉を寄せた。
「……言葉を選ばずに言うなら、正当防衛とはいえ、茅野が神官を殺したということだろう」
病室の温度が一段下がったかのような静寂が流れる。だが、柊の瞳は揺らがない。
「結果としては、そうなります。しかし、あそこで止めなければ被害は拡大していました……私がやらなければならなかったんです」
使命感に裏打ちされたその真っ直ぐな瞳に、芝山は再び深い溜息をついた。
「前世があるからと言って、死に慣れすぎた。お前は現世ではたった15歳なんだぞ」
芝山の言葉は、上司としての命令ではなく、一人の大人としての悲鳴に近かった。しかし、柊は自分の膝の上に置いた手を静かに握りしめる。
「お心遣いに感謝します……命の重さは理解しているつもりです。ですが、次があったとしても、私はみんなを守るために同じ選択をします」
「……一旦状況は理解した。“試作品”については入江に詳細を調べさせる。お前に非が及ぶことがないよう、佐奈田にも取り計らってもらおう……まぁ、そもそもその“試作品”とやらは人間とは見なされず、怨霊として処理されることになるだろうがな」
事務的な処理の話をしながらも、芝山の表情は晴れない。そんな彼に対し、柊はさらに一つの願いを口にした。
「あの、”試作品”について、永遠と澪さんには私から話をさせてください」
「……理由次第でな」
「――私は自分で、“試作品”を浄化することを選びました。だから、みんなにもどうするのか選んでほしいんです。特に永遠は前世の記憶がなく、人の死にも慣れていません。澪さんは、自分の到着が遅れたせいで私に無理をさせたと思い詰めている……だからこそ、私の言葉で伝えたいんです」
柊の言葉の端々に宿る、仲間を想うがゆえの冷徹なまでの責任感。芝山はしばし沈黙した後、ポケットから手帳を取り出し、最近届いたばかりの報告を口にした。
「……今日松任椛が駒葉高校生に憑依して橘の病室に現れた」
「椛が永遠の元に……?!危険を冒してまで何故……?」
柊の肩が僅かに震える。動かないはずの足に力がこもった。
「橘は青龍について尋ねられたらしい。茅野に心当たりは?」
「いえ、ありませんが……」
「そうか。松任椛もかなりのダメージでしばらく動けないようだ。松任椛が次の手を打ってくるまで多少の猶予はある。そこまで言うなら、お前の口から二人に話せ」
「私の意を汲んでくださりありがとうございます」
芝山はゆっくりと立ち上がり、少し乱れた背広の裾を整えた。窓の外には、9月特有の燃えるような朱色の夕空が広がっている。その斜陽が病室を長く、暗い影で切り裂いていた。
「当面は入院になるだろう。人員の配置は調整しておく……いいか、まずは余計なことを考えずに休め。これは命令だ」
芝山はあえて突き放すような、けれど温かい厳しさを込めて告げた。去り際に一度だけ振り返り、言葉少なに頷いて病室を後にする。スライド式の扉が、微かな走行音を立てて閉まり、最後にコトン、と小さな音を立てた。室内に再び、深い静寂が戻ってくる。
一人残された柊は、西日に照らされる自分の膝をじっと見つめていた。シーツの下にある、麒麟とは異なる「新たな印」が刻まれた動かない両足。窓の外で、遠くの蝉時雨が力尽きるように途切れ、ゆっくりと夜の帳が降りてくる気配を、彼女は肌で感じていた。
*
「お待たせしました!」
ここは都内の喫茶店の一角。
その日の夜、芝山は警視庁特異事象捜査課の巡査長である佐奈田洸士郎と待ち合わせをしていた。今回は入江と鴇も同席している。佐奈田は慌ただしく店に現れると、芝山の隣に着座した。
「すみません、僕も同じホットを1つ」
佐奈田は自分の猫舌を承知しつつも芝山たちと同じものを頼み、額の汗を拭いながらネクタイを緩めて芝山に向き直った。
「智大くんと……間宮くん。この1週間、現場の混乱収拾と証拠保全に付き合ってくれてありがとう。ようやく落ち着いて話せる場が持てました」
