【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-104話 群青の密約3 -深い川は静かに流れる-
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入江たちが橘永遠の不審な動向と、人間を消滅させる残酷な“試作品”の出現に揺れる中、入江は永遠の中に「太陽の覡」を守る従者の本能が目覚めつつある可能性を指摘する。一方、芝山は事態の収拾を図るため、夜の公園で柊の兄である松任楓と密会していた。
「晴、呼び出して悪かったよ。でも、ほら懐かしいだろう? ここで晴と美鶴と出会ってから、もう二十年近く経つんだな……」
楓は自嘲気味に笑うと、左の眉から額へと伸びる古い傷跡を指先でなぞった。
「……ここに来ると、今でも古傷が疼くよ」
「……そうだな」
短く応じ、芝山は隣に腰を下ろした。木製のベンチが、二人の重みを受けてわずかに軋む。
芝山は膝の上でタブレットを起動した。青白い液晶の光が、二人の疲弊した顔を無機質に照らし出す。
「松任椛に関する情報だ。今日発生した駒葉総合病院の事件についても、詳細をまとめてある」
楓は鋭さを一瞬だけ瞳に宿し、静かな手つきでそれを受け取った。
「松任椛が橘の友人である相内琉生に憑依して現れたらしい。憑依された人間も精神の核を破壊された形跡もなく、相内琉生を部屋に通したナースステーションの看護師や病室の入口に立っていた警察官も覚えていた」
「……それは松任家に伝わる秘術だね。秘術は二つ。『翡翠眼』と、対象者に憑依する『神懸り』だ」
芝山の言葉に、楓は画面をスワイプする手を止め、眼鏡のブリッジに指をかけ、その奥の瞳を鋭く細めた。
「そんなにさらっと秘術について俺に話して良いのか?」
「晴のことは信頼してるからね。通信に乗せれば盗聴の恐れがあるから伏せていただけだよ。それに……これだけ松任家が事件を起こしてしまった以上、話さざるを得ないでしょう」
楓は視線をタブレットから上げ、芝山の目を真っ直ぐに見つめ返した。そこには、組織の立場やしがらみを越えた、個人的な信頼が宿っている。
「……その神懸りという術は、怨霊にも憑依できるのか?」
芝山の問いに、夜風が大きなケヤキの葉を揺らす音だけが返ってきた。楓の表情が、わずかな沈黙の中で曇っていく。
「聞いたことがないよ。そもそも神懸りはかなり特殊で、歴代の神官でも使いこなせる人間はほとんどいなかった……わかった。僕の方で調べてみるよ」
楓は一度言葉を切り、深い闇の広がる公園の奥へと視線を投げた。その無防備な横顔に、芝山は静かに言葉を重ねる。
「で、楓。お前が聞きたいのは松任椛に関する情報じゃないだろう? 3年振りに会おうと言い出した本当の理由は」
直球な問いに、楓はギクリとした様子で視線を泳がせた。
「僕だって本部副本部長なんだから、そりゃあ……本部の動向は気になるよ」
「お前が気になっているのは、茅野柊のことだろう」
図星を突かれた楓は、観念したように肩を落とした。深く吐き出された溜息が、夜の静寂に溶けて消えていく。
「……柊の容態はどうなの?目を覚ましたって聞いたけど……」
「戦闘でかなり無茶をしたようで、両足が動かない。しばらくは現場に出られないだろう」
「……そう」
楓は胸元を強く握り締め、肺の中の空気をすべて吐き出すような、重い息を漏らした。その表情には組織の幹部としての冷静さはなく、ただ妹を案じる、痛々しいまでの「兄」の顔があった。
「あと、お前に報告しなければならないことがある」
芝山は一度言葉を止め、周囲に人の気配がないことを確認するように目を走らせた。
「それは副本部長に向けて? それとも、柊の兄に向けて?」
「……どっちもだ」
芝山の険しい表情に、楓はただならぬ気配を察して背筋を伸ばした。
「……分かった。聞くよ」
「松任椛が、人間と怨霊を完全に同質化させた“試作品”を茅野に対峙させた。柊は浄化に成功したが……その瞬間、神官の肉体は塵となって消滅したそうだ」
「は……? 何それ、人間が塵になって……それって、まさか……」
楓は息を呑み、膝の上で情報を映し出していたタブレットを、弾き飛ばすようにベンチへ放り出した。そのまま芝山の首元を掴み、力任せに引き寄せる。
「……消滅した神官の処理なんてどうだって良いよ……重大なのは、柊が自分を人殺しだと思っていることだろう!? お前と智大がそばにいながら、何をやっているんだよ!」
