【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-112話 忘却の断片5-去る者は日々に疎し-
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秋の陽が傾き始めた頃。駒葉総合病院の中庭で、柊と澪が互いの過酷な運命を分かち合い、静かな覚悟を決めていたちょうどその頃。
永遠は一人、校舎の隅にある文芸部の部室へと足を運んでいた。
放課後の廊下には、グラウンドから微かに吹奏楽部の練習音が響いてくる。西日が差し込む窓枠の影が、リノリウムの床に長く伸びていた。
――コンコン。
「はーい」
中から明るい声がして重い引き戸を開けると、古紙と埃の匂いがふわりと鼻を突いた。室内では、数人の生徒が部活動の片付けをしているところだった。
「すみません。俺、1年3組の橘って言います。色々あって当日に行けなかったんすけど、文化祭で販売してた冊子が余っていたら購入させてもらえないっすかね? できれば三冊ほしいんすけど」
「え! わざわざ?! ありがとう! ちょっと待ってて!」
奥にいた女子生徒がパタパタと駆け寄り、段ボールに無造作に積み上がっていた冊子の束から三冊を抜き出してくる。
「三冊で1500円です! たくさん余っちゃったから嬉しいよ〜! 私はここの部長で、2年6組の福森ミミ!」
永遠は財布から1500円を取り出し、愛想の良い笑みを浮かべてミミに渡した。
「ありがとうございます。部活の時間にすいませんした」
「そんなの全然良いの! ねぇ、あなた文芸部に興味ない?! 3年生が引退したら人数ギリギリで廃部の危機なの!」
文芸部の部員たちは目を輝かせ、永遠を取り囲んで熱烈な勧誘を始めた。
「今年は1年生も何人か入ってくれたから大丈夫と思ってたんだけど、今、一人足りないんだよね〜!」
「え?」
(それって、もしかして……)
永遠の思考が、一瞬だけ冷たく研ぎ澄まされる。
「数え間違えちゃったのかなぁ? まぁ、来年人を入れれば大丈夫かなとは思ってるんだけど!」
「すみません……俺、ほかにやりたいことがあって……」
「そっか……急にごめんね! わざわざ買いに来てくれてありがとう!」
永遠は丁寧に謝罪し、人当たりの良い笑顔で部員たちに感謝を伝えた。そして、そっと文芸部の部室から退室する。
――ガラッ!
「待って!」
永遠が廊下を歩き出そうとした瞬間、背後で勢いよく扉が開く音がした。
振り返ると、一人の少女が切羽詰まったような表情で永遠を見つめている。西日を背に受けた彼女の肩は、小刻みに震えていた。
「あの! あなた1年3組なんだよね? その冊子に載ってる大石華奈って子、知らない?」
「あんたは?」
「私は1年7組の滝口桃。私、4月の遠足の時に文芸部に体験入部した子たちとの写真が残ってて……」
そう言って、桃は震える手でスマートフォンの画面を永遠に向けた。
そこには、華奈と奈緒を含めた四人がそれぞれピースサインをして自撮りをした写真が残っており、彼女の隣には、少しはにかむような笑顔を浮かべた『大石華奈』の姿が確かに映り込んでいる。
「文化祭の後から……文芸部の部員だったはずなのに、同期も先輩たちもこの子のこと、誰も覚えてなくて……。この冊子に文章が載ってるのも、ただの寄稿だと思い込んでて……私、3組に知り合いいないから確かめようがなくて……」
桃の掠れた声が、静まり返った廊下に吸い込まれていく。
「この間、部室に警察の人が来て聞かれたんだけど、怖くて言い出せなかった……。それに、なんか……日に日に記憶に靄がかかっていく感覚がしてて……」
永遠はふと、駒葉総合病院での佐奈田の言葉を思い出した。
――『まるで最初からいなかったみたいに、みんなの記憶から彼女の輪郭が消えかかってる。彼女の写真を見せて、携帯のアルバムに彼女との写真がないかも尋ねたんだ。写真が残っているのに、みんな『こんな子知らない、何この写真』って記憶を疑うんじゃなくて目の前の写真を否定しててさ……唯一、記憶を留めていたのは、担任の青山先生だけだった。先生は神職の家系ではないけど、もともと視える人だからね』
(滝口は生気が強いから、まだ少し記憶が留まってるんだな……)
周囲が忘却の海に沈んでいく中、自分だけが取り残されていく恐怖。永遠はひと息ついて、怯える桃と真っ直ぐに向き合った。
「あんたは、どうしたいんだ?」
「え?」
「もし俺が何か知ってたら、関わりたいのか、関わりたくないのか?」
「……何があったのかは、知りたいかも」
桃は自身の腕を強く抱きしめ、怖がりながらもはっきりとした口調で永遠に伝えた。
「今、あいつは行方不明になってる。知っていることがあったら教えてくれ」
「え? 行方不明? でも、みんな覚えてないのはどうして……」
「それは今警察が調べてる。文化祭当日の大石華奈の動きを知ってるか?」
「大石さんは……クラスの方が忙しいからって、2日間とも部活の当番からは外れてたよ。部室の方にも来てないと思う」
「そっか、ありがとう」
「あと……」
桃は何かを思い出すように、少しだけ視線を彷徨わせた。
「文化祭が初めてだからだったのかな? すごく楽しみにしてた。『文化祭で会いたい子と再会できる』って」
「”会いたい子”ね……了解。何か分かったら共有するよ」
永遠は短く応え、踵を返して歩き出した。
桃を背にした瞬間――永遠の表情から、先程までの愛想の良い笑みが完全に消え失せた。
(あの調子だと、次に会った時には大石の記憶は完全に消えてるだろう……。利用する形になったな……仕方ねえけど)
永遠は屋上へ続く階段の、冷たいコンクリートの段差に腰を下ろした。
窓から差し込む光はすでに赤銅色から沈みゆくような濃い藍色へと変わり、踊り場は薄暗い影に沈み始めている。
非常灯の緑色の光の下で、手に入れたばかりの小冊子を開いた。
目次を頼りに、カサカサと乾いた音を立ててページをめくっていくと、やがて『大石華奈』名義の小説が目に飛び込んできた。
「『消しゴムの独白』……これか」
――『私は短編の小説を書いてるよ』
――『へぇ、小説か。どんな内容なんだ?』
――『ホラーに近いかな? ある女の子が主人公なんだけど、周囲の人間が彼女のことをどんどん忘れていっちゃうの。その女の子の行動について書いた小説なんだ』
数千字にわたるその短編には、誰かの記憶から自分の痕跡を白く塗りつぶすことができる、ある少女の独白が綴られていた。
他者の記憶を削り取るたびに、少女自身の魂までが薄く削り取られていくような、逃げ場のない渇き。永遠は文字を追う目を細め、やがて険しい顔で息を呑んだ。
終盤にかけて、その空虚な渇きは、ある特定の人物に対する「どす黒い熱」へと変貌していたのだ。
(……ただの人間として愛される従姉妹……全部、柊のことじゃねえか……ってことは、文化祭で”会いたい子”も……)
神の力を持つ便利な道具として扱われる自分と、無力でありながら周囲に無条件に愛される従姉妹。
行間から溢れ出す、理不尽なまでの嫉妬と破壊衝動。
あいつが柊に執着する理由は、ただの偶然でも、任務だからでもない。
永遠は、松任椛という少女の根底に渦巻く、個人的で底知れない怨念の深さに触れ――誰もいない冷え切った階段室で、背筋に粟立つような悪寒を覚えた。
【次話】113話 魂の境界1-淵に臨みて網を結ぶ-
2026年4月25日(土) 21:00頃更新
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