「御託はいいよ。警察の事務作業に付き合うのはもう飽き飽きだ。ボクたちを呼び出したのは、『索冥の目覚めと炎駒への襲撃』についての話があるからでしょ?」
鴇は苛立った声で言った。鋭い眼光に佐奈田が怖気づいている。
「先輩……間宮くん怖いんですけど……」
「佐奈田すまない」
芝山はそっと佐奈田に耳打ちした。
「失礼しました。では本題に入ります。これが今回の資料……そして、つい先ほど駒葉総合病院で起きた緊急報告です」
佐奈田は「駒葉高校文化祭襲撃事件」と書かれた厚いファイルと共に、一枚の速報ペーパーを差し出した。
「橘からも報告を受けている」
芝山が速報の報告書に目を通しながら答えた。
「大石華奈もとい松任椛が相内琉生という駒葉高校の生徒に憑依し、橘くんの病室に現れました。幸い、橘くんが即座に見破ったため実害はありませんでしたが、松任椛は橘くんに対して『現世の青龍の正体を知ってる?』と尋ねたそうです。橘くんは情報を持っていなかったのでその旨を伝えたところ、松任椛は憑依を解いて気配を消したとのことでした」
「警察としては、一連の事件をどう総括しているんですか?」
報告書に目を落としていた入江が佐奈田を真っ直ぐに見て言った。
「これまでの松任椛の行動は3つ、神官の邪霊化、駒葉高校文化祭襲撃、駒葉総合病院での奇襲です。この3つの事件から、松任椛は何らかの目的のために五麟の強化と前世の関係者を捜索していたのではないかと推察しています。そのため、文化祭での襲撃事件ですが、一般人の一之瀬眞白くんが巻き込まれたのではなく、彼が目的だったのではないかと考えてます」
「ふーん……その理由は?」
鴇は佐奈田の推理を吟味するように、理由を尋ねた。
「松任椛は神官の行方不明事件の主犯格である”女神”であったことが発覚していますが、彼女は一般人を巻き込む事件を起こしていないんですよ。なので、一之瀬眞白だけ巻き込まれるというのは、不自然ではありませんか?」
「彼女の目的が五麟の殺害ではなく強化だと推察したのは、五麟に犠牲者が出ていないからですか?文化祭の襲撃では警察と本部の対応不備で犠牲者が出てもおかしくなかった状況だったと思いますが?」
入江はいつもの柔らかい雰囲気のまま佐奈田をギロリと睨みつけたが、佐奈田は慌てなかった。
「それは本当にごめんなさい。入江くんの怒りはごもっともです。ただ、確かにそれはそうなんですが、五麟を殺すつもりなら柊ちゃんと橘くんが意識を失っている間にトドメをさせたはずでしょう。なのに彼女はそれをせず、一之瀬眞白に執着した。そう考えると松任椛に殺すつもりはなかったし、別の目的があったというのが警察内部の見解です。橘くんも同じ認識でした」
「それはボクも同意だよ……で、一之瀬眞白が目的だった場合の不都合があるのかい?」
佐奈田は気まずそうに口を開いた。
「一之瀬眞白本人からは、警察としてもまだ正式な事情聴取ができていません。父親である一之瀬怜士のガードも固いですからね。……ですが」
佐奈田はそこで一度言葉を切り、手元の手帳をパラパラとめくって一箇所で指を止めた。
「皆さんを前に言うのも心苦しいのですが、僕は一つ、確信に近い疑念を抱いています」
佐奈田は顔を上げ、芝山、入江、鴇の三人を順番に見据えた。
「橘くんは、僕たち……いえ、五麟の仲間に対しても、意図的に情報をコントロールしている可能性があります。彼はまだ、何かを隠しているのではないでしょうか」
佐奈田のその言葉が落ちた瞬間、テーブルの上の空気が、物理的な重みを伴って凝固した。誰もがその可能性を否定したかった。だが、先ほどまでのジャズの旋律さえ、今は遠くの雑音のようにしか聞こえない。
「……永遠くんが?」
入江の問いかけに、佐奈田は逸らされようとする視線を繋ぎ止めるように、その瞳を真っ直ぐに見据えて深く頷いた。
【次話】103話 群青の密約2 -深い川は静かに流れる-
2026年2月21日(土) 22:00頃更新
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