掴まれたスーツの襟がクシャリと音を立てる。眼鏡の奥にある瞳には、かつてこの場所で二人して誓い合った青臭い正義感が、鋭い怒りとなって再燃していた。芝山は抗うことなく、ただその熱量を受け止めて目を伏せる。
「……お前の言う通りだ。さっき店でも、部下たちの前で吠えてきたばかりだ。子供にこんな重責を背負わせて、俺は何をやってるんだってな」
絞り出すような芝山の自嘲に、楓の指先から微かに力が抜けた。3年ぶりに再会した親友の横顔に刻まれた、本部長という肩書きでは隠しきれない疲弊。それを間近に見て、楓はゆっくりと手を離した。
「……柊については、正当防衛が認められるよう警察に掛け合っている。ただ、”試作品”は怨霊と同質らしく、一般人はその存在を記憶に留めておけない。……だが、あいつらの中に残る罪の意識だけは、どうやっても消してやれない」
芝山が吐き捨てるように言うと、楓は眼鏡の奥の瞳を悲しげに細めた。
「浄化するたびに、人々の知らないところで人間を消滅させて、柊たちを殺人者に仕立て上げる……。なんて残酷なことをするんだ……」
楓は握りしめていた拳を、やるせなさを振り払うように落とした。遠くで錆びついたシーソーが、風に揺られてキィと乾いた音を立てる。
「ごめん……そばにいられない僕に、こんなことを言う資格なんてなかった」
楓は視線を足元の砂利へと落とし、自嘲するように肩をすくめた。眼鏡の奥の瞳には、組織の幹部としての鋭さはなく、ただやるせなさだけが漂っている。
「そんなに心配なら見舞いに行けば良いだろう?」
「駄目だよ! 柊の前では格好良い兄貴でいたいのに、こんな動揺している姿見せられない。……それに、今更僕が柊のそばにいたところで……」
取り乱したように声を荒らげ、楓は自身の弱さを隠すように、片手で深く顔を覆った。必死に「理想の兄」を演じようとするその指先は、忍び寄り始めた秋の肌寒さか、あるいは自身の不甲斐なさからか、微かに震えている。
「その格好良い兄貴とやらを演じるのは、そろそろ諦めろ。本当はシスコンで心配で仕方ないくせに」
芝山は空気を変えるように、わざと呆れた声を上げた。
「祖母に預けた後も、俺に預けた後も、お前は毎日こっそり様子を伺いに来ていただろう。新潟にいた期間だって、一年の半分は向こうに滞在していたはずだ。大和がお前の存在を隠すのにどれだけ苦労していたと思っている」
「それは……柊を巻き込むわけにはいかなかったから。でも……」
楓はそこで言葉を切り、街灯の届かない公園の闇をじっと見つめた。
「……やっぱり、あの時ばあちゃんに柊を預けたのは、僕の最大の失策だったよ。僕の選択のせいで、柊だけでなく……あいつら全員の運命まで狂わせてしまった。柊から自由を奪って、こんな重荷を背負わせて……。本当は、もうこれ以上、柊を戦わせたくないんだ」
楓の声は、夜風に混じって消えてしまいそうなほど低く、湿り気を帯びていた。
「“あの子”を見送った日のことは、今でも夢に見るんだ。僕が背中を押したのは正解だったのか。”あの子”は、あの選択で本当に幸せだったのか……って。だからもう、二度と後悔したくない。今度こそ、“あの子”の選択を……正解にするんだ」
震える声で紡がれた言葉。芝山は深く溜息をつき、ベンチから立ち上がった。
「……面倒だから、その気持ちを直接茅野に伝えろ。あいつなら、お前のそんな不器用な気持も受け取るだろうよ」
「無理だよ、晴。そんなこと言われても……」
楓は未だ躊躇いを捨てきれない。
「敵はもう動き出している。本部にも、茅野にも、お前の力が必要だ。……早く戻ってこいよ、楓」
「……分かったよ」
芝山が背を向け、砂利を踏みしめる重い足音が遠ざかっていく。植え込みからは、秋の夜にふさわしい、虫たちの微かな鳴き声が響き始めた。
「本当に分かったのか?」
立ち止まった芝山が、肩越しに鋭い視線を投げる。楓は指先で額の古傷をなぞり、わずかに冷気を帯び始めた夜風を深く吸い込んだ。
「分かったって……しつこいな、晴は」
楓が少しだけ呆れたように、けれど確かなトーンでそう返すと、芝山は鼻で小さく笑って今度こそ闇の先へと消えていった。
独り残された楓は、眼鏡の奥で静かに目を閉じる。今度こそ「正解」を掴み取るために、彼はもう一度、秋の冷えた空気を深く肺に満たした。
【次話】105話 群青の密約4 -深い川は静かに流れる-
2026年3月7日(土) 21:00頃更新
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