【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-100話 太陽の残滓5-水は方円の器に従う-
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駒葉総合病院での検査の帰り道、外科医の東雲美律から不穏な忠告と共に名刺を託された永遠。病室に戻ると、そこには友人・相内琉生に憑依した松任椛が待ち構えており、永遠は即座に朱槍を突きつけその正体を見破るのだった。
「……あはっ。正解!どうして分かったの?」
「お前の瞳術を受けたからな、気配のクセは掴んでる。それに相内はめちゃくちゃ面倒くさがりだから、あと数日で退院して学校に来る奴の見舞いなんて来るわけねぇんだよ」
永遠の推理は単純明快だった。図星を突かれた椛は、感心したように、あるいは拍子抜けしたように、相内の顔を使って大仰に肩をすくめた。
「なんだつまらない〜……他の人にすれば良かったわ」
朱槍の切っ先は微動だにせず、相内の喉元を威嚇し続けている。
「…… ”大石”の時と同じ仕組みか?」
「種明かしするのはつまらないでしょう?」
椛は挑発するように笑みを深めた。その瞳の奥には、友人の面影を塗り潰すような、底知れない捕食者の光が宿っている。
「そうか」
永遠が短く応じると、椛は小首を傾げ、芝居がかったトーンで言葉を継いだ。
「橘くんに聞きたいことがあったの」
椛はそう言うと、相内の顔を使って、いたずらが成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべた。その声音は甘く、どこか楽しげですらある。
「……なんだ?」
「あなたは現世の青龍の正体を知ってる?」
「は?青龍?」
不意に投げかけられたその名に、永遠は思わず問い返した。病室を支配していた緊張の糸が、未知の単語によってさらに硬く張り詰める。永遠は眉をひそめ、朱槍を握る手に僅かな力を込めた。
「あなたも見たでしょう?私が柊ちゃんに瞳術を使おうとした時に青龍の印が現れたことを」
「青龍の印……? あっ――」
永遠の脳裏に、あの乱戦の記憶が奔流となって押し寄せた。椛が放った数多の翡翠の針が、雨のように降り注いだ絶体絶命の瞬間。柊を包み込み、その攻撃を悉く弾き飛ばした、あの青白く高貴な龍の紋章。
「やだ、忘れてたの?橘くんも見ていたからてっきり……」
「わざとらしく言うのはやめろ。お前が俺が覚えていない場合を想定してないはずがない。危険を冒してまでここに来たのは、俺を駒として動かすつもりだったからだろう?そんなに青龍の正体を知りたいのか?」
永遠は椛の挑発をはねのけ、鋭く核心を突いた。朱槍の穂先は寸分違わず相内の喉元を捉えたままだ。その瞳には、相手の術中に嵌まるまいとする強い意志が宿っていた。
「橘くんキレキレじゃない。本当に前世の記憶思い出していないの?」
「うるせぇ、話を逸らすなよ」
「柊ちゃんの味方が五麟の味方とは限らないでしょう?橘くんも知りたくない?」
椛は永遠の記憶の断片をかき乱すように、甘い毒を含んだ餌をちらつかせた。
「……お前、受けた傷が想像以上に重いみたいだな? 俺を殺しに来たんじゃなくて、わざわざ交渉を促すなんてよ」
永遠の指摘に、椛は一瞬だけ表情を消した。だが、すぐにまた芝居がかった軽薄な笑みを貼り付ける。
「女の子をいじめるなんて嫌われるわよ、橘くん。まあ、良いわ。今日の目的は果たしたわ。じゃあ、また会いましょう」
椛はそう言い残すと、永遠の返答を待たずに一方的に憑依を解いた。次の瞬間、相内の身体から急速に「熱」が引き、彼は魂が抜けたようにその場に崩れ込んだ。永遠は病室の外にいた警官に向けて大きな声を発した。
「来てください!女神が出現しました!」
――ガラッ!
