【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-98話 太陽の残滓3-水は方円の器に従う-
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文化祭での襲撃を経て、大石華奈の正体が天才神官・松任椛であると判明。入院中の永遠のもとに深夜、監視を潜り抜けた眞白から「会いたい」と密かな呼び出しの電話が入った。
『病院の隣の公園、15分後に来てくれないかな。正攻法じゃ無理でも……永遠なら、来れるでしょ?』
スマートフォン越しに届く眞白の声は、どこか縋るような、切実な響きを帯びていた。
「あのな……俺を何だと思って……」
『ふふふ……もし30分経っても俺が現れなかったら戻って良いから。じゃあまた後でね』
眞白は一方的に、祈るような余韻を残して通話を切った。永遠はゆっくりと立ち上がり、月明かりだけが差し込む静まり返った病室を見渡す。
幸いにも点滴の管はすでに外されており、足元には搬送された際に履いていたスニーカーが揃えられている。今着ているグレーのスウェットなら、夜闇に紛れるには十分だった。問題は移動経路だが、病室の前には警察が張り付いている。
(正攻法で行かせてもらえる訳がない……仕方ねぇか)
無意識のうちに、指が動いていた。迷いも、練習の記憶もない。ただ「最適」を知っているかのように。
永遠は枕を布団に沈めて身代わりを作ると、印を結んだ。
「形影相弔」
淡い光が病室を包み、空気が微かに歪む。冴木や澪レベルの術者ならいざ知らず、一般人の警官なら、ベッドに眠る「橘永遠」の残像に疑いも持たないだろう。
スウェットのフードを深く被り、窓を開ける。
日中の熱を蓄えたままの重い風が室内に流れ込み、永遠の頬をぬるく撫でた。各階の病室にはすでに明かりは点いておらず、眼下には街灯に照らされた闇が広がっている。
(3階か。なら、余裕だな)
不思議だった。この高さから飛び降りることに、何の躊躇も湧いてこない。それどころか、恐怖という機能が根こそぎ削ぎ落されたかのような、凪いだ感覚があった。
――『恐怖心があったら、従者として主人を守れるはずがありませんよ。心の弱さが隙になることを、ゆめゆめお忘れなきよう』
窓枠に手をかけた瞬間、脳裏に凛とした自分の声が響いた。
(これは俺が言った言葉か……一体誰に向けて言った言葉だったか……)
覚えのないはずの自らの「信念」に背中を押されるように、永遠は闇へと身を投げ出した。
空中で重力に身を任せながら、唇が勝手に言霊を紡ぐ。
「紅蓮昇天」
印すら必要なかった。両足から爆ぜた炎の渦が、落下の衝撃を強引に吸い込んでいく。
芝生を蹴り、無音で着地した瞬間、塞がったばかりの背中の傷が熱く疼いた。
「……あれ。俺、今……」
永遠は自分の左手を凝視した。何度試みてもできなかった「言霊のみによる発動」。文化祭の戦いでは朱槍を使わず何とか印だけで発動するのが精一杯だったはずなのに、それが、今の何気ない一息とともに当たり前に発現した。
(あんなに鍛錬してもできなかったのになんで……)
自分の肉体が、自分の意志を置き去りにして、勝手に「完成」へと近づいていく。それは上達などという生易しいものではなかった。まるで見えない誰かに外堀を埋められ、退路を断たれ、あらかじめ用意された「正解」の上を歩かされているような――そんな薄ら寒い違和感。
肝心な記憶は霧に包まれたまま、身体だけが「最適」を知っている。永遠はその不気味なほどの全能感を振り払うように、眞白の待つ公園へと走り出した。
*
公園の街灯は、湿り気を帯びた夜の空気をぼんやりと照らし出していた。9月中旬とはいえ、日中の酷暑がアスファルトに居座っており、夜風もぬるい。その光の端に、うつむき加減で眞白が立っていた。
「永遠!」
「眞白……本当、無茶すんな。家を抜け出して来たんだろう」
駆け寄ってきた眞白を、永遠は反射的に「遮る」ように一歩前に出て、周囲の死角を警戒した。
「永遠には言われたくないよ。……怪我、本当に大丈夫なの?」
「あぁ、運ばれる前に回復を高めて塞いでたからな。今は血が足りねぇのと、瞳術の残響が少しあるくらいだ」
淡々と答える永遠を、眞白は痛ましいものを見るような目で見つめた。
「本当に、無茶するんだから……」
「お互い様だろ……そうだ、母さんに連絡してくれたんだってな、ありがとな」
永遠はあえて話題を変えた。眞白の「自分への心配」に、どう応えていいか分からなかったからだ。
「柊はまだ目を覚まさねぇらしい。あいつも、相当無理したからな」
「永遠だってそうでしょう?! あの出血量で、そもそも起きてすぐ戦えるような傷じゃなかったし――」
眞白は永遠の腕を掴もうとして、その指先を震わせた。その瞳には、混乱と問いかけたい衝動が渦巻いているのが見て取れた。あの異常な回復力や、眞白自身が放った光、そして自分たちを襲った松任椛の正体――。彼が抱える疑問の重さが、掴まれた腕から伝わってくるようだった。
「……お前の方は、大丈夫だったのかよ」
永遠の真剣な眼差しが、眞白の言葉を遮った。
「俺は、怪我してなかったし」
「とぼけんなよ。俺に聞きたくて、わざわざ呼んだんだろ」