驚いた様子で警官が病室に駆け込んで来た。
「気づかずすみません……!お怪我はないですか?!」
「俺は大丈夫です。佐奈田さんに連絡してください。あと被害者の意識がないので急いで医者を呼んでください……!」
「分かりました!!」
警官がナースステーションに向かう足音が離れていくのを感じながら、永遠は目を閉じた。
(もう松任椛の気配はないな……)
実体を失った朱槍が淡い光の粒子となって空気中に霧散すると、病室には午後の柔らかな静寂が戻ってきた。永遠はまだ熱を帯びている自分の掌を一度強く握り、それから相内の身体を慎重に持ち上げた。憑依が解け、意識を失った友人の身体は、脱力しているせいか驚くほどに重かった。永遠は自分のシーツを整え、相内をゆっくりと横たわらせる。枕の位置を直し、掛け布団を肩まで引き上げると、そこには憑依から解放されて緊張の抜けた、どこか抜けたような顔をした相内がいた。さっきまで喉元に朱槍を突きつけられていたとは思えないほど無防備なその姿に、永遠は小さく鼻で笑った。
「……たく、災難だったな」
小さく独りごちた永遠の視線は、窓の外へと向けられた。午後の高い太陽が、中庭の木々を鮮やかな緑に照らし出している。平和そのものの景色とは裏腹に、椛が残していった「青龍」という言葉が、明るい光の差す室内で異物のように永遠の胸に重く沈殿していく。彼は自分のベッドの傍らに立ち、静かに規則正しい寝息を立て始めた友人を見守りながら、止まっていた思考を再び巡らせ始めた。
*
『柊ちゃんー……柊ちゃんー……』
深い泥の底から引き上げられるような感覚と共に、柊は意識の端を掴んだ。ゆっくりと目を開けるが、そこには何もなかった。戦っていたはずの喧騒も、椛が放っていた圧倒的な殺気も、肌を焼くような雷の熱量も――すべてが嘘のように消え失せ、ただ底知れない静寂が支配している。
柊が上体を起こすと、微かな水音が静寂に波紋を広げた。視界に広がるのは、上下の感覚すら曖昧になるほどの真っ暗な空間。そして足元には、どこまでも続く鏡のような水面が広がっている。
「ここ、は……? 私は、どうなったの……?」
混乱する頭を抱え、自分の身体を確かめるように見つめる。痛みはない。だが、生きているという確かな手応えも希薄だった。
「ここって精神世界……?」
――ズボッ!
静寂に包まれていた漆黒の世界が、突如として牙を剥いた。
「っ、あ……!?」
鋭い衝撃と共に、柊の身体が下方へ引き込まれた。鏡のように凪いでいた水面が、底なしの深淵へと変質している。本来なら、脚の雷針を媒介に重力を振り切れるはずだった。しかし、まるで鉛のように重く絡みつく水は、吸盤のように彼女を捕らえ、ふくらはぎの半ばまでを瞬く間に飲み込んでいく。
「飛べない……!? 一体どうして……っ」
抗おうと力を込めるが、足先からじわじわと体温を奪われ、感覚が麻痺していく。焦燥に駆られる柊の耳元で、水紋を揺らすように澄義の声が響いた。
『柊ちゃん、気づいているでしょう?』
その声は、泣き出しそうなほどに震えていた。
『解放率を最大まで引き上げる代償は、あなた自身の存在そのもの。水底に引きずり込まれた瞬間にあなたの自我は失われ、この体の主は私へと入れ替わってしまう。……けれど柊ちゃん、私はそんなこと、決して望んでなんていないわ。私はただ、ずっと、ずっと……柊ちゃんと一緒に在りたいだけなのに……!』
波紋となって広がる澄義の悲愴な響きが、柊の胸を締め付ける。水面下に沈んだ足先から、自分の記憶や意識が溶け出し、闇に混ざり合っていくような不気味な感覚がした。
(ここで沈むわけにはいかない……)
柊は奥歯を噛み締め、自由の利かない脚に無理やり力を込めた。水面に映る自分の顔を真っ直ぐに睨み据える。
「それでも、私がやらなきゃ……大切なみんなを、二度と失いたくないから」
たとえ自分が消えてしまったとしても、守りたい未来がある。その揺るぎない意志に呼応するように、柊の瞳に一筋の電光が走った。
沈黙が流れる。やがて、澄義は諭すように、けれど深い覚悟を込めて囁いた。
『……柊ちゃんなら、きっとそう言うと思った。でも柊ちゃん、自分を差し出しては駄目……して……柊ちゃんなら、きっとできるわ……』
「どういうこと……!?私は、一体何をすれば……」
問いかける柊の視界で、暗い水底から眩いばかりの光が溢れ出し、世界を白く塗り潰していった。
――――
――ガバッ!
「待って澄義!」
柊が目を覚ますと、そこは東雲医院の見慣れた病室だった。現実へと無理やり引き戻された衝撃で、柊は大きく上体を起こす。肺が激しく波打ち、喉の奥が焼けるように熱い。額からは嫌な汗が吹き出し、こめかみを伝ってシーツに滴り落ちた。
「私、どうしたんだっけ……」
――『最大出力——雷霆裂破!』
混濁する意識の中で、白い天井をぼんやりと見つめる。だが次の瞬間、激しい閃光のような記憶が脳裏を突き抜けた。
「そうだ!椛が――!」
守るべき人々、そして未だ消えぬ脅威。焦燥が柊の胸を突き上げ、彼女を突き動かした。「動かなければ」という一心で、柊は自分の腕に繋がっていた点滴の針や、心電図のコードを迷わず掴み取る。皮膚に走る鋭い痛みも、警告音を鳴らし始めるモニターの音も、今の彼女の耳には届かない。粘着テープを強引に剥がし、あらゆる管を乱暴に引き抜くと、柊はそのままベッドの縁へと這い出した。
――ドダン!
鈍い音と共に、柊の体は無情にも床へ叩きつけられた。反射的にベッドを降りようとしたが、腰から下の感覚が抜け落ちたように、両足に力が入らなかった。
【次話】101話 太陽の残滓6-水は方円の器に従う-
2026年2月7日(土) 22:00頃更新
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