眞白は小さく息をつき、視線を地面に落とした。街灯の下、長く伸びた二人の影が重なっている。
「……大石さんに放った光――『神術』について、教えてほしいんだ」
永遠は、スウェットのポケットの中で知らず知らずのうちに手を握りしめた。
「昨日お前が出したあれは、神官の一族が血を引く人間が、儀式と訓練を経てようやく習得するものだ。普通の人間が、いきなり出せるもんじゃねぇ」
「儀式……? 訓練? そんなの、受けた記憶なんてないよ」
眞白が顔を上げる。その瞳は、暗闇の中で激しく揺れていた。
「分からないんだ。あの時はただ、無我夢中で……頭に浮かんだポーズをして、勝手に言葉が……」
(やはり、今の眞白の意志で出したんじゃねぇ……)
永遠は、眞白の出自を確かめるように、さらに踏み込んだ。
「儀式を受けた覚えがないなら、お前の魂が『覚えている』ってことだ。お前、平安時代の夢を見るって言ってたよな。覚醒前、俺も同じような夢を何度も見た」
「いや、待ってよ……俺、全然記憶なんて――……あっ」
眞白が、何かに気づいたように顔を強張らせた。
「……なんだよ」
「大石さんと対峙してる時、頭が割れそうに痛くて。その時に見えた光景があるんだ。……永遠にそっくりな人に、俺が、あの神術を放ってた。その人は平安の着物を着てて、袈裟懸けに斬られたまま、こっちを見てたんだ……『主……なぜ……』って」
眞白の声は、消え入りそうだった。
永遠の背中の傷が、焼けるように熱を帯びる。
「……随分、嫌な光景見てくれるじゃねぇか」
「待ってよ! 俺が選んで見たわけじゃないし、デタラメかもしれないし……!」
眞白は必死に否定したが、永遠は動かなかった。
(主……)
脳裏をよぎる「太陽の覡」という情報。そして、自分の体が勝手に反応してしまう「主」という言葉。
目の前にいるのは、ただの幼馴染の一之瀬眞白だ。それなのに、彼が語る前世の断片を聞くだけで、胸の奥が不甲斐なさで締め付けられる。
「俺は答えを持ってねぇよ。前世のことなんて覚えてねぇんだから。……でも、お前が『関係者』なのは間違いねぇ」
永遠は冷徹に、自分に言い聞かせるように言葉を畳み掛けた。
「猶予はねぇ。大石もお前の覚醒を待ってる様子だった。いずれ、俺以外の人間にバレるのも時間の問題だ」
「そんな――……」
崩れそうになる眞白に、永遠は冷静な分析を突きつけた。本部に報告すべきだという理屈。だが、今の眞白にはそれが重すぎることも。
「本来であれば本部の元で警護する体制を取った方が良いと思う。ただし、大石もお前の覚醒を待っている様子だった。あいつも怪我してたし、無理には動いて来ないだろう……猶予はある。ひとまずお前は警護対象にあるはずだから、そのままおとなしく警護されとけ。柊が目覚めたら対応相談しとく。俺も柊もこんなだから澪さん巻き込んで良いか?あの人は絶対に柊を裏切ることをしないから信用できる。あとは状況によっては入江さんにも話すかも。入江さんとは駆け引き次第だけどな」
「入江さん……? 駆け引き……?」
眞白は、永遠の口から出る言葉の重さに、ついていくのが精一杯のようだった。
「春に駒高に来ていた教育実習生だよ。俺達のバイト先の関係者なんだ。内部の調整が必要になったらあの人の力必要だからーー」
「永遠……冷静だね」
「そうか?」
「幼馴染が前世持ちだったのは、俺が初めてじゃないもんね……?」
眞白が微かに微笑んだ。その笑顔には、拒絶と、それ以上の「しがみつき」のような色が混じっていた。
「何が言いたい?」
永遠は眞白の意図を確かめるような顔をした。
「俺は永遠との関係性を変えるつもりはないから。永遠も今まで通り接して」
眞白の言葉に、永遠は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「この状況でめちゃくちゃ言うな」
今まで通り。そんなことが、果たして可能なのだろうか。眞白から語られた「主」という言葉が、不協和音のように耳に残っている。背中の傷の痛みと、眞白が放った光。それらが、自分たちの間に見えない境界線を築き始めているような、不気味な予感があった。
「めちゃくちゃなこと言ってたのは永遠も同じでしょ?」
永遠は眞白の言葉に反論しようとしたが、かつて駒葉高校の裏山のベンチで全てを打ち明けたことを思い出して小さく息をついた。
「それもそうだな……善処する。じゃあな」
「うん、おやすみ」
眞白がゆっくりと歩き出すのを見届け、その背中が闇に消えてもなお、永遠はその場を動けなかった。遠くで街の喧騒がかすかに聞こえるが、周囲は重苦しい熱気に満ちている。
(……俺との関係性を変えるつもりはない、か)
耳の奥で、眞白の声が何度も反芻する。その言葉を受け入れたい自分と、彼の言葉に激しく反応した背中の傷。
(いるかもしれない、って思っただけでこれかよ……キツ……)
自分の意志が、自分自身に裏切られていくような感覚。永遠は、熱を持った左腕を強引に掴み、逃げるように病室へと足を向けた。
【次話】 99話 太陽の残滓4-水は方円の器に従う-
2026年1月24日(土) 22:00頃更